第5話 泣いて肉じゃが(1)


 ――肉じゃがが食べたいです。


 そんな文面の書かれたチャット履歴を見てニヤニヤしている貧しい独身OL。

 それが、今朝の私、小町青葉である。


 先日、連絡先を交換したのだ。

 男子高校生とアカウント交換なんてなんだかいかがわしく思えるが、決して、決して、決してやましい気持ちは決してない。

 いつでも来てよいと、先日私は彼に言ったわけだが、過酷な最低賃金系社畜である故に、残業で遅くなってしまうこともある。

 その場合、きっと彼はまたこの寒空の下、吹き曝しのドア前で忠犬のように待ってしまうだろう。

 それをイメージするだけで私の胸を苦しくなるし、なにより生活安全課が来てしまう恐れがあるので、事前にメッセージを入れようという、単にそういうだけの動機であった。

 ただ、今日は早く帰るよ、というやりとり自体いかがわしいのは、否定できないけれど。


 承知しました、とメッセージを返し、私は人肉の押し寿司みたいになっている通勤電車のドアを仇のごとく睨む。

 どうやら、海斗くんは肉じゃがをご所望のようである。

 和食の代表にして、有無を言わせぬ家庭料理、肉じゃが。

 腕によりをかけて作らねばならぬ……



   ◇ 


 海斗くん効果は、生活の他の部分にも波及するらしい。

 驚くことに、あんなに嫌だった仕事にも、張り合いが出た。

 ゆくゆく残業に育ちそうな仕事を早めに刈り取り、提出書類もパパッと済ませる。

 すべては夜の肉じゃがのため。

 やるなら、しっかり作りたい。

 残業なんかしてられっかい。


 料理は、一人でも楽しかった。

 けれど、二人ならもっと楽しい。

 食べてくれる人がいるだけで、こんなに違うものなのか。


「恋っすか」

「へ?」


 昼休みのことである。

 いつもは食事を済ませると机に突っ伏して寝てしまう築山美玖さんが、私に視線を向けていた。

 海外から輸入された珍動物を檻越しに見るかのような、興味深げな視線だ。

 貧乏人はお洒落にイタリアンランチなどすることもできず、いやそもそも外にろくな食事処もない隔離棟のようなオフィスで。

 大半の人間がしょっぺえ弁当を食べている、その凝り固まった空間で。

 彼女の短い質問がその意味するところを伝えてくる。


「……そんなにウキウキしてみえる?」

「っす」

「そう……」

「恋っすか」


 そんなまっすぐな目で聞くのはやめてほしい。

 あと二度言わないでほしい。

 周囲の人が聞き耳を立てているのは、声が聞こえなくともわかるから。


「恋ではないです」

「恋未満っすか」

「やめてくれない? その、恋愛軸を基本にするの」

「だって、先輩今日朝からすごいウキウキしてますよ。隣から幸せオーラガンガン飛んできます」

「そんなに……」

「あと数分で死ぬみたいな顔してない先輩、初めて見ました」

「いつもそんな顔してたの私……」


 自分のことはわからないものである。

 人のことは嫌でもわかるのに。

 というか、もし毎日そんな顔してたら、もう少し心配してくれてもいいのでは?


「別に特別なことはないよ。ちょっと知り合いの子が遊びに来てて、元気が出てるだけ」

「へぇ、いいっすね。何歳の子っすか?」

「えっと……十七……」

「思ったよりでかかった。あ、え、男っすか?」

「女」


 嘘である。

 食い気味の嘘である。

 口から出まかせとはこういうときに使う言葉であろう。

 この真っ赤すぎる嘘がバレたのか、バレなかったのか、それはわからないが、私の言葉を受けて築山さんは笑う。


「まぁ、どちらにしろ仲良しっすね。いいなぁ、楽しそうで。あたしの生活にはそんなイベントもないっすわ。楽しそうでいいなぁ」


 そう言って、再び腕に突っ伏す。

 同僚との会話はそうして唐突に終わる。

 昼寝さえ時間に追われる我々には、ちょうどいい会話の切れ目など用意する手間も惜しく、めんどくさいのだ。


 私は彼女が寝入る様を見送ってから、スマホを取り出して、チャットアプリをなんとはなしに開く。

 会話タブに新しく追加された海斗くんとの空間。

 まだほとんどスライドしなくても遡れるくらいの短い履歴を、じっと見つめてしまう。


 ――肉じゃがが食べたいです。

 

 それをまるで愛の告白文であるかのように眺めている自分に気付いてから、私は気恥ずかしくなって、スマホを閉じて私も机に体を預けた。

 年甲斐もなくワクワクしちゃってる自分を、少し恥じながら。



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