Emerald Sword7

戦争状態に突入してから二ヶ月。


フォルク王国からの援軍は来ないという事が皆に伝わってから数日が経ったが、その情報を運んできた商人の船に乗って去っていく者は、不思議と一人も出なかった。


城側の戦力は戦死者の数を超える援軍を加えても依然百名と少し、対する敵側は五百を超えてからも増え続けているようにも見える。


医薬品の材料と食料の補給と、僅かな援軍の到着があり一息つけたという事もあるが、それでも誰の目から見てもいずれ来る破滅は明らかなはずだった。


ところが、死に場所を求めてやって来ているのが明らかな爺さん連中とは違う若者たちも、なぜかむしろ士気旺盛なままに城へと残ったのだ。


皆には、俺の目には見えていない勝機が見えているのだろうか。


それとも、俺だけが父の勝利を疑っているという事なのだろうか。


そんな事を考えながらも、俺は暇なうちにと錬金術で薬を量産していた。


そしてそんな俺の隣には、リラックスした様子で茶を飲んでいる、マッキャノ族の老婆がいた。



「フシャ様、この人連れてきて良かったんですか?」


「せっかく学べる相手が近くにいるんだ、協力して貰わない手はないだろう。それに、老人にあの牢は寒すぎるよ」



イサラとそんな話をしていると、老婆はイサラと俺の間を指差して皺くちゃな口を動かす。



「フシャサマ、ナニ、ハナス?」



驚いた事に、俺がマッキャノ族の言葉を覚えるのと同時に、彼らもこちらの言葉を覚え始めていた。


というより、むしろ彼らの方が覚えが早いぐらいかもしれない。


この老婆は積極的に俺へ「ナニ?」と物を尋ね、三人でその言葉を共有しているようだった。


まぁ牢の中ではやる事もないだろうし、もしかしたら一種の娯楽のようになっているのかもしれないな。



「オン、ロゴス、ティト」



この三単語であちらには「ロゴス婆さん、寒い」という意味で伝わるらしい。


ここ数日は暇さえあれば雑談をしていたので、俺の方にもだいぶわかる単語が増えてきた。



「ロゴスピルムジュタ」


「ピルム、デェア?」


「アー、ピルム……ユストス、グラプ」



婆さんはちょっと迷ったあと、両手を横に上げて力こぶを作るようなポーズを取った。



「ピルムは元気か。ロゴス、フシャピルムジュタ」


「キャニパス、ヘサ、ヘサ」



これはロゴス婆さんの口癖だ。


そりゃあいいね、良かったねという意味のようだ。



「こんな事してないで、あの耳長にはっきりと相手の目的を聞き出させましょうよぅ」


「あの手の人間はやりたくない事をさせようとしても逃げるだけだよ。そんなに簡単なら、グル爺あたりがさっさとやらせてるさ」


「船もなしにどこへ逃げるんですか」


「そりゃあ敵の方さ、彼女は言葉が通じるんだからな」



やはり、言葉が通じるというのは改めて大切なのだ。



「まあでも俺だって、大まかには目的を聞き出したじゃないか」


「大まかすぎて何もわからないのと同じですよぅ、宝探しって言われても……」



そう、意外にも捕虜たちは聞けばすぐに軍の目的を教えてくれたのだ。


マッキャノ族の目的は宝探し。


彼らはこの荒野で何か探しているものがあって、その過程でうちの城を攻めているようだった。


戦場にまるでそぐわないロゴス婆さんは、その宝を探しに来た占い師のような人だったらしい。



「ピグリム、ウィトタラケンフシャ」


「ナラカン、ナラカン」



ロゴス婆さんは「宝ってのはあんたの事かもよ」と言い、俺は「はいはい」と返した。


マッキャノ族というのは、意外にも結構率直なお世辞を言う部族のようだった。


まぁ、俺だって囚われの身にもなれば世辞の一つぐらいは言うだろうが……



「なんて言ってるんですか」


「宝は俺だってさ」


「なるほど……」



イサラは凄い顔で婆さんを睨みつけ、下唇を噛みながらそう言った。


彼女はなんだかんだ根は真面目だからな、主君の一族が捕虜から軽口をきかれているってのが気に障ったのかもしれない。


あんまり、軽口ぐらいは訳さない方がいいのかもしれない。




そんな日々の中、俺はついに軍議へと呼び出された。


大部屋の中には父上、兄貴とその部下、そして幹部クラスの騎士たちと、歴戦の古強者らしい老人連中までもがいて割りとギュウギュウだ。



「皆も知っての通り、援軍は来ない。そこでだ、あの砦を落とす事にした」



皆の顔を見回した父が事もなげにそう言うのに、部屋の中で兄貴の兵たちだけがどよめいた。


おそらく他の者には事前に説明があったのだろう。


もちろんこちらにも話は通っていなかったが、俺の部下はイサラとキントマンだけで、彼らは今の話を聞いても平然としていた。



「本気かよ親父、野戦じゃ勝てないからこれまでこうやって引きこもってきたんだろ」


「それに関してはこうして専門家が集った。人数も恐らく今が一番多く、兵の士気もそうだろう。勝っても援軍は来ないかもしれないが、勝ち戦となれば王国の貴族の中にも腰の軽くなる者がいるだろう、今はそれに懸ける他ない」


「勝てばって言ったって、あんな大軍相手にどうするってんだよ、一人が五人を斬れば解決だなんて言わないでくれよ」


「それに関しては、私ツーキースから」



鼻先にちょこんと小さな眼鏡をつけた禿頭の老人が、鉛筆を持った手をピンと上げた。



「古来より大軍の下し方というのは二つに一つ、頭を潰すか、ちまちま削るかです」


「できれば頭を潰してぇもんだがよ」


「ですがマキアノ族の軍に関しては皆同じような格好で、前線においても特に指揮をしているような様子がなく、誰が将なのかを定できません」



ツーキースの爺さんは眼鏡をずり上げながら「そこで」と続けた。



「大小の策を散らせ、敵を釣って削りを入れながら大きく動いた者を将と見定め、これを屠ります」


「行き当たりばったりだと言っているようにも聞こえるが……」


「安心せい! どの策もがっぽがっぽ敵を殺すような策ばっかりじゃ、下手すると将を見つける前に敵がいなくなっちまうわい!」



昔は王国の千人隊長だったという声のデカいウィントル爺が、横からそう言ってガハハと笑った。



「コウタスマ、お前はこれまでと変わらず港を守れ。策が破れた時は船に乗せられるだけ乗せてすぐに出ろ」


「あいわかった」


「フーシャンクラン、お前は城を守れ。私が戻らなければ、母さんと妹を港へ届けろ」


「わかったよ」


「詳しい策だが……」



その言葉が出ると同時に、ドン! と机に地図が広げられた。



「待ちくたびれたわい! わしの珠玉の策、耳の穴かっぽじってよく聞けぃ! ええか! まずいかにも略奪をしそうな装備で固めた騎馬が敵の砦を掠めて北へ走る! そうするとそちらに自分らの町がある奴さんたちは、そりゃあもう血相を変えて追いかけてくるわけじゃ!」


「やかましいぞウィントル! もうちっと静かに喋れんのかい!」


「ジジイの耳にも優しいようにわざと大きい声を出しとるんじゃあ! 普段のわしは物静かなもんじゃろうが!」


「どこがだよ」



爺さんは周りから入るツッコミも聞き流し、地図の上へついっと指を走らせた。



「それでのぉ! その追っかけてきた敵を渓谷まで引いていき、そこに伏せた兵で殺し間を作って平らげるっちゅうわけじゃ!」


「そんな上手くいくかのぉ、敵も渓谷までは入ってこんような気もするが……」



まあ仕方のない事だけど、こちらと敵の数が違いすぎて何をやってもバクチになってしまうのだ。


集まった面々の中にも、不安な顔の者はちらほらといるようだった。



「その時は本当に先まで行って町を焼いてやればええ! そうすれば次は必ず食いつくわい! しかしのぉ! わしに千人も預ければ、もっともっと色んな嫌がらせをして必ず勝たせてやったのに! 辺境伯様ももったいない事をしたのぉ!」


「千人もいりゃあマキアノだって攻めてこねぇよ!」



いい作戦かもしれないが、この作戦で最高に上手く殺せたとしても五十人やそこらといったところだろう。


つまり、十回同じ事を成功させなければ敵はいなくならないのだ。


しかもこちらは一度でも失敗すれば兵の大半を失う寡兵っぷりで、勝てる確率なんて万に一つもないような気がする……


だがしかし、とうとう会議が終わるその時まで、誰の口からも「城を捨てよう」という言葉が出る事はなかったのだった。






—-------






一ヶ月目の無理攻めが祟ってか、城の向かいの砦からの敵の襲撃はめっきり減った。


それどころか、どうも奴らは町や城を無視して荒野を彷徨いているようにも見えた。


毎日十人ほどの部隊がいくつも砦から出ていっては、城へも町へも攻めてこずに夜になる前に帰ってくる。


一体こんな荒野で何をやっているのか、何を求めているのか。


俺たち騎士の中でも、そんな疑問が広がっていた時……


見張りの番についていなかった者たちが突然騎士団長に叩き起こされ、全員が修練場へと呼び出された。


そして、そこにこの城の城主であるご三男様の騎士であるイサラから、とんでもない情報がもたらされたのだった。



「敵はフーシャンクラン様を狙っている」


「馬鹿な!」


「どこから出た情報だ!」



皆がイサラに食って掛かる中、彼女は顔中に怒気を露わにして、髪の中に隠した妖精の羽を明滅させながら答えた。



「フシャ様が捕虜の言葉を覚えて聞き出したんだよぅ……敵は荒野に宝探しをしに来てるんだとよぅ」


「なんと……」


「あの連中の言葉を……? どうやってそんな事を……」



この不毛の荒野にある宝、それはこの辺境伯家が代々守り抜いてきた城である。


そして、その中に秘められた特大の玉こそが、ご三男のフーシャンクラン様だった。



「ならばフシャ様にはなんとかお逃れになって頂かなければ!」


「フーシャンクラン様さえ兄上様に合流して頂ければタヌカン辺境伯家の未来は明るいのだ! 我らも安心して皆ここで城を枕に討ち死にできようぞ!」


「フシャ様は、城を捨てて逃げるような方じゃあない……自分が逃げるのは民の後だって、前にも言ってたよぅ」



イサラは沈痛な面持ちで、絞り出すようにそう言った。


彼女が一番フーシャンクラン様の近くにいたのだ、叶うならば今すぐに攫ってでも船に乗せたい気持ちだろう。



「そんな……」


「では、どうする!」


「俺だってフシャ様と同じ気持ちだ! 俺はここで生まれたんだ! だからここで死ぬんだよ!」



若い騎士が滂沱の涙を流しながらそう言うのに、周りの者もみな頷いている。


俺だって死ぬのは怖くない、だがあの子は俺なんかとは違って、いつか必ず何か大きい事をやる子なのだ。


あの子の命だけは、どうしても先に繋いでやりたかった。



「砦を攻めるか。奴らを根絶やしにすれば、あの子は死なずに済むぞ」


「どうやって? 敵は五百人からいるんだぞ」


「今グルドゥラ様のところに知恵物が集まっていると聞く、策を考えてもらうってのはどうだ?」


「とにかく、まずは辺境伯様の所に話を持っていくべきだ!」


「手ぬるい! 今からでも砦に攻め込もう!」



だんだん白熱していく議論に「静かに!」という騎士団長の喝が挟み込まれた。



「これよりこのヴァーサが命を賭して辺境伯様に砦攻めの上申を仕る、志を共にせん者だけが続け」


「騎士団長!」


「団長!」


「そりゃあ全員だ!」



颯爽と歩く騎士団長の後を、俺たちは団子になって追いかけた。


援軍が来ない事も、全員死ぬかもしれないという事も、まるで気にならなかった。


ただ、全員が同じ未来を見つめていた。


俺たちが本当に守りたい、輝かしい未来だけを一心になって見つめていたのだった。

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