第5話 屋上は教師の憩いの場

 先生からの呼び出しRTA、はーじまーるよー!

 登校、そしてホームルームで呼び出し。GG! 世界記録保持者になれそう。


 昨日は結局、何事も無く紗衣を家に帰して終わった。あのまま紗衣に襲われでもしたら急にR指定入っちゃうところだったよ。


 職員室の扉をノックして入る。なんか職員室ってやたら緊張するんだよな。普段来ないし。

 目当ての三枝先生のデスクは入ってすぐ左手。二年生の教員デスクが並ぶ一番手前だ。何故二年生のデスクが一番手前なのかは知らん。俺にとってはありがたい限りだ。


「おお、来たか」


 三枝先生は二十代後半の若い男性教員だ。

 見た目はそこそこかっこいいのに、その髭面といつも気だるげな顔のせいで生徒からは特別人気があるわけでも嫌われてるわけでもない、至って普通の先生。因みに俺は好き。サボっても怒らないし。


「場所、変えようか」

「え、あ、はい」


 ええ、なんで? 怖いんですけど。

 昨日は適当に流してたくせにもしかして今から怒られるんですか? テノヒラクルーしますよ?


 おっかなびっくり連れて行かれた先は屋上。生徒は立ち入り禁止の区域だ。禁断の花園ってやつだな。

 初めて立ち入ったものの、これといった特徴もない普通の屋上だ。花園とは程遠いな。

 扉を開けてすぐの場所には、よく見かける赤い灰皿がぽつりと置かれている。どうやら教員用の喫煙所として利用されていたらしい。


 三枝先生は当然のようにタバコを吸い始める。独特な匂いが周囲に漂い、煙がぷかぷかと空に舞う。

 俺は親父がタバコ吸っていたから嫌悪感はないけど、タバコ嫌いな生徒だったらどうするんだよ。そういう配慮が足りないところだぞ、先生がモテない理由。

 三枝先生はふうっと大きく息を吐き出し、横目でちらりとこちらを見た。


「気分は晴れたか?」

「ええ、まあ」

「そうか。そんならよかった」


 あっさりと流され、少し困惑する。やっぱり怒らないのか。タバコを吸いたかっただけのようだ。やっぱり僕、三枝先生大好き!


「病欠って事にしといたから、他の先生にはそう言っとけよ。じゃないと俺が怒られる」

「分かりました。というか正直に話すと僕も怒られるので」

「だろうな」


 特に大事な会話がある訳でもなく、空に昇る煙をぼんやりと眺める。

 教室戻っていいのかな。戻るタイミングを完全に失った気がする。


「今日、最初の授業は?」

「えっと……確か保健ですね」

「じゃあちょうどいい。一限サボれ」


 何も良くないが。何言ってんだこの人。


「何言ってんだこの人」


 口から出てしまった。

 教師が生徒にサボれって言うのは問題発言ですよ。TPOに訴えられても知らんぞ。ビジネスマナーかな?


「いいだろ保健くらい。受験で困るわけじゃない」

「山本先生に怒られますよ……」

「同期だからいいんだよ」


 保健体育担当の山本先生。体育会系を体現したような人だ。怒ると超怖い。


「やっぱ体調優れなかったってことにしといてくれ」

「それバレて怒られるの俺じゃないですか」


 教師として不適切発言を繰り返し、罪を重ねる三枝先生はさらに一本タバコを取り出す。

 多分この人も一限は暇なんだろう。


「吸うか?」

「吸いませんよ」


 どれだけ罪を重ねれば気が済むんだこの人。罪状でミルクレープでも作ってるの? 未成年の喫煙、ダメ、ゼッタイ。

 三枝先生がこれ以上罪を重ねる前に話を軌道修正しよう。


「それで、何か話があるんですよね?」

「ああ、ちょっとな」


 そりゃそうだ。これで「いや特には」とか言われたら流石に手が出る。ごめん嘘、暴力的なこと苦手なんだ。モブが少年院送りになるイベントとか見たくねえ。


「生徒会長にな、相談されたんだよ。柊木の様子がおかしいって。お前何か知らねえか?」

「何で本人に聞くんですか……」


 そりゃ自分のことなんだから知ってはいるけど。ただ、正直に言えるかは別の話だ。

 それに、生徒会長か……。そろそろ新手が出てくるだろうとは思っていたが、こうして外堀から固めてくるとは会長らしい。

 追い込み漁ですかね。


 しかし、これは願ってもないチャンスだ。本人と相対するより、間接的に遠ざける方が余程楽だからな。

 先生には悪いが、上手いこと誘導して俺に関わらないよう仕向けよう。


「最近、生徒会に顔出してないらしいな。以前と比べてクラスでも孤立してるように見える。しかも自主的に」

「よく見てますね」

「一応お前の担任だからな」


 正直舐めていた。もっと生徒に興味が無い人だと思ってた。

 だが、考えてみりゃこれも当然のことかもしれない。

 この世界が誰かの創作の世界なら、担任の先生は主人公に一番近い大人だ。生徒である主人公が正しい道に進めるように、或いは選択に迷った時の道標となるように、頼れる相手として用意されたとも考えられる。

 だったらこれだけ目ざとい設定にされてるのも納得できる。今となっては厄介極まりない。担任にそんな設定付けるくらいなら俺にくれよ。


「特に理由はありませんよ。単に人との関わりに疲れただけです。生徒会も今年で辞めます」

「いいのか? せっかくの内申点貰えるチャンスなのに」

「いいんですよ。興味無いので」


 これは本心だ。元々内申点のために生徒会に入ったわけじゃない。世のため人のため、生徒のために自分に出来ることを模索するために入った。それが俺の設定だ。

 今はそんなことに意味が無いと知ってしまったわけだが。


「人との関わりに疲れた理由は?」

「特にありませんよ」

「そこは嘘つくのな」


 くっ、目ざといやつめ。先生は嘘まで見抜けるのか。警察官とかの方が向いてるんじゃないですか?

 俺の知ってる警察官の知識なんてドラマで見るそれしかないから、実際に向いているかは知らんけど。カツ丼食べさせてくれるイメージしかない。目ざといの関係ないな。


「まあいい。隠したいなら追求はしない。面倒だしな」

「ありがとうございます。そういうところ好きですよ」

「教師としては良くないけどな」

「もっと良くないところがあったと思いますけど」


 三枝先生はとぼけるように肩を竦めた。変な人だ。掴みどころがない。

 切り込んできた時には何か──主に作者の策略かとも思ったが、追求してこないあたりそんなこともないようだ。

 俺のことを考えて、本心から心配しているのかもしれない。やっぱり良い人だなぁ。


 先生の人柄に感心していると、彼はタバコを灰皿に押し付けて、こちらを横目で見た。


「お前、好きな人は居ないのか?」


 突然こんな質問してくるあたりはよく分からない。やはり変人か。


「なんですかいきなり」

「いいじゃねえか。恋バナだよ恋バナ」

「いい歳した大人がすることですか」

「ばっかお前、こんな歳だからこそ青春時代の恋の話ってのは気になるもんなんだよ」

「そういうもんですか」

「それで、居ないのか?」


 修学旅行の夜みたいなノリになってきたな。しかもめっちゃグイグイ来る。思春期ですか?


「居ませんよ」

「じゃあ彼女は?」

「順序逆じゃないですか? 居ませんよ」


 好きな人が居ないのに彼女は居るとか言ったらモブどころかクズ男にまでグレード下がるわ。

 いや、ラブコメの主人公から外れるって意味ではありかもしれない。女遊びが激しい主人公のギャルゲーなんてレビュー☆1連打されそうだし。

 クソゲーオブザイヤー待ったなしですね。


「彼女はいいぞ。嫌な気分の時にも好きな子が一緒に居てくれるだけでちょっとはマシな気分になれる」

「それはまあ……わからなくもないですけど」


 作り物じゃなければ、という破綻した前提が必要になるが、その考え自体はわからなくもない。彼女なんて居たことないけど。


「ま、無理に好きな女を作れとは言わん。居るに越したことはないが。お前が異性関係で凹んでるわけじゃないこともわかったし、いずれ見つかるだろ」

「……策士ですね」

「国語の先生だからな」


 それは理由になっているのか?

 ただ、こうして原因を少しずつ絞ってくる手法は素直に賞賛する。


 いつの間にか短くなったタバコを灰皿に捨て、さらに新しいタバコを取り出す。めっちゃ吸うなこの人。これがベビースモーカーってやつか。

 幼児退行してますよ。未成年の喫煙はダメですからね。


 煙が空に昇っていく。青い空はどこまでも青く広がっている。そこにかかる白い雲のような煙を視線だけで追いかけて行く。

 そんな開放感からだろうか。俺は気がつけば口にしていた。


「……もし、ですよ」


 何故話そうと思ったのか。そんなの俺にも分からない。

 この人の緩い空気に当てられたせいかもしれない。他の人とは違う何かを感じたのかもしれない。

 ただ、この人の意見は聞いてみたいと思った。国語の先生だからかな。


「もしも、今まで接してきた人たちの行動や感情、自分の思考なんかも全部、誰かの創作だったとしても、先生は人を好きになれますか?」

「どこかで聞いた話だな。シミュレーション仮説みたいなものか」

「そうですね。俺の人生も、俺たちが今こうして話している内容も、全てタチの悪いシナリオライターの筆の上にあるんです。それでも先生は決められたセリフ通りに好きだと言ってくる人を好きになれそうですか?」


 そこまで言ってしまって、やってしまったと後悔する。少し核心を突きすぎたかもしれない。もしも話にしては突拍子のない話だ。

 こんなの、俺は全て知ってますよと作者に伝えているようなものだ。そうでなくとも、先生から見ると急におかしな話を始める電波君だと腫れ物扱いされるかもしれない。


 三枝先生は少し考えるように唸りながら煙を空に吐き出す。

 その煙が消えた頃、三枝先生は口を開いた。


「無理だな」


 それは、俺にとって衝撃的な答えだった。

 てっきり、主人公の恋をサポートする役目として、なんとか後押しする言葉を無理にでも紡ぐのだと思っていたからだ。


「気持ちってのは、そいつが心から想っていて、ようやく意味を成すんだ。決められたセリフ通りに出てきた口説き文句なんて、女優が映画やドラマで言ってるそれと変わらねえ。そこに本物の気持ちはねえんだよ」

「そう……ですか」

「なんだその反応。意外か?」

「ええ、とても」


 三枝先生はふっと口角を上げる。この人が笑うのは珍しい。少なくとも俺は初めて見た。


「お前が何を考えてそんな質問をしたのかは知らねえ。それがお前の悩みに関係するのかも分からねえ。ただ、もしもお前がそんな絶望的な状況にあるんだとしたら──」


 一呼吸置くように煙を吐いた三枝先生は、空いた手で俺の頭をガシガシと撫で回す。


「お前の好きなように生きりゃいいと思うぜ。クソみてえなシナリオ通りに生きてやるかって反発してもいい。シナリオ通りに人生を謳歌してもいい。お前が後悔しない道を選べばいいんじゃねえか?」


 グリグリと動かす手に合わせて俺の頭も揺れる。俺の頭を包み込んでしまうような大きな手だ。


 高校生になって、俺は大人になったのだと思っていた。

 そりゃもちろん、小学生や中学生の頃に比べれば成長はしているんだろう。

 だけど、本物の大人ってのは、こんなにも大きな手をしていて、こんなにも優しくて、こんなにもかっこいいものなんだ。


 少しずつ、心を覆っていたモヤが消えていくような気がする。タバコの煙みたいなもんだ。暖かい空気に触れて、少しずつその姿を消していく。


「ありがとうございます」

「お前の人生相談の足しになったなら良かったよ」

「ええ、とても」


 不思議な人だ。

 この人だってこの世界の人間だ。作られた人間だ。フィクションの存在だ。

 それなのに、そのはずなのに、この人の言うことはやたら人間じみている。作られた完璧な人間よりも余程人間らしい。


 俺が後悔しない道、か。

 それがどんな道なのか、今の俺には分からない。

 物語に反発せず、主人公として生きる方が幸せなのかもしれない。今まで通り全てを否定して、物語の終焉を待つのがハッピーエンドなのかもしれない。

 その答えは見つからないけど、今はただ、この三枝真司しんじという一人の人間の言葉で安楽に浸るのも悪くない。


 俺の頭から手を離して腕時計に視線を落とした三枝先生は、「あっ」と声を上げた。


「そろそろ授業の準備しねえと」

「すみません、時間を取らせてしまって」

「いや、誘ったの俺だから」


 三枝先生はタバコの火を消し手招きする。鍵を閉めるから校舎に戻れ、ということだろう。

 戸締りを済ませた三枝先生は「適当な頃合に教室戻れよ」と適当なことを言って階段を降りて行った。


 さて、と。

 またサボってしまった。しかも山本先生の授業を。なんて言い訳しよう……。

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