生贄魔王 ジ・エンド
向野こはる
第一幕
供犠Ⅰ 魔王という弱者
第1匹 俺が何をしたって言うんだ。
俺が何をしたって言うんだ。
白髪と金眼に生まれて、魔力が誰よりも強いってだけで、勝手に魔王に祭り上げられて。
力が強すぎて両親に見放され、満足な教育も施されなかった、十歳にも満たない子供だぞ。顔も知らねぇ大人の中に放り投げられ、学ぼうにも先代魔王は、俺が生まれた時に死んじまってる状況って、どうすりゃよかったんだ。
人族からはガキだと思って見下され、同族からは程の良い傀儡にされ、あっちもこっちも敵だらけで正解も探せない。右も左も分からず言われるままやるしか、どうしようもなかった。
間違えれば叱責され、上手くいけば手柄を横取りされ、人族が住む大陸からやってきた勇者は、正義感ばっかりでこっちの話なんて、クソみたいに聞いてねぇ。
挙げ句の果てに、魔物の
いや仮に、マジで神々の怒りだとして、なんで満場一致で俺が生贄になるんだ。馬鹿野郎、ふざけんな。
俺はどうしたらよかったんだ。
こんなことならオバリーの給与、もっと高くしてやって、楽な生活を送らせてやればよかった。
魔王なのに財政には一切手出しできなくて、もっと昇給してやりたくても、大臣共に邪魔ばかりされて。オリバーは最初から最後まで、安月給で文句垂れてまくりだったが、ずっと力になってくれた。
そうだ、こんなことなら、ルチアに好きだって言っときゃよかった。
もっと近くで話して、アイツの話もちゃんと聞いて、俺は味方なんだぞって胸を張ればよかった。
劣等感ばかり抱いてないで、ちゃんと目を見て、一緒に暮らしたいって言えばよかったんだ。
ルチア、最期に会いたかった。好きだって伝えたかった。
俺も君を、好きだって、ちゃんと──。
◆ ◆ ◆
「提案なんだけどさ、エンド氏。転生の輪を外れてみない?」
薄汚れた神殿を着々と掃除している俺に、背中に翼を生やした無性生物が話しかけてきた。
硬く絞った雑巾で大理石を拭き終え、胡乱げに見上げた先では、神だとか言うソレの頭上で、薄気味悪い輪っかが発光している。
俺は一睡も出来ず隈が縁取る目を擦り、心から疲れた溜め息を吐き出して、片手を軽く振った。
「だから俺は、もう地上に戻る気はありませんって。ここで修行を積めば、天使だか神だかになれるんでしょう?」
「それはそうなんだけど、悟りの境地を辿るには、エンド氏は地上への心残りが強すぎるよ。また眠れなかったんでしょ?」
「…………」
図星を突かれ、俺はむっつりと口を閉ざす。
無性生物は、──
生前、魔物の大量発生に襲われた世界を平和に導くため、俺は生贄に選ばれた。
人族の交渉代表である勇者が、魔族の起源はそもそも、魔物との混血から始まっており、その頂点たる魔王が生贄となって、
俺たち魔族は確かに、魔物と同じ魔力を身体に有している。魔族の始祖が魔物を孕ませ、その子供が子孫を残していったのも、本当だろう。
だが今は、ただ魔法が使えるだけの人間だ。寿命も変わらねぇし、動植物を食って、水分を取らなきゃ死んじまう。加えて魔族だって、絶えず魔物に怯える日々を過ごしている。
流石に勇者の主張は受け入れられず、俺たちは反発したものの、魔法を遥かに凌ぎ魔物の脅威は大きくなっていった。
どこから湧くのかも分からず、世界を蹂躙する魔物に、魔族も対処しきれなくなっていく。
そしてついに勇者の主張を受け入れ、世界が力を合わせて、大量発生に立ち向かう事を決定したのだ。
魔王エンドを生贄に捧げて。
つまり俺をだ。
「なんていうか、流石に不憫だよね。大量発生なんて、気候の変動による自然現象なのにさ。神々の怒りに触れたー、だっけ。そんな不確かな理由で生贄なんて」
「俺も天国にきてそう言われて、マジでもう一回死のうかなと思いました」
「いや生きて! 僕は早く君に、地上へ戻って欲しいんだってば! このまま居座られてもさぁ」
文句を言いながらも、流転神の表情は穏やかだ。元来、そういった顔付きなのだろう。
俺は拭き掃除を再開させながら、話半分に相槌を打つ。
生贄に捧げる名目で勇者に殺され、魂が昇華された俺は、天国で毎日掃除三昧である。この神殿をピカピカに磨き終えれば、神だか天使だかの末席に加えてもらえるらしい。
再び地上に転生するなど言語道断。俺はこれ幸いとその制度を利用し、掃除に勤しんでいる。
しかし神々の意向では、地上の魂は地上に返却するのが常識、なのだという。
神々に転じることができるのは、生前に一欠片の未練もない連中だけなのだそうだ。
「エンド氏。提案した転生の輪を外れるってことはね。君の人生を一度だけやり直す機会をあげる、ってことだよ」
「苦痛も疲労も、もう結構です」
「それは君次第さ。記憶を持って死に戻り、君ならできるよ」
流転神の言い分に、思わず布を握りしめていた手が止まる。
どんよりと暗い金眼を、頭上にまで移動させれば、神は翼を広げ自らの膝に片肘を乗せると、頬杖をついた。
「この神殿が一向に綺麗にならないのは、それだけ君は生前に執着してるってことさ。良い提案だと思うんだけどな。まぁ確かに、転生の輪を外れればもう、次の人生は望めない。その代わりもう一度だけ、前の人生をやり直せる。強くてニューゲームってやつだね」
「
「ああごめん、その用語はこっちの話。どうだい?」
死ぬ瞬間までのあらゆる記憶を保持したまま、もう一度人生をやり直せるなら。胡散臭い謳い文句に眉を寄せつつ、少し惹かれてしまっている。
顔色の変化を感じ取ったのか、流転神は微笑んで台座から立ち上がると、屈んでいる俺の前に立つ。
俺は汚れた布をバケツの中に入れ、紐で合わせ目を結んだだけの、簡素な衣類についた埃を払い、そっと立ち上がる。
前髪にかかる白髪を片手ですき、猫背で見上げた先には、やはり悪趣味な発光する輪っかが浮いていた。
「その気になってくれた? ほら、楽観的に行こうじゃないか。人生やり直したら、君はどうする?」
「従者の給与を上げて良い暮らしさせて、好きな子に告白して一緒に棲みます」
「………………君、魔王様、なんだよね?」
引き攣った顔で問いを重ねられ、俺は心底不可解に思い、金眼を瞬かせる。
「……? はぁ。立場上魔族の王なので、そう呼ばれますが」
「魔王様ってのは、もっとこう、……最強の力を持つ強者ムーブで、世界の頂点に君臨する感じじゃない?」
「なんだってそんな、独裁者みたいな印象なんですか……?」
天国に来た際にも、似たような事を別の神から言われたものだ。
どうやら神々の認識で、魔王、という存在は、傲岸不遜且つ傲慢チキな、力に物を言わせる独裁者で、類稀なる強者として闇世界の頂点に君臨する存在、らしい。俺とは正反対に位置する存在だろう。
とはいえ、圧倒的カリスマ性を持って民を導く印象は、見習うべきなのかも知れない。
「さぁエンド氏。今度は精一杯もがいて、生きて、また天国で会おう。その時は僕が、神の末席へ紹介状を書いてあげるよ」
「それは有難い。よろしくお願いします」
にこやかに片手を振る流転神に頭を下げ、俺の世界はそのまま暗転する。
遠くで微かな、柔らかい光を見たのを境に、俺は意識を手放していた。
◆ ◆ ◆
「エンド様ぁ、お時間ですよー、朝ですよー」
死ぬ間際まで聞いていた声が、意識の少し上の方で俺に呼びかける。
緩慢な動作で寝返りをうてば、開け放たれた遮光カーテンによって、陽光が顔面に直撃し低くうめく。
片手で目蓋を擦り、思うより小さな手の平に驚いて、俺はハッと目を見開きベッドから飛び起きた。
「おわぁっ!? え、エンド様? どうしたんですか?」
ベッド脇の衝立に、ハンガーに通した衣服をかけようとしていた女が、驚いて声をあげる。
視線を向ければ、見慣れていたはずなのに懐かしい栗毛が、ゆるい内巻きを作っていた。
やや背の低い、内巻きボブカットの少女。実母から下げ渡された足首丈の、型の古い侍女服に身を包み、日焼けした肌には翡翠色の瞳が丸くなっていた。
「……オリバー?」
恐る恐る呼びかければ、彼女──オリバーは、訝しげに眉を寄せる。
「え、なんですか? ……あ、なーるほど、ははぁん? 怖い夢でも見たんですね? 仕方がないですねぇ、お姉さんの胸、貸してあげましょう!」
ブラウスを押し上げる割と豊満な胸を、片手で示しながら渾身のドヤ顔を披露する従者は、清々しいほどいつも通りだ。
俺は世迷言を繰り出す彼女を無視し、ベッドから裸足で飛び降りて、部屋の隅に備え付けられた姿見の前に立つ。
痩せぎすな体型に合っていない、ブカブカの寝巻き。落ち窪んだ金眼に、ザンバラな白髪。
けれども鏡に映る姿は、想像よりずっと幼い。九歳、いや八歳だろうか。俺は片手の指先で鏡面に触れる。
「ちょっとちょっと、エンド様? 寝ぼけてんですか、ちゃっちゃと服着てくれません? 早くしないと遅れちゃいますよ」
「…………遅れ、るって何に?」
最後に聞いた自分の声より、高くあどけないそれに面食らう。
しかし俺の動揺など知らないオリバーは、今度こそ呆れた顔でこちらを凝視した。
「もしかして……行きたくなさすぎて、記憶忘却しました? 今日は勇者と初めての会談日でしょう? まぁその、昨日の夜、あれだけ泣いてゲロってたくらいですし、お気持ちは分かりますけど」
やれやれ、と片手を頬に当てる従者の言葉で、俺は現在の状態を察し、顔を青褪めさせる。
流転神の提案通り、俺は確かに人生を戻ってきたのだ。それもご丁寧に母親から生まれ直すのではなく、こんな最悪の時間軸へ巻き戻る形で。
俺は力無く床にへたり込む。茫然自失で視界が回った。
慌てて駆け寄り、子供の体を抱き上げるオリバーに支えられても、このまま意識が飛びそうになる。
「……本当に、戻ってきたのか……!」
この日は確かに、俺が魔王として魔族の頂点に居座った、最初の日なのかも知れない。人生の起点という意味なら、あながち間違いではないのだろう。
“勇者との会談日”。
俺を刺し殺したあの男と、初めて顔を合わせた日。そして、──生前は知り得なかった幼い
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