第2話 帰宅


 「きったなぁ……」


 少女が俺の部屋を見て言い放った第一声が、それだった。


 「最初の感想がそれかよ。まあ……無理もないけど」


 たしかに、俺の部屋は見事な汚部屋だった。


 床にはコンビニの袋やらペットボトルやらが散乱しており、机の上には種々のゴミが山となっている。


 ちなみに俺の家は二階建てのアパートの205号室で、家賃はちょっきり五万円。京都市内のワンルームアパートとしては大体相場だ。


 この家の一番の魅力は、なんと言っても大学まで徒歩十分という点にある。人によっては、家が大学から近いと友達の溜まり場になるから嫌ということもあるらしいのだが、友達がいない俺にとっては全く関係のないことだった。


 もちろん、一人暮らしを始めてから家には家族以外誰も上げたことがない。なので、少女が初の来客になるわけだった。


 「よくこんなところで生活できますね」

 「ついさっきまでゴミ箱に入ってた奴にだけは言われたくねぇよ」

 「ごもっともです……」


 そして少女は顔を少々引き攣らせながら、靴を脱いで部屋に上がった。


 「お邪魔しまーす……」


 足元には当然のようにゴミが散乱しているので、俺も少女もそれを巧みに交わしながら足を進める。


 そのままの流れで手洗いを済ませると、彼女はおもむろに床に散乱しているゴミを拾い始めた。


 「ちょ、何やってんだ」

 「掃除してもいいですか?」

 「はい……?」


 いきなりの提案に、空いた口が塞がらなかった。


 「さすがに散らかっていることくらいは自覚していますよね?」

 「ま、まあ……」

 「ならしましょう、掃除。大丈夫です、私が全部やりますから。ゆっくり座っていてください」

 「いやいいよそんな……」

 「いえ。タダで泊まらせていただくんですから、せめてものお礼くらいはさせてください」


 正直来客に掃除をさせると言うのは気が引けてならないのだが、言っても聞かなそうなのでここは素直にお願いしておこう。


 「……わかったよ。じゃあ頼んだ」

 「はい! 頼まれました!」


 少女は背負っていたリュックを置き、せっせと掃除を始めた。


 俺も何か手伝おうかと思ったが、あまり介入して欲しそうじゃなかったので、大人しくベッドに腰を下ろしてじっとしておくことにした。


 ……だが、掃除している少女をただ眺めているというのもさすがに癪だったので、軽く質問でもしてみることにした。


 「そういえばお前の名前とか年齢とか、なにも聞いていなかったよな」


 まずはそこからだった。


 「たしかにまだ名も名乗っていませんでした。えーっと……私は湊川萌香みなとがわもえかと言います。年齢は十六歳で、一応高校二年生なのですが、このままだと高校は強制退学なので、実質フリーターです」


 少女は手を動かしながらもしっかりと答えてくれた。


 「そうか……。お前がどうしてこうなっているかはとりあえず聞かないでおくが、少なくとも色々と大変そうなのはなんとなくわかる」


 俺が言うと、少女は突然不満そうな顔でこちらを向いてきた。


 「私の名前は『お前』ではありません。湊川萌香です」

 「あー……えっと、じゃあ……湊川」

 「萌香で」

 「……わかったよ……萌香」

 「ふっ」


 こいつ、鼻で笑いやがった。


 「おい何笑ってんだ! しょうがねぇだろ! 女の子を名前呼びするなんて慣れてねぇんだから!」

 「さては、童貞ですか」

 「うっ……」


 図星だった。


 「……悪いかよ」

 「いえ、私も処女ですから。馬鹿にできるようなタチではありません」

 「そ、そうか」


 萌香の口から突然発せられた『処女』という単語に、動揺を隠しきれない童貞の俺であった。


 「私もあなたのお名前を伺っていませんでした」

 「そういえばそうだったな。俺は久東圭太くとうけいた。十八歳の大学一年生」


 俺が答えると、萌香は軽く頭を下げてきた。


 「改めて、お世話をかけます、圭太さん」


 いきなりさん付けで呼ばれ、どことなく違和感を覚える。


 「まあ……なんだ、そんなにかしこまらないでくれ。なんなら、そのさん付けいらないから」

 「そうですか……。じゃあ、圭太くんでもいいですか?」

 「いいよそれで」

 「じゃあ、圭太くんで」

 「おう」


 女の子から『くん』付けで呼ばれてみると、これがまた、そこそこの破壊力がある。ましてや相手が美少女JKともなると、なおさらだった。


 結局それからというもの、萌香は黙々と掃除をしてくれた。


 最初こそ俺はそれを見ているだけだったが、さすがに手持ち無沙汰過ぎたので途中からは半ば強引に掃除に参加した。


 なんだかんだ、掃除は二十分ほどできりがついた。


 おかげで床は真の姿を露わにし、心なしか以前よりも部屋が広く感じられるようになった。


 「いやぁ、マジで助かった」

 「いえいえ、大したことではないです」


 ここでふと、ベッドの近くにおいてある電子時計に目をやると、時刻はすでに深夜の一時に差し掛かろうとしていた。


 「そういえば、萌香は夜ご飯食べたのか?」

 「あ、えっと……まだ食べていません」

 「マジかよ……。カップラーメンくらいならあるけど、食べるか? ……てか、食べろ」

 「……なら、お言葉に甘えて」


 俺は急いで電気ケトルに水を入れてお湯を沸かした。


 そのカップラーメンは俺が食べる予定のものだったが、一応バイトの休憩時間に軽食を摂っているので、今晩くらいは夕飯抜きでも我慢できる。今はそんなことよりも、萌香がまだ夜ご飯を食べていないという事実が驚きだ。このまま外に放っておこうものなら、挙句の果てに餓死してしまいそうで怖い。


 電気ケトルは極めて優秀で、ものの二分くらいでお湯を沸かしてくれた。


 俺はそそくさとカップラーメンにお湯を注ぎ、蓋の上に割り箸を乗せて、それをベッドに腰掛ける萌香のすぐ前にある机に置いた。そして萌香の隣に腰を下ろす。


 カップラーメンが出来上がるのを待っている間、萌香は終始申し訳なさそうな顔をしていた。


 「なんか至れり尽くせりで申し訳ないです」

 「いいんだよ別に。掃除もしてくれたんだし」

 「だとしても、圭太くんは優し過ぎます。一周回って怖いくらいです」

 「俺は別に、見返りを求めたりはしないから。これでも、久しぶりに若い子と会話ができて嬉しいんだ」


 俺の言葉に、萌香は思わず顔を引き攣らせた。


 「なんですかその言い方。老人じゃあるまいし」

 「仕方ないだろ、実際そうなんだから」

 悲しいことに、若い子————それも女の子とまともに会話をするのは、相当久しぶりのことだった。

 「圭太くんって大学生なんですよね? だったら若い子と話す機会なんていくらでもあるじゃないですか」


 全くその通りだ。だけど俺は違う。


 「あいにく俺は大学に友達がいないんだよ。もちろん、好きで友達を作っていないわけじゃない。苦手なんだよ、人と深く関わるのが。なんか面倒臭くなっちゃって。結局毎回一人でもいいやってなるのがオチ」

 「……なんか、わかる気がします」


 萌香は足元をゆらゆらと揺らしながらそう言った。


 その足はとても細く綺麗で、俺はつい目を奪われしまう。


 「……萌香も、人と関わるのは苦手なのか?」


 なんとなく尋ねてみると、萌香は小さく頷いた。


 「私もついこの前まで高校に通っていましたけど、人間関係に関しては最悪でした。いわゆるいじめというものに遭っていまして」


 意外だった。萌香とはまだ出会ってほんの小一時間の間柄だが、いじめられるような要素はどこにも見当たらない。


 「そうか……。それで高校も辞めたわけか」


 俺の言葉に、萌香は首を横に振った。


 「いえ、いじめが原因で高校を辞めたわけではありません。ていうか、正式にはまだ高校を辞めたわけではないんですけどね」

 「そういえばそうだったな」


 これ以上あまり踏み込んでも萌香に悪いような気がしたので、ここらで話を終わらせておくことにする。


 「そろそろできたんじゃないか」


 俺は目の前に置かれたカップラーメンに目をやりながら言った。


 「そうですね。では、いただきます」


 萌香は礼儀正しく手を合わせてから麺を啜り始めた。


 食べている様子をあまりまじまじと見るわけにもいかなかったので、俺は萌香が食べている間、なんとなくスマホをいじっていた。


 「生き返るって……こういうことなんですね……」


 いきなり萌香が感慨深そうに呟いた。


 「そんなにうまいか」


 俺がそう言い返すと、萌香は満面の笑みで言う。


 「はい! とてもおいしいです!」


 この瞬間、俺は初めて、誰かの笑顔を守りたいと思った。

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