霧の領域を超えた先で、世界を変える力が手に入るらしい。

バンリ

序章・覚醒と旅立ち

第1話・とある遠征任務にて

※1


使い古された外套を纏い、ゴーグルをはめた4人の人影があった。


目の前の視界全てを覆う程の濃い霧が、地平の先まで広がっている筈の平野を狭く小さな世界へと変えていく。


先を進むにも目印となるものも見えない、当然このままでは方角さえも分からない。


唯一の道標となるのは、その手に握る小さな機械のみであり、この懐中時計型のコンパスが示す先を信じ、ただ愚直に歩みを進める。


「…ん?」


先頭を歩く長い赤髪をサイドに纏めた少女が腕を上げ、その後ろに続く3人の動きを制した。

「どうした?」と声を掛ける後ろの探索者へ返事をする前に彼女は既に動いていた。


手に持ったコンパスと、正面の視界の先を交互に確認した後、彼女は周囲を見渡し、視界の端に高台を映す。

普通ならば霧によって景観は隠されたままだが、彼女達が装備するこのゴーグルさえあれば何の問題もない。


少女は高台まで駆けると、そこから見下ろす先へ目を凝らした。

首にぶら下げていた双眼鏡に目を通したまま凝視し続ける彼女の元に仲間の1人の声が届く。


『見えたのか?』


「多分、何か影が……」


高台の下にいる筈の仲間の声が、彼女が着ける腕輪から届けられる。

腕を口元に近づけ、その通信に応えていると、双眼鏡越しに見る彼女の視界に新たに映る何かを見つける。


「…あ、ごめん。違った。」


落胆にも近い感情が乗った呟きが吐き出される。


探していた地が見えてきた、という訳ではなかった。

人のようなシルエットで、しかしアレらは人ではない。


この霧に包まれた世界―――人々が言う、濃霧領域と呼ばれるこの地で動く者など、野生の動物か、同業者か、もしくは


「獣人型の霊魔か」


2メートルを超える全長、異様に長く、肥大化した両腕と、その指先から伸びる鋭い爪。

無造作に伸びた頭髪、頬まで裂けた醜い口と針で縫い付けられたかのように閉じられた横長の瞼。


獣人型、そして霊魔と呼ばれる存在。

なまじ人間と似通った特徴があるせいで、その存在そのものに生理的な嫌悪感を抱かざる負えないものだが、見つけた以上それを見逃す訳にはいかない。


霊魔は殲滅だ。


望遠鏡を首にぶら下げた少女は背負っていた身の丈ほどの大型の銃剣を構えた。

グリップにはトリガーが備え付けられ、その刀身には同じ長さの銃身が一体化している。


剣腹に左手を這うように添え、右手の指先はトリガーへと伸びる。

両手で構えた銃剣はつい先程見つけた霊魔へと向けられた。


瞬間、発砲。

火花は散り、左右非対称の特殊な形状をした鍔からは薬莢が排出される。


放たれた閃光は瞬く間に迫り、標的となった霊魔は反応する事も許されないまま、その頭部を吹き飛ばされた。


遥か先で、頭部をなくした亡骸が倒れる。

狙い澄ます時間も取らない、まさに見敵必殺とも言える早技だった。


「これで4匹目…」


『ゼノビア、発砲したのか?』


「…ん、進路上に霊魔がいたから」


銃剣を肩に担ぎながら、再度双眼鏡を覗き周囲の索敵を続ける。

徘徊している霊魔が他にいない事を確認し高台から滑り降りると、丁度真下には待機していた3人の探索者がいた。


「や、お待たせ」


「ああ、ご苦労さん。…てか、毎回の事だが言葉足らずのまま急に動くのは勘弁してくれ。俺達はお前ほど目が良い訳じゃないんだから」


「ごめん、気を付けるよ隊長」


「その言葉も何回目かってなぁ…」


隊長と呼ばれた探索者の男の深い溜め息が肩を落とした彼の口から吐き出された。


ゼノビアは誰よりも素早く、誰よりも察しがいい。

だからこそ、その行動は他からすれば突拍子のないものに見えてしまう。


しかし、そんな彼女に助けられてばかりだ。


ここまでの道中で霊魔との遭遇は8回。

その内4回は複数の群れとであったが、先んじて察知したゼノビアのお陰でこの群れを迂回して回避する事が出来ている。


残りの4回は霊魔単体、恐らくはぐれなのであろうが、それもゼノビアの精度の高い狙撃で敵の察知範囲外から一方的にワンキルだ。


ここまで危険が伴わない進行が出来ているのは偏にゼノビアあってのものである。


「隊長、どした?」


彼女の金色の瞳に、顔を覗き込まれる。


「……いや、お前には苦労かけるな」


「ん、気にしないで。私強いので?」


「それは、そうだねぇ…」


恐らく今後も変わらぬままであろう様子の、首を傾げるゼノビア。

他2人の探索者も慣れたものなのか、彼等のやり取りには苦笑いを浮かべるだけだった。


「今の所は特に支障もないからいいんだけどね、うん」


彼女とそれ以外とで実力に差があるのは分かっていた事だ。

未だ17歳でありながらも突出している彼女の実力は、間違いなく彼の率いるパーティーとは不釣り合いである。


親戚の縁で子供の頃から面倒を見ていた事もあって、現在パーティーに参加し隊長と慕ってくれている。

実力差から来るパーティー内のズレが原因で彼女の身に危険が迫るような事がなければいいのだが


「隊長、皺増えた?」


「これでも俺はまだ29なんだがな…」


振り回されるのは隊長で、振り回すのは、この特異な赤髪の少女。

気苦労が絶えないと言うのは彼の言葉だが、まあそこには互いの深い信頼があるのもまた確かな事実であった。




※2



霧の中の平原を進み続け、しかし変わり映えのしない光景が続くまま、辺りは暗くなりつつあった。

既に日も傾き、薄暗い空色が顔を覗かせている。


隊長も移動はここまでだと言い、野営する事を決める。

その為、探索者達がキャンプや焚き火などの準備を進める中ではあるが、ゼノビアは現在手持ち無沙汰であった。


(「今のところ、私にばかり負担が掛かっているから」か……気にしなくていいのに)


無機質な表情を不満げに歪ませている。

野営よりそう離れていない場所で、根本から折れた倒木に腰掛けていた。


(道中で負担が大きいのは私が斥候なのだから当たり前、逆にいらない気遣い)


当人としてはただ役割をこなしているだけの事。

隊長には全体の統率や、前衛の仕事があるのだから体力は温存しないといけない。

残りのメンバーだって、隊長と同じく前衛をこなす役割や、サポーターとして野営道具など遠征用の装備を管理する役割がある。


霧の世界を進むパーティーとは一蓮托生だ。

死ぬ時はあっという間に全滅し、生き残る為には誰か1人として己の役目を怠る事は許されない。


ならば、個人の負担の心配など二の次なのではないか?

などと考えるゼノビアの思考は、間違っているだろうか?


「……ま、いいけど。どうせ私がしつこく言っても意味ないし」


すぐ傍の地面に銃剣を突き立て、何かあれば即動けるようにする。

作業中の彼等から少し距離を明けた場所で休憩を取っているのは、彼女なりの理由があった。


「こっそり隊長から拝借した、長距離通信端末…!」


それは、掌に収まる程度の長方形の薄型の端末。

探索者に標準装備として支給されている通信用腕輪と違い、超長距離間での通信が可能となる上位機種である。


主に集団を統率する役割の人物の手で管理されており、こと遠征においては探索者達の大本、ゾルダード探索者ギルド本部との数少ない連絡手段となる。


もちろん、ゼノビアがこれを拝借したのは探索者ギルドへの連絡をする為――ではなく


「ふんふふーん……アラタ・アカツキ、と」


通信はその他パーティーが所持している長距離通信端末に繋げる事も可能だ。

まあ、何が言いたいかといえば、これは極めて私的な理由での使用である。


「…あ、もっしーアラタ」


『……いやお前、怒られてもしらねえよ?』


「大丈夫、私ここの紅一点なので」


『それが理由でまかり通るならな』


思わず表情が綻ぶ、時間さえ許せば何時だって話していたいと思う相手。

ゼノビアにとっての数少ない交友の1人、小さい頃からの付き合いがある同い年の少年、アラタ・アカツキ。


彼もまたゼノビアと同じく探索者であるが、パーティーのリーダーであるのでこうして長距離通信端末からの通信にも出る事が出来る。

まあ、パーティーとは言いつつも、メンバーがいるかと言えばそういう話ではないのだが


「アラタはいいよね。実質公私問わずに使えるんだから」


『こんな友達との会話感覚で使うのはお前が掛けてくる時くらいだよ』


「そうなの?ボッチパーティーの癖にお堅いね」


『喧嘩売る為に通信して来たのなら切るが?』


もちろんそんなつもりではないし、切らせるつもりもない。

ゼノビアはこの歯に衣着せぬやり取りが楽しかったし、相手もそう思っていて欲しいと思っている。


「今忙しかった?」


『いや、別に。今日はフリーだから城塞都市に戻ってるしな』


「そっか、こっちは今野営の準備中。やらなくていいって言われたから暇してるところ」


『暇じゃないなら通信しないわな、流石のお前も』


「うん、だからアラタ。暇な間、ずっと繋げてていい?」


『いや、そこはガルフのおっさんやパーティーメンバーと交友深めとけよ』


「それはそれ、アラタはアラタなので」


足をバタつかせたり、身体を左右に揺らしたりと今の彼女は機嫌が良かった。

こうやって話していると、すごく会いたくなってくる。

時間も忘れそうになる程で、しかしそれが何時までも許される訳ではない。


「おーいゼノビア。設営出来たから飯にするぞー」


隊長の声が聞こえる。

ゼノビアは両手で包むようにして長距離通通信端末を隠した。


『呼ばれたか?』


「……ん、ご飯だって。設営も終わったみたい」


通信端末を口元に近づけ、声を潜めながら伝えた。


『了解、じゃあ行ってこい』


「……何かさっぱりしてる。もっとお話したいって引っ張って欲しい」


『何じゃそりゃ』


ゼノビアは頬を膨らませながら呟いた。

拗ねたんかい、と流石に通信越しで分かるゼノビアの様子にアラタは頭を掻いた。


『全く、自分本位だよな、お前も』


「…むぅ」


端末越しに聴こえるアラタの溜め息。

通信嫌々だったのかな、と少しゼノビアは不安になる。


『……ま、時間が出来れば掛ければいいさ。反応はしてやる』


「…ほんとに大丈夫?」


『お前から掛けた癖に何不安がってんだよ。嫌なら相手してないから気にすんな』


優しげな声色だ。

気を遣っているでのはない、アラタとはそういう上辺だけの男ではない事は彼女だからこそ理解している。


「じゃあ、ご飯食べたらまた通信する。絶対する」


『端末没収されてなきゃなー』


「大丈夫、死守するから。場合によっては隊長を無力化するから」


『本気でやりかねない怖さがあるよなお前…』


ゼノビアは倒木から腰を上げた。

地面に突き刺していた銃剣も背に担ぐ。


「じゃあ、アラタ。また後で」


『はいはい…ゼノビア、あんまり無理すんなよ』


「……心配してる?大丈夫、私強いので」


『…そうだな。悪い、気にすんな』


「うい」


通信を切った。

静けさが来た、どことなく寂しげな空間になったような気がして、ゼノビアはすぐにこの場から離れたくなった。


隊長達と一緒にいるのも楽しい。

何やかんやあって探索者になってからずっと加入しているパーティであり、叔父である隊長にはずっとお世話になっていた。


だが、アラタと共にいたいという感情もまた彼女の中で大きく占めているのだから、こんな奇行も止められないでいる。


親友、幼馴染、腐れ縁。

どう言い表す関係かは分からないが、どうとでも言える事だ。

どれも気の知れた関係である事に変わりはないのだ。


「…ご飯、いこっか」


食事を済ませれば、明日に備えて就寝だ。

1人ずつ、2時間おきに交代で見張りをしながら一夜を過ごす事になる。


ならばその時は自分が最初の見張りを立候補しよう。

見張りをしながら、アラタとやり取りが出来るのなら、きっと退屈だって感じない筈だから




※3




―――ゾルダード探索者ギルドより各位探索者へ依頼要請。


緑の月・18日より遠征任務中の探索者パーティー。


ガルフ・チェノン

ゼノビア・クロエット

ライト・コナー

リック・カッチェ


エーテルポイント発見の報告後、連絡途絶。

長距離通信端末の反応も消失した為、何らかのトラブルが発生したと想定。


依頼内容、エーテルリソースの確保及び遠征パーティーの生存確認。


――――依頼受諾、確認。


依頼受諾者・アラタ・アカツキ

パーティー人数1名。


―――――依頼履歴確認、上位探索者の為、依頼遂行は可能と判断。

ただし、人的リスクを回避する為、同行者を選出する。


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