魔導士テラノヴァのときどき人を殺すスローライフ

白江西米

第1話 ホームレスになった


 家を奪われ、とぼとぼと細い道を歩いているテラノヴァは、止まらない嗚咽のなかで助けを求めていた。


「助けてにぃ、助けてにぃ」


 幼児のような言葉遣いをしているが、彼女は14歳だった。

 太陽があふれた平野に、まっすぐ道が続いている。

 所々に顔を出している岩塊は、朽ち果てた古代の石像─縄目模様の蛇、入れ墨の戦士、魚とそれに巻き付いた触手──どれも風化が進み、短い植物でおおわれている。

 テラノヴァはそれをみて、自分の心のような荒廃だと思った。


「にぅにぅ、にぅにぅ……」


 不気味な声を出してぐずぐずと泣いているが、慰めてくれる師匠も、暖かいベッドも、今や失われていた。

 理不尽な強奪者が、納得できない理由で家を奪っていった。

 思い出の品物も、大事にしていた本も、暖炉にくべられて燃えていた。


 数十分前の出来事だ。

 彼女が手に持った花瓶の中から、イカに似た触手が出てきて、テラノヴァの腕にそっと巻き付いた。

 テラノヴァはひやりとしたそれを握り返し、涙をぬぐって歩いた。


 のろのろと丘を越え、小規模な森の中を貫く道に入ったとき、彼女の前方に人影が見えた。

 

「おっ、ほんとにきたじゃねーか」

「クソガキ1匹で金5枚か。へへへ……」


 あきらかに待ち伏せしていた二人の男が、テラノヴァまえに立ちふさがった。


「な、なんですかに?」


 聞いたところでどうにもならないが、テラノヴァは無駄な質問をした。

 彼らが持っている、むき出しの刃が、陽光にきらめいている。

 手槍と短剣。

 傷つけるための道具は、本能的に恐れをいだかせる。


「ん、見れる顔をしているじゃねえか。どうだおい、殺す前に楽しもうぜ」

「俺は殺した後でもいいぞ」

「ヒヒヒ、じゃ、お前はそうしな」


 下卑た声は、死ぬまえと死んだあとに、尊厳まで奪われる予感を秘めていた。


「にゃんでぇ……もうやだぁ……やぁなのぉ」

「文句は死んでから言うんだな。ええ」


 もう何を差し出してもいいから、命だけは助けてほしいと思った。

 テラノヴァは跪いて、両手を合わせて握りしめた。教会で聖像に祈るポーズをとる。


「殺さないでほしいにぃ。殺さないでくださいにぃ」

「へっへっへっへ」


 探検を持った男は、そのしぐさに嗜虐心を刺激された。使命を果たすだけならば、短剣を刺してからでも、しばらくは楽しめるはずだったが、もっといたぶりたくなった。かわいく鳴かせてみたい。

 男は拳を振り上げた。

 鋲の打たれたグローブで、テラノヴァの顔を殴り飛ばした。


「ふぎゃん!」

「へへへ、良い手ごたえじゃねえか。むちっとした感触だぜ」

「ひいぃぃ」


 吹き飛ばされたテラノヴァは、顔面がしびれるような痛みに、ぽろぽろと涙をこぼす。

 恐怖で頭がいっぱいになった。


「ひぃぃ、にひぃぃ……」


 その声に一掃興奮した男は、手を強く握り、速足で近寄った。どうにも我慢できない声だった。動物的な興奮に訴えかけるような、獲物を殺すという殺戮本能をなでまわされるような、耐えがたい欲望に捕らわれた。


「やってやるぜ」


 彼の汚れ仕事のなかでも、最高の相手に見える。

 脂の滴る肉は、食べなくても匂いだけで食欲をそそるが、テラノヴァの痛がる様子はそれに近かった。


 このメスが、挽肉になるまで楽しんでやる。

 

 そう決意した男は、上半身を起こしたテラノヴァを横から蹴った。


(殺される、このままだったら殺されちゃう)


 テラノヴァのあたまのなかでは、光の速さに匹敵するほど思考が駆け巡っていた。

 この事態を引き起こした原因、責任の所在、善悪の行方──しかし絶対的な事実として、対応できるのは自分だけだと理解した。


「まって、おかね、おかねが……あります!」

「あぁ!? カネがどうしたってんだよ」

「お金あげます。おかね、かばんに、お金あります」


 言葉に不自由な子供の用に、つたない喋りで懇願する。 


「おまえにもらわなくてもよ、殺した後にうばえるんだぜ」

「そんな、おかね、あげますから。ありますから」

「そんなら出してみろよ、ええ?」


 テラノヴァは怯え切って、お財布を取り出す仕草をした。魔法の鞄にいれた手が、杖の硬質な感覚に触れた。テラノヴァは息を止めた。怖い、でもやれる。

 迷妄の杖を振り上げて、男に向けて振った。

 不可視の力が命中した時、わずかに空気が焦げた匂いがした。


「あ? あああ?」


 男の目が泳いでいる。


「盗まれる!」


 テラノヴァはそう叫び、彼の思考の方向性を決めた。


「……なんだ。俺の報酬が奪われそうじゃねえか」


 男の黒目が別々の方向を向いている。ガンギマリの目だ。


「へへへ、ヒヒヒ、ヒヒヒ。おうおれの報酬を取ろうってやつは許さねえ!」

「おい、どうした?」


 もうひとりの手槍を持った男が近づいてくる。

 短剣の先端と手槍の穂先が鈍く輝く。その光の反射角が、杖の軌道にそっていた。もう一度振られた迷妄の力が、刃先を経由して跳ね返り、手槍の男に命中した。


「むっ、これは……しまった」


 彼は魔導士を殺した経験から、いくばくかの知識があった。

 自分がかけられたのは迷妄の魔法で、思考が間違った思い込みと、極度の他責性、そしてありえない妄想に支配され始める。

 しかも抵抗レジストできないほど効果が高い。


「いかん」


 そう理解しても止められない。

 思考が歪み、全てが敵に見える。


「奪われる!」


 テラノヴァの言葉にパートナーが裏切って、報酬をひとりじめしようとしていると、納得してしまった。


「違う、そんなはずはない」


 声に出しても、探検の男が醜い裏切り者に見えた。そうとしか信じられなかった。奪われる前に、殺すしかない・


「このおれの分け前を奪おうとは、許さんぞ」

「へへへやろうってのか。ぶっ殺してやる!」


 敵意が敵意を呼び、暗殺者たちはお互いを見据えた。

 テラノヴァは石像の後ろに隠れた。そっと顔をだし、おびえる。


「金を独り占めしようってのか。くたばれ!」

「大人しく死ね!」 


 技術も何もない原始的な殺戮光景だった。

 防御を考えずに、怒りのままにお互いを掴み、刺し合う。


「ひぇぇ……」


 血しぶきが、あたりに飛び散った。服を着ていると、刺されても布地がバリアーとなり、派手に飛び散りはしなかったが、露出している手首や首に刃物があたると、アーチを描いて血が飛んだ。血を含んだ服からも、ぽたぽたとこぼれる。


「怖いにぃ……怖いにぃ……」


 テラノヴァは一層からだを小さくして、巨大な顔の石像に隠れた。

 陽光で温まった石像は、かつての古代文明がつくった王の彫像、慈悲王の別名を持つ民に愛された王の御姿は、何世紀も経った今でも、テラノヴァを隠して守っていた。


 めった刺しの光景は、人間の体力の限界を超えても続いていた。

 呻くように漏れる殺し合いの吐息。殺戮音に鳥の鳴き声は止まっている。


 ちいさなトカゲが石像の上を走っていた。

 緊張で動けなくなったテラノヴァを構造物の一部だと思い、指を伝って肩に乗った。


「オラァ! くたばれやぁ!」


 ひとりが馬乗りになり、両手で短剣を突き刺した。何度も何度も、二十回以上は刺していた。

 下の男はもう抵抗していない。


「へひひ、やったぁ。おれさまの勝ちだぁ……女ぁ、おまえも殺してやるぅ」


 しかし短剣の男にも、左のわき腹から差し込まれた手槍が、右胸から飛び出していた。


「ごろじで……ごろ……が、ぼぼ」


 血泡があふれた。

 切り倒された木のように、意志なく倒れた。

 動かない。


「うわあ……」


 テラノヴァが声を出して震えたので、トカゲはすばやいうごきで石像に戻った。

 手に持っていた花瓶から出た、クラーケンの触手がトカゲを狙っていたが、獲物に逃げられ中に戻った。


 静かになって数分後。テラノヴァは街道に戻った。

 修羅の巷だ。

 血の匂いが漂う死体を見て、あまりの赤さに顔をそむけた。


 二人も死んでいる。

 自分が死なずに二人も倒せれば、戦果としては上々だろうが、そのような考えに至らなかった。

 圧倒的な現実におびえていた。

 しかし彼女の頭の冷静な部分が、このあとさらに忌まわしい行為をする必要があると、告げていた。


「よし。やるにぇ」


 決めたら怖さが消えた。

 まだ暖かい死体の懐をまさぐり、袋財布をとった。

 ずっしりと重い。

 中身が期待できる。拾ってかばんに入れた。


 手槍の男が落とした背嚢を開けた。また財布だ。財布が2つも入っている。これも鞄にしまう。

 さらに彼らが腰に巻いていたウェストポーチを外して入れる。念のため、武器も拾った。


 靴と衣服は悩んだ。

 血まみれで穴が開き、サイズが合わないので捨て置こうと思ったが、もしかしたら何かに使えるかもしれないので、引きはがした。


「うええ」


 生で見る裸の死体は、刺突創も生々しく、異臭も相まってひどく不気味だった。しかし、やらなくてはいけない。もう、あたたかな家はないのだから、この冷たく厳しい世界では、その常識に合わせて行動しなくてはいけない。


 テラノヴァは俗世間の常識に合わせて、二人の死体を裸にして抱き合わせた。

 本で読んだ恋愛小説の、痴情のもつれを再現した。お互いの手を握らせて、無理心中に見せかけた。顔と顔の唇を付けようかと考えたが、微妙に身長が合わないのでやめた。


「あっ、武器……」


 武器がなければ死の理由が不自然だった。そして衣服も……。

 テラノヴァは手に短槍を握らせ、血まみれの衣服をたたんでそばに置いた。

 これで同性愛者の心中に見えるだろう。


 テラノヴァは愛の場面を再現するため、つないだ二人の手に野の花を握らせた。

 俗世間のおそろしい常識に戦慄した。こんな恐ろしい光景が世間では普通なのだ。本で読んだのだから間違いない。


「狂ってるに……」


 狂気の一般常識に戦慄を覚えつつ、テラノヴァは頭を振った。


「わたし、追いはぎみたい……」


 客観的に見れば追いはぎそのものだった。飛び散った死肉をひとかけら、花瓶に入れた。

 わずかに揺れて、クラーケンが喜んでいた。


 数時間前は平和な家の中、今は血まみれの街道。

 あまりのギャップにテラノヴァは他人事のように口をぽかんとあけて、事後を眺めていた。


「なんでこんなことに……お師匠さまぁ、助けてぇ……」


 家を失ってから1時間で、二人も死体を作っていた。

 だが、もうひとつの出会いは、テラノヴァの心を和ませた。

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