桜色の樹

ましさかはぶ子

1 築ノ宮彬史





つきみや彬史あきふみ、彼は時々街を一人で歩く。


いつもとても忙しい。

主に相談ごとばかりだが。


彼は若い。

だが彼の元には国の主要人物が

入れ代わり立ち代わりやってくることもある。

ほとんど大したことが無い保身に近い相談ごとばかりだ。

だが稀に国家存亡にかかわる話がある。


そのような大きな要件がついこの前ある程度の解決を見たのだ。


彼は久し振りに街を歩いた。

今日は彼がたまに行く大型のショッピングモールだ。

人通りもかなり多い。

半日かけて買い物を堪能した後だ。

いつもは背広だが今日はトレーナーに帽子をかぶっている。

持っている鞄には今日の戦利品が沢山入っていた。


人の行き来を見ながら彼はベンチに座った。

このような場所には意外と物の怪や霊的なものがいる。

ほとんどの人は気が付かないが

勘の鋭い人なら異様なものの気配は感じるかもしれない。


だがそれも一瞬だろう。

人が多ければ多い程、そのような微かな気配はかき消えてしまう。


その程度で消えるものは怖くはない。

気を付けなければいけないのは

そんな気配にも消える事が無いものだ。


それを築ノ宮は探している。


彼の気配を感じて逃げるものは怖くはない。

祓う必要もない。


だがその日、彼はいつもと違う気配を感じた。

初めて感じるものだ。

とても微かな細い何かだ。


彼はそれを辿る。

手を繋いで歩く家族連れ、じゃれ合うように笑い合うカップル、

そんな人々の間を築ノ宮は細い糸を見失わないように歩いて行く。


そして辿り着いたのは建物の隅にある一画だった。


「占いコーナー……。」


そこは様々な占いを提供している場所だった。


畳二畳分だろう細かく区切られて黒いカーテンがかけられている。

その入り口にはその占いの種類が書かれた文字とイラストがあり、

占い師の名前もあった。


どの小部屋にも人は入っている。

中には外で人が待っている所もあるが、

ある一部屋だけ妙に沈み込んでいる所があった。


「トランプ占い、波留はる……。」


築ノ宮が辿って来た細い気配はそこから出ていた。


彼はカーテンに手を掛けた。




中は少しばかり薄暗い。

そして小さなテーブルがありその向こうには

大きな黒枠のメガネをかけトレーナーを着た若い女性が座っていた。

彼女の髪は桜色をしていた。


彼女は入って来た築ノ宮に気が付いてそちらを見た。

しばらくぽかんと彼を見ている。


「……よろしいでしょうか。」


あまり返答がないので築ノ宮が声をかけた

すると女性がはっとした。


「も、申し訳ありません、いらっしゃいませ。」


彼女は焦ったように頭を下げた。


「う、占いですね、その、あの、う、占いですか?」


彼女は素っ頓狂な声でうろたえたような言い方だ。

築ノ宮は彼女を見る。

確かにあの気配はこの女性からだ。


「はい。お願い出来ますか。」


彼はにっこりと笑って彼女の前に座った。


「う、占う事は何でしょうか?」

「仕事でしょうか。なかなか難しい事ばかりで。」

「はい……。」


彼女は少しばかりおどおどしながら

テーブルに置いてあったトランプの山を築ノ宮の前に置いた。


「これに手をかざしてください。」


築ノ宮は言われた通りトランプの上に手をかざした。

その後彼女、波留はそれを取り

胸元で少し祈るように両手で包んだ。

それからトランプをしばらく切る。

やがて彼女はそこからカードを何枚か出した。


そこにはキングのカードが4枚あった。

そして次をめくると10のカードが4枚だ。

どうも彼女独自の占い方らしい。


彼女ははっとして築ノ宮を見た。


「一体あなたは誰ですか?」


大きな眼鏡の奥から彼女の目がひたと築ノ宮を見た。

築ノ宮は苦笑いをする。


「その、通りすがりに少しばかり気になってここに来たんですよ。」


彼女がテーブルの上のカードを指した。


「キングが4枚です。

落ち着いた人物、王としての風格。責任ある立場。

そして10は物事の完成形です。

仕事上は何事も問題はありません。」


そしてもう一枚彼女はカードを開いた。


「あっ。」


思わず築ノ宮が声を上げた。


「ハートのA……。」


波留と築ノ宮の目が合う。


そして彼女はもう一枚カードを開く。


「ジョーカー……、逆位置……。」


築ノ宮は詳しくはないがタロットカードなどでは

逆位置のカードはあまり良くない意味とは知っていた。


「良くないと言う事ですか?」


築ノ宮は静かに聞いた。


「最後に何かしらトラブルがあるかもしれません。

ハートのAは正位置なので大きなトラブルはないと思いますが。」


波留が言う。

彼女にはもうおどおどした様子はなかった。


「油断なさらずお仕事をなさって下さい。」

「……あなたには本当に能力があるようだ。」


波留がはっとして築ノ宮を見た。


「いやその、えっと……、」


その言葉を聞くと彼女は急に最初のような

おずおずとした様子に戻ってしまった。

築ノ宮がそれを見て口元を押さえる。


「衣装も占い師らしい服装にするとよいでしょう。

まずは黒っぽいブラウスみたいなものが良いのでは。」


波留がぺこぺこと頭を下げた。


「すみません、あの、私最近この仕事を始めたばかりで、

ほとんどお客さんは来なくて……。」


築ノ宮はこのショッピングセンターには

ひと月に一度ぐらいだが何度も来ている。

だがこの彼女は最近この仕事を始めたらしい。。

だから今日初めてその気配を感じたのだろう。


「私は数少ないお客さんの一人なんですね、嬉しい話だ。」


築ノ宮がにっこりと笑うと波留が真っ赤な顔になり俯いた。


「それとその髪は染めていらっしゃるのですか?」


波留が少し顔を上げて上目遣いで築ノ宮を見た。


「いえ、地毛です。」

「えっ、地毛ですか?」


思わず築ノ宮が驚いたように言った。

彼女の髪はとても地毛とは思えない綺麗な桜色だ。


「生まれながらにそのような髪色の方は初めて見ました。

お子様の時は大変だったんじゃないですか?」


築ノ宮が感心したように言う。


「ええ、まあ、子どもの時はまだ薄い茶色みたいな感じでしたから

どうにかそのままで通じたので。

でも数年前からどんどん色が抜けてこんな色に。」


彼女は照れたように頭をぼりぼりと掻いた。

それを見て築ノ宮が腕組みをして考え込むようにしばらく彼女を見た。

波留はその様子を見て思わずもじもじとする。

築ノ宮はそれを見てはっとした。


「申し訳ありません、思わず考え込んでしまいました。

その、」


築ノ宮が彼女を見た。


「先ほど占い師らしい黒い服装でと言いましたが、

地毛がそのような美しい色ならばそれに合った服装にしましょう。

綺麗な可愛らしいもので。

髪型も女性らしくまとめましょう。

そして占う内容も単なるトランプ占いではなく、

見た目に合わせて恋占いみたいに限定すると良いかもしれません。

あ、お名前は波留でよろしいでしょう。

とても良い名前です。

それとその眼鏡は伊達眼鏡ですね。」


築ノ宮はそこまで一気にまくし立て、波留はその前でぽかんと彼を見ていた。

そして築ノ宮は自分が今何をしたのかはっと気が付いた。


「……、すみません、つい。」


築ノ宮が恥ずかし気に頭を下げた。

波留がそれを見て口元に手を当てて少し笑った。


「いえ、とんでもありません。

とても良いアドバイスを頂いた気がします。

私はあなたを占いましたが、こちらが助けられた気がします。

ありがとうございました。」

「そう言っていただけたなら……。」


彼女が彼を見た。


「お仕事はプランナーとかプロデューサーとか

なさっているのですか?」

「そうではないのですが、」


築ノ宮はふと現実を思い出す。

ここに来たのは何か特別な気配を感じたからなのだ。

そしてその気配は目の前の桜の髪色の彼女が放っている。


人と物の怪が混じった気を。


この大人し気な波留と言う女性は人と物の怪の間の人なのだ。


「人を使う仕事をしているのは確かです。

あなたに占ってもらいましたが、確かに仕事は安定しています。

あなたの言う通りです。

あなたには本当に何かを見る力がある。

それを善い事に使って人を助けていただけると私は嬉しい。」


築ノ宮は表に書いてあった占い料より少し多めに

お金をテーブルの上に置いた。


「あ、いえ、色々アドバイスを頂いたので、」


と波留が手を振った。


「いえ、受け取って下さい。

僭越ながら色々と申し上げましたが、

お気になさらずそれを受け入れて頂くと

多分色々とうまく行くと思いますよ。」


築ノ宮が立ち上がり波留に言った。

彼女は立ち上がり頭を下げた。


「ほ、本当にありがとうございます……。」


そして彼は小部屋を出て行った。


「入って良いですかぁ?」


築ノ宮との会話の余韻を噛みしめる間もなく

入れ違いに女の子二人が入って来た。


「は、はい、いらっしゃいませ。」

「あの、さっきの人、」


二人の女の子が顔を見合わせてそれから波留を見た。


「常連さんですかぁ?」

「物凄くかっこいい人、びっくりしちゃって。」


彼女達は築ノ宮につられて入って来たのだ。


「いえ、初めてのお客様ですよ。ところで何を占いましょうか。」


波留はにこりと笑う。


「色々と占いますが恋占いが得意ですよ。」


先程築ノ宮が言ったアドバイスだ。

女の子は顔を合わせて恥ずかしげな顔になる。


「なら、実は同じクラスの男子ですけど……、」

「はい。ならばこのトランプに手をかざしてください。」


波留はにっこりと笑って彼女を見た。

そしてその向こうに彼女の景色を見る。


同じクラスの気になる男の子、

柔らかな気持ちが波留には見える。


そしてその結果はカードが教えてくれるだろう。


波留は昔からそのようなものが見えてカードも

何かを教えてくれた。

それがどうしてなのかは分からない。


そしてどうしてそんな特別な能力が自分にあるのか、

彼女は分からなかった。




築ノ宮はしばらくそのショッピングモールにいた。

あの占いの彼女から少し離れた所で再び彼女の気配を探った。


普通の人とは違うその雰囲気、

今時は髪の色を染める人は多い。

だが彼女のあの髪の色は染めたものではない。


春を象徴する桜の花と同じ色。

風が吹けば花弁はまるで雪のように降って来る。

美しいその景色。

それと同じ色の髪を持つ彼女。

そして桜の樹は……。


築ノ宮ははっとする。


何故そのような美しい景色を思い浮かべるのだろう。

それはたぶん彼女には闇が無いからだろう。


「心配はない、と言う事か。」


築ノ宮は呟いた。

波留と言う女性は純粋なのだろう。


だが彼は難しい顔になる。


純粋であればあるほど悪意につけ込まれる隙が出来る。

先程の様子を見ても人を疑うタイプではないだろう。

素直な人だった。

そして不思議な力も持っている。

だからこそ危ういのだ。


そして彼女は占いを生業としている様だ。

人の心に近づく仕事だ。


築ノ宮はしばらく考え込んだ。


薄暗い部屋でぽかんとした顔で自分を見ていた彼女を思い出す。

世に擦れていない純朴な顔だった。

彼の口元が少しだけ緩んだ。

そして何かを思い出した。


「また様子を見に来ないといけませんね。」


それは彼の仕事上必要な事だ。

彼女は物の怪の気配を纏っている。

何が起こるか分からない。


だがそれは彼が自分自身に言い聞かせる言い訳のような気がした。






それから2週間ほどした時だ。


築ノ宮がある人の相談事を聞きに行った帰り道だ。

それは大変な話だった。

彼は頭の中で色々と考えていた。


築ノ宮の仕事は物の怪に関わるものだ。

彼の勤め先は三五さんご商社と言う中規模の会社だ。

それほど大きくはないが三五と言う名の自社ビルがあり、

そこで本部長の役職に就いている。


だがそれは表向きで実際は超自然現象や

物の怪が原因で起きた事件を解決する仕事だ。

国の存亡にも関わる大きな出来事も扱う。


そのトップにいるのは築ノ宮だ。

10年程前から父親から首領としての座を受け継いでいる。


そして彼の家系は大昔からその役を請け負っている。

日本にいる沢山の呪術師のトップなのだ。

彼が動けば国が変わるほどの影響力がある。


今日も重要な役職に就いている人物と会い、

相談事をされた。


それを何もせず捨てておけばとてつもない事が起こるのだ。


彼は考えていた。

そしてふと窓の外を見る。

この前行ったショッピングモールが見えた。

彼は目線でその建物を追う。


「すみませんが、この後は予定は入っていませんよね。」


彼は隣に座っている秘書の渡辺由美子に声をかけた。


「はい、ございませんが。」

「ならあのショッピングモールに行っていただけますか?」


由美子ははっとする。

今日のような難しい案件の後は彼は執務室に戻り

一人で考える事が多いのだ。


「モールですか?あそこは多分あと30分程で閉店ですよ。

お買い物ですか?」

「いや、そうではないのですが……、」


話を聞いていた運転手がそちらに向かう。


「それと私だけ降りますから、皆さんそのままお帰り下さい。」

「築ノ宮様はどうされるのですか?」


少し驚いた様子で由美子が言った。


「タクシーで自宅に帰ります。今日の話はまた明日考えましょう。」


車はすぐにモールに着いた。

築ノ宮を降ろして車はすぐに走り出した。


「珍しい事もあるものだな。」


運転手が由美子に言った。


「そうね、びっくりしたわ。」

「もしかすると趣味のあれ、買いに行ったのかな?」


由美子がふふと笑う。


「先々週ごっそりと買って来たから今日は違うと思うけど。

でも何かしらね。」


由美子は外を見た。


彼女は築ノ宮より15歳ほど年上だ。

最初は彼の父親の秘書として働き出した。

その頃築ノ宮は中学生だった。


最初の印象はなんて綺麗な子どもと思ったが、

中身は全然違っていた。

とてつもない我儘で実に腹黒かった。

頭が回るのだ。

由美子もかなり馬鹿にされて腹の立つことも多かった。


暴力はないが人を操るのが上手く、

学校でもまるで皇帝のように全てを支配していた。

彼女も何度学校に赴き、

事後処理を行ったのか覚えがないぐらいだった。

彼がやった事を全て隠蔽するためだ。


だが15歳になる頃、突然彼はいなくなった。

聞き伝てでは修行に行っているらしい。


そして3年後、戻って来た彼は以前と全く変わっていた。

我儘は全く無くなりまっすぐ前を見て堂々とした様子になっていた。


その3年間で彼に何があったのかは良くは分からない。

ただ彼には誰も逆らえない後ろ盾が出来たのは確かだった。

そして彼が言う事は全て公明正大、

私利私欲の無いまっすぐな言葉ばかりだった。

彼の父親ですら築ノ宮が決めた事を翻す事が出来なくなった。


彼の前までの世代は正直なところ人の欲がどろどろと渦巻いていた。

訳の分からない金が動いていた。


だが年若い築ノ宮が首領としてすべてを取り仕切るようになった頃から、

この歴史がある重々しいものが変わって来たのだ。


だがそれも始まったばかりだ。


今だに苦労も多い。

築ノ宮は身を粉にするように毎日を過ごしていた。


「でもたまにはこんな事があっても良いと思うわ。

あの人はとても強いし、一人でも大丈夫だから。」


バックミラー越しに見る運転手の目も少し笑っている。

築ノ宮はまだ若い。


そして彼に手を出すものは誰もいないだろう。

少しでも彼に手を掛けたらとてつもないさいが下るはずだ。






築ノ宮は急いで占いのコーナーに向かった。

もしかするともう終わっているかもしれない。

だが彼女の気配はそこにあった。


「まだ終わっていない。」


待合の椅子には誰も座っていなかったが、

それぞれの室内に占ってもらっている人は何人かいるらしい。

そして波留の小部屋のカーテンには

『トランプ恋占い・波留』

とあった。

中には人がいるらしく

少女の小さな笑い声が聞こえて来た。

築ノ宮はその近くの椅子に座って順番を待った。


「ありがとうございました。」


中から高校生ぐらいの少女が出て来た。

一瞬築ノ宮と目が合うと少女は立ち竦む。

築ノ宮は少し笑って頭を下げた。


彼は自分が人からどのように見られているかよく分かっていた。

だから子どもの頃は傲慢な心を持っていたのだ。

自分が生まれた家系もとてつもないものだ。

それ故に何をしても許されると。


だがそれも間違っていたのだ。

そして自分の容姿もある意味ギフトであると理解していた。

それをどう使うかは自分次第だ。

今では自分の能力全ては

善き事に使うために持っているのだと彼は考えていた。


部屋から出て来た少女は恥ずかし気に笑って頭を下げて

小走りに走って行った。

築ノ宮はそっとカーテンを開ける。


するとトランプを片付けている波留がいた。

時間的にもう終わりなのだろう。

彼女は顔を上げると入って来たのが築ノ宮であることに気が付き

ぽかんとした顔になった。


「終わりでしょうか?」


波留はその顔のまましばらく動かない。

どこかからか静かに終わりの音楽が流れてくる。


「あ、あの、そうです、その……。」


彼女の様子は以前と変わっていた。

トレーナーではあったが明るい色の物だった。

胸元には小さなリボンがついている。

髪型もポニーテールになり同じ色のリボンが付いていた。

正直あまりセンスがいいとは言えないが、

前と比べて明るい印象になっていた。

眼鏡はそのままだ。

その奥の大きな瞳が彼を見た。


「随分と変わりましたね。」


築ノ宮がにっこりと笑った。

波留がもじもじとする。


「あの、せっかく来ていただいたのですが、

もうお店が閉まるので……。」

「そうですね、たまたま通りかかったのでどうしているかと

伺ったのですよ。」


波留は真っ赤な顔になった。


「……ありがとうございます。」


消え入りそうな声だ。


「その、よろしければ少しお話がしたいのですが。」


築ノ宮が言った。


「あ、あの、」


赤い顔のまま波留が言った。


「どうして私なんかに……、」


その時だ、年配の警備員が通りがかり部屋を覗いた。


「お時間ですよ、申し訳ありませんが……。」


築ノ宮が彼を見た。


「はい、そうですね。

波留さん、南側の入り口でお待ちしています。」


と築ノ宮がにっこりと笑ってそこを離れた。

警備員が波留を見る。


「誰だい?あの人。怪しい人じゃないと思うが。」


波留がため息をつく。


「私のお客さん。」

「お客さん?」

「色々とアドバイスをくれたの。

それから何となく仕事が上手く行き出したのよ。」


警備員が築ノ宮の後ろ姿を見る。


「まああの身なりは相当金持ちっぽいからな、

波留ちゃんをどうにかする感じじゃないが、

あんたは素直過ぎるからな、気を付けろよ。」

「うん、ありがとう。」


波留は従業員用の出口から出て

築ノ宮がいる客用の入り口に来た。

街路灯が長身の彼の姿を浮き上がらせる。

レンガの歩道に彼の姿が長く伸びていた。


築ノ宮が波留の気配を感じたのか振り向いて

彼女に微笑みかけた。


波留の胸が急に苦しくなる。




波留が築ノ宮と会ったのはほんの二週間ほど前だ。


彼女は昔から変な子と言われ続けていた。


母親は早くに亡くなり父親に育てられていた。

父親だけに育てられたせいか

女の子っぽくなく少しばかり変わった子だった。

色素が薄いのか肌は白く髪の色も薄い茶色だった。


「何だかあの子、目つきがねぇ。」


人から時々そう言われた。

その頃から視力は悪くはないが眼鏡をかけるようになった。


そしていつ頃からか彼女は不思議なものを見るようになった。


「お父さん、あそこになんかいるよ。」


小さな頃にはそれは自然と口に出た。

だがある時父親が言った。


「それは言ってはいけない。

普通の人は見えないものだから。」


父親は優しい人だった。

だがその時の顔は怖い表情だった。


それから波留は無口になり、

そして高校を出てから働き出してしばらくすると

父親も亡くなった。


その頃からだ。

一人になってしまった彼女はトランプを手にして占いを始めた。

父からトランプを持つことは禁止されていたからだ。


それがなぜなのか良くは分からなかった。

だが父親の記憶を彼女は時々見た。


その中にはトランプを手にして微笑む女性の姿があったのだ。


それが誰だか分からない。

彼女はいつも優しく笑っていた。

そして父親の感情だろうか、柔らかくほっとするような気配を感じた。

優しさに満ちた時間だ。


その姿を見ると彼女はとても懐かしい気がした。

そしてその人は自分の母ではないかとも感じていた。


だがなぜか母親の写真は一枚もなかった。

波留は母親の顔を知らない。

父親も母の事は一言も話さなかった。

だが父親の記憶の中の女性はトランプを持っている。

だから彼女はトランプを使うようになったのだ。




「急にお誘いしてすみませんでした。」


築ノ宮が微笑みながら波留に近づいて来た。

彼女は思わず彼に見惚れた。


本当に綺麗な人だ。

彼女はこのような人を今まで見た事が無かった。


物腰も柔らかく言葉も丁寧だ。

身に付けている背広も詳しくない波留でも高級品と分かる。

きっとどこかの上流家庭の出身だろう。

古い団地で育った自分とは違う。

そして波留が時々見る彼の心は清らかだった。

真っ白で水のように透明な……。


だが彼と初めて会った時から

心のどこかでざわざわとした不安のようなものを感じていた。

それがなぜなのか分からない。


「あの、その……、」


言葉が続かない。

どうしてこんな人が自分を構うのかさっぱり分からなかった。


「どうかされましたか?」

「あの、」


彼女はしばらく口ごもる。

だが決心したように言った。


「どうして私なんかに声を掛けられるのですか?」


さっき話した警備員の言葉を彼女は思い出す。

気を付けろと。

だが不思議そうに築ノ宮が彼女を見た。


「気になるからですよ。」


一体それはどう言う意味なのだろうか。

目の前の彼は他意の無い顔をしている。

何も意識していないのかもしれない。

先日彼が言ったアドバイスを

自分が守っているか確かめに来ただけなのかもしれない。


本当にそれだけなのかも、と彼女は思った。

そしてなぜかがっかりしている自分がいる事に気が付いた。


「よろしければお食事などいかがでしょうか。

夕食はお食べになっていませんよね。」


波留ははっとする。


「え、ええ。」

「この辺りでよさそうなお店はあるでしょうか。」

「あー、どうでしょう。」

「少し歩きましょうか。」


と築ノ宮がさっと手を差し出した。

一瞬波留は戸惑ったが彼はにこにこと彼女を見ている。


波留は思う。

これは要するに女性をエスコートする意味だろう。

彼にとっては特別な意味もなくごく自然の行為なのだ

間違いなく彼は上流階級だ。

そして庶民の自分をここまで持ち上げてくれるとは。


波留はそっと手を添える。

築ノ宮がその手を優しく握った。

彼は波留を見た。


「波留さんの手は温かいんですね。」


彼の手は少しばかり冷たい。

外で待たせたからだろうか。


こんな夢みたいな事が起きるとは波留には信じられなかった。

だがこんな役得はあり得ないだろう。

彼女はふわふわした気持ちで彼と歩き出した。







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