第24話 再会


 翌朝は九時半頃にホテルをチェックアウトして、荷物を持って鳥取駅に向かった。


 鳥取駅から実家の最寄り駅までは電車で四十分くらいということだったので、十時発の山陰線に乗って十一時前くらいには実家に着く予定になっている。


 ホテルを出てからというもの、心なしかお互い口数は少なく、電車に乗ってからもほとんど最低限のやり取りしか交わさなかった。


 かと言って、二人の間の空気が重いということはない。電車でも肩を寄せ合ってお互いの体温を感じ合えるくらいの距離感を保っていたからか、少なくとも俺の中で不安が蓄積されていくということはなかった。


 つまりもう俺たちの間では、何か言葉を発していなければならない必要性はなくなっていたのだ。ただお互いを感じ合っていられれば、それだけで十分だった。


 車窓は時間が経つにつれてどんどん緑が多くなっていき、民家が見える機会もどんどん減っていった。


 四十分ほどで実家の最寄駅に着き、ホームに降りると、真っ先に蝉のしょわしょわという大きな音が耳を襲った。


 その駅は当然無人駅で、辺りは緑に囲まれており、かろうじて駅舎の前の通りだけが行く先を示してくれていた。


 「本当に田舎なんだな」


 俺が呟くと、萌香ははにかんだ。


 「ここに十七年間も住んでいたんですよ。すごくないですか?」

 「うん、すごい」

 「家はここから歩いて十五分くらいです」

 「わかった」


 そして俺たちは、車の通る気配が全くないその道を、ただまっすぐに歩いて行った。


 十分ほど歩くと、木々に囲まれていた道の左側が開き、いくつかの民家と田畑が姿を現した。


 「あの焦茶色の瓦の家が実家です」


 萌香は立ち止まり、指を指してそう教えてくれた。


 「でっか」


 真っ先に出てきた感想がそれだった。


 その家は周りが塀で囲われており、メインの建物にはいくつかの小さな建物が繋がっていて、少なからず平安時代のお屋敷を彷彿とさせた。


 「敷地だけは無駄に広いんですよね。ちなみにそこの田んぼと後ろの山の一部もうちの敷地です」

 「マジかよ」


 さすがは地域の行政を代々担っている家柄なだけはある。持っている土地の大きさが半端じゃない。


 「緊張してるか?」


 ふと尋ねてみた。


 「そりゃあ、しないわけないじゃないですか。一体どんな顔をされるのか……」


 やはり萌香の中にはまだ少なからず不安があるようだった。俺はそんな萌香に声をかける。


 「とにかく全てのことを正直に打ち明けよう。そしたらきっとわかってくれる」


 俺が言うと、萌香は頷いた。


 「……はい。信じます」


 そして俺たちは歩き出した。


 家が近づくにつれ、どうしても心臓の鼓動が高鳴ってくる。でも、もう引き返すことはできない。今はとにかく、前に進むことだけを考える。


 ついにインターホンの前までやって来ると、萌香は一度大きく息を吐いた。


 「じゃあ、押しますね」

 「うん」


 満を辞して、萌香はインターホンを押した。


 ————ピーンポーン。


 古めかしいインターホンの音が鳴り響いた。

 すると次の瞬間、塀の向こう側から「はーい」という女性の声が聞こえてきた。おそらく萌香のお母さんだ。


 こちらに向かってくる足音が次第に大きくなると、やがて目の前の閉められていた扉がゆっくりと開かれていき、ついに萌香のお母さんが姿を現した。


 お母さんは髪を後ろで縛っており、化粧はとても薄いように見えた。それでもその顔には萌香の面影が確かにあって、間違いなく美人と呼べる顔立ちをしていた。


 「萌香……?」


 お母さんは扉のところで立ち尽くし、現実を受け止められないといった様子で萌香の顔を見ていた。


 そして次の瞬間、お母さんの目からは涙が溢れ出し、その綺麗な白い肌を滴った。


 「……お母さん、ごめんなさい」


 萌香がそう言って謝ると、お母さんは何も言わずに萌香を抱きしめた。


 お母さんが嗚咽混じりに泣いているのが聞こえてくる。


 「よかった……よかった……」

 「ごめんなさい……」


 どうやら萌香も、お母さんの胸に顔を埋めながら泣いているようだった。


 俺はしばらく二人が抱擁し合っているのをただ眺めていたが、このままではいけないと思って口を開く。


 「お母さん、この度は本当にご心配をおかけしました」


 俺が言うと、お母さんは抱きしめていた萌香をそっと離し、その赤くなった目で俺の方を見てきた。


 「あなたは……」


 お母さんはここでようやく俺の存在に気がついたようで、俺を見るなり何を言ったらいいのかわからないといった様子だった。


 「お母さん初めまして、久東圭太と申します。僕は今、萌香と一緒に暮らしている者です。約一ヶ月前に萌香を見つけて、放っておけなくて、勝手に家に上げてしまいました。もちろん、萌香に手は出していません。ですが今までご両親になんの断りもしていなかったこと、本当に反省しています。申し訳ありませんでした」


 俺は誠心誠意、頭を下げた。


 しかし当然、これで許されるとは思っていない。どんな叱りを受けようと、受け止めなければならない義務がある。


 「そんな……頭を上げてください……。お願いですから……」


 そう言われてから俺はやむなく頭を上げ、お母さんの顔を伺った。お母さんの顔には、まるで怒りの感情が表れていなかった。


 「詳しいことは何も知りませんが、今まで萌香をかくまってくれていたのなら、それはこちらが感謝しなければなりません」

 「いえそんな……」


 俺が何も言えずにいると、お母さんは扉を目一杯に開けた。


 「二人とも、とりあえず中に入って。詳しいことは中で話しましょう。今はとにかく、萌香が無事でいてくれたことが何より……」


 お母さんはそう言いながら涙を拭っていた。萌香も同様だった。


 そんな二人の様子を見ていると、俺の胸は自然と熱くなっていく。


 たしかに萌香は家族を嫌っているようなことを言っていたが、どうもこの様子を見る限り、親子の愛情は間違いなく存在していた。


 俺はなんとしてでも、この親子の関係を守らなければならないような気がした。


 そして何より、萌香の意志を守らなければならない————。




 「二人とも、ちょっとここで待ってて。お父さんを呼んでくるから」


 十畳くらいはありそうな和室に通された俺たちは、そこで正座をしてお母さんがお父さんを呼んでくるのを待っていた。


 ついさっき約一ヶ月ぶりに母と再会をした萌香の目元は、まだほのかに赤くなっている。


 「気持ちの整理はできたか?」


 尋ねてみると、萌香は小さく一回頷いた。


 「泣いてちょっとスッキリしました。でもここからが本番です。ちゃんと自分の気持ちを伝えないと」

 「そうだな。俺も覚悟はできてる」


 それからお父さんがやって来るまで、俺たちは何も話さず、ただ黙って座っていた。


 やがて廊下の方からドタドタと誰かが小走りでやって来る音が聞こえてくる。


 俺たちは音が聞こえるとすぐに立ち上がり、お父さんが部屋に入って来るのを待った。


 部屋に入ってきたお父さんは、想像していたよりも迫力に満ちた見た目だった。


 お父さんをじんべいを羽織っており、身長は少なくとも180センチはあるようだった。そしてその顔には髭が蓄えられていて、どこか戦国武将のような豪傑さを漂わせていた。慌てて来たせいでぜえぜえと息を切らしているのも、より一層その迫力を増幅させている。


 「お前……!」


 お父さんは顔に血を上らせると、真っ先に萌香の方へと近づいた。お母さんは後ろからお父さんを抑制するように何か声を掛けたが、お父さんの耳には全く届いていないようだった。


 「何を考えてんだぁ! お前が家を出てもう一ヶ月だぞ! 親に無断でよくもあんな勝手な真似を! こっちは警察にも捜索願いを出したんだぞ! どれだけ色んな人に迷惑をかけたかわかってるのかぁ!」


 どうやらお父さんは隣にいた俺の存在にも気がついたようで、俺を見るなり一層顔を赤くさせた。


 そしてお父さんは俺の胸ぐらを掴み上げ、背中を壁に勢いよく押し付けてきた。


 「貴様かぁ! 萌香を振り回したのは!」

 「お父さんやめて! 圭太くんを離して!」


 萌香が叫んでも、お父さんの力が緩むことはなかった。


 「圭太くんだと? 随分と親しげなんだな」

 「違うのお父さん! その人は私を救ってくれた恩人なの!」

 「そうよお父さん、その方がいなければ本当に萌香がどうなっていたか……」


 萌香に続いてお母さんも説得を試みてくれたが、それを聞いたお父さんはまるで呆れたような顔をした。


 「母さんまで何を馬鹿なことを。名前も知らない未成年の女を家に上げるような奴がまともなわけないだろ! 犯罪行為だってわからないのか!」


 お父さんがそう声を上げると、誰も何も言えなくなった。


 お父さんは正論を言っている。


 仮にも成人年齢に達している俺が未成年を家に上げるという行為は、理由はなんであれ、見方によれば誘拐だ。それが親目線ともなれば、見知らぬ男に我が娘を無断で長期間家に上げられたことを看過できるわけがない。なので今俺が受けている仕打ちは、いたって正当なものなのだ。実際こうなることはある程度覚悟していた。


 「お父さんは何も間違っていません。僕が娘さんを家に上げたことは事実ですし、それについては弁解の余地もありません。ですが、やましいことは何一つしていません。それは本当です。どうか信じてください」


 俺がなんとか声を絞り出して言うと、お父さんの手が少し緩まった。


 「本当なんだな?」

 「はい」


 それからお父さんは萌香の方に目を向けた。


 「萌香、本当に何もされていないんだな?」

 「……うん。圭太くんがいなかったら、本当に……私は……」


 萌香は言葉を詰まらせ、泣き始めた。


 その姿を目の当たりにしたお父さんは、掴んでいた俺の胸ぐらから手を離した。


 「お父さん、まずは話を聞きましょう。そうでないと、わかるものもわかりません」


 お母さんはそっと言い聞かせるように言った。


 少しの間を置いて、お父さんは長机の向かい側に腰を下ろした。


 「……わかった。二人とも、事実を話しなさい」

 そう言われ、俺と萌香はお父さんとお母さんに向かい合う形で長机の前に正座した。


 萌香の嗚咽が収まってから、俺たちはこれまでの全てを話し始めた。

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