第2話 ツンデレキャラはめんどくさい

 ああ、鬱だ。

 あれは作り物だと何度言い聞かせても、目の前で溢れ出した感情が俺には本物に見えてしまう。

 それを無下に扱い、あろうことか突き放した。気分が良いわけがない。


 嘘をつき続ける理由をなくした俺は、ゲームをする気にもなれずベッドに体を投げ出す。

 眠って全てを忘れたいが、眠ると朝が来て、もしかすると学校で紗衣に会ってしまうかもしれない。まあ、同じクラスだから間違いなく顔を合わせるんだが。

 そう考えただけでさらに憂鬱だ。


 何をするでもなく、ぼーっとスマホを眺める。

 通知のないチャットアプリを無視してネットの海へと潜り込む。誰かからの連絡なんてしばらく来ちゃいない。全員突き放してるんだから当然なんだけど。

 最近来た連絡と言えば、「モテたい男必見!」という見出しの迷惑メールくらいだ。これも作者の精神攻撃か? 迷惑にも程がある。


 スマホにも飽きて、俺は仰向けになって空虚な天井を見つめた。

 そうだ、紗衣のことは忘れよう。今日は何も無かった、いいね?

 忘れられるわけないんだよなぁ。



 こうして無慈悲にも朝は来る。

 制服のままベッドダイブして眠っていたらしく、しわしわになったワイシャツが汗でべっとりと体に張り付く。

 そこまで暑くはなかったはずだが、嫌に気持ち悪い汗を流そうと、一先ずシャワーを浴びることにした。

 昨日の汚れをモヤモヤする感情と一緒に流す。それだと汚れと一緒にモヤモヤもベッドに染み付いてる気がする。やっぱり鬱だ。

 俺はなんとなく、気分的にいつもより少し丹念に体を洗い、ドライヤーで髪を乾かす。

 普段なら自然乾燥で済ませるが、朝シャンだと髪が濡れたまま登校することになるから少し恥ずかしい。

 印象は下がることになって万々歳だろうけど、俺のどうでもいいちっぽけなプライドが邪魔をするんだ。


 そうこうしているうちに結構ギリギリの時間になってしまった。

 いっけな〜い、遅刻遅刻ぅ〜! なんて余裕もなく、全力疾走で学校へ向かう。これじゃあまたすぐ汗かいちゃうじゃないですかやだー。

 家から学校へはそれなりに近い。徒歩で行ける距離、最高。まあそのおかげで余裕だと思ってたら遅刻しそうになってるなんてこともあるし一概には言えないが、今回ばかりは助かったと言わざるを得ない。


 路地裏を抜け、大通りに出る。車の少ない横断歩道を駆け抜け、再び路地裏へ。

 狭い路地をジグザグに、学校への最短ルートをひたすら駆ける。

 そして、この最後の角を曲がれば──



 強い衝撃が走った。体がその衝撃に耐えきれずにバランスを崩す。

 ドスン、という鈍い音と共に俺は尻もちを着いた。どうやら、目の前にいる少女も同じらしい。ぶつかったのはこの子か。

 チェックのスカートの中に白いパンツを覗かせ、痛みに顔を伏せている少女。見たところ同じ学校か。

 それどころかこの顔見覚えがある。当然か。

 そいつは、同じクラスの桐崎きりさきあかねだった。元ヒロイン候補その二、ツンデレヒロインだ。

 だが、どうしてここに? こいつ明らかに学校側から来たような……


 そうこうしていると、ホームルーム前の予鈴が鳴った。

 俺もいつまでも白パンツに魅入ってないで先を急ごう。ちょっとレースが入ってて割と可愛い。扇情的で男心を擽られる。ガッツリ見てんじゃねえか。

 いや、これはあれだ。作者の罠だ。くっ、色仕掛けで俺を引き留めようとはな。しかし俺はその手には乗らない。次は女の子に飛び込む感じでお願いします! 思いっきり惑わされてんじゃねえか。

 パンツをしっかり見てしまった罪悪感と、これ以上作者の思い通りにはならないという絹豆腐ばりの固い意思で、俺は何も言わずにその場を去る。


「柊木くん」


 が、当然というべきか、桐崎に呼び止められた。

 やはり俺だとバレていたようだ。俺も気づいたんだからバレないはずがない。

 彼女は何事も無かったようにキリッとした姿勢で土埃を払い、鋭く澄んだ瞳をこちらへ向ける。


「ちょっといいかしら?」

「予鈴鳴ったぞ」


 桐崎の誘いを遮り、The・模範生のような回答で遠回しに断る。実に素晴らしい。学生たるもの学業を疎かにしてはいかんぞ。

 桐崎はヒロイン候補の中じゃ真面目な方だしこれで通るだろう。

 ……なんて甘い考えはすぐに吹き飛んだ。


「今日、一緒にサボらない?」

「……は?」


 何故? Why? 頭脳明晰成績優秀才色兼備桐崎茜が学校をサボる? そんな馬鹿な。

 少し呆気に取られつつも、ここはフラグを片っ端からへし折ってきた男。上手く切り抜ける策はある。


「いや、学校サボるのは良くないだろ。俺は行くぞ」


 困った時は正論パンチが一番だ。正しいことさえ言っておけば、相手は言い返すことが出来ない。

 特に桐崎茜というキャラクターにはこれが一番効果的だ。口数は少なくも模範的で毅然とした振る舞いから真面目で淑やかといった印象の少女。彼女に正論の暴力を跳ね除ける力はない。

 俺の思惑通り、桐崎は口を噤む。ぷるぷると体を震わせるだけだ。

 勝ったな、と勝利を確信したその時、桐崎は口を開いた。


「ぱ……」


 ぱ?


「パンツ見てたこと言いふらすわよ! 柊木灯がぶつかって来たと思ったら、まじまじとスカートの中を覗き見て、助け起こすこともなく立ち去ったって言うわよ!」


 文字に起こすとやべえな。確かに嘘ではない。今の俺の行動を端的に表せばまさにその通りだ。

 だが、よく考えてほしい。見えるなら見るだろ? これに関しては作り物だとしても見るんだよ。それが男のサーガ。

 そんなことよりも、だ。

 もしも桐崎が周囲の人間に今起こったことをありのまま触れ回ると、俺の居場所はなくなることだろう。

 クラスの人気者である桐崎茜と突然モブに変貌した後天的陰キャである柊木灯では説得力に差がありすぎる。一度広められると収拾がつかなくなるのは請け合いだ。

 ……けどまあ、別に構いやしない。


「いいぞ」

「ふぇっ」


 顔を赤らめながらも毅然とした態度を崩さなかった桐崎が一転、不意をつかれたように間の抜けた声を漏らす。

 だが、そこまで驚くことじゃない。今更何を言いふらされようと、俺のイメージが下がろうと、どうだっていい事なんだ。

 身嗜みには一丁前に気を遣うくせにパンツを見たことは気にしないとはこれ如何に。そこには理由がある。


 俺が桐崎のパンツをまじまじと見たとて、武道という主人公のクラスメイトが同じクラスの女の子のスカートを覗いた、というプチイベントが発生し、武道とヒロインの友好度が上がるだけの話。それもランダムイベントでほんの気持ち程度しか上がらないタイプのやつだ。そのペースじゃ学校卒業までにハーレムルートまで行けないぞ、頑張れ!

 一方で身嗜みについては「陰キャきも」と囁かれ、普通に俺が傷つくだけの可能性が高い。普通に辛い。この違いだ。


 起こり得た未来を想像して悲しみに浸りながら桐崎の出方を伺っていると、ホームルームの開始を告げる鐘の音が聞こえてきた。どうやら遅刻が確定したらしい。

 幸いにもうちの担任は教員の割に時間にルーズだから、授業にさえ間に合えば遅刻扱いにはしない。

 つまり今行けば学校のルール的には間に合うということだ。間に合ってはないな。

 ともあれこれ以上の問答は不要だ。俺は軽く手を挙げて桐崎をあしらう。


「そういうことだから、それじゃあ」

「ま、待ちなさい!」


 桐崎の横を通り過ぎようとしたところで鞄を引っ張られ、肩が締め付けられる。ぐぇっと喉が潰れた声が漏れる。

 紗衣といい桐崎といい、なんのつもりだこいつらは。人の鞄を呼び鈴だと勘違いしてないか? 当店は呼び鈴がございませんのでお声掛けくださいって言われてただろうが。あのタイプの店、ちょっと勇気いるよね。ちゃんと呼び鈴を設置してほしい。いや鞄じゃなくてね?


「なんだよ」


 鞄の紐に締め付けられたせいか思ったより低い声が出てしまい、桐崎が一瞬怯む。なんかごめんね、最近声出してないから音量音程の調節難しいの。チューニングはよ。

 気後れした様子だった桐崎は、それでもなんとか声を絞り出す。


「あ、あなたを待ってたの。お願い。ちょっとだけ、付き合って。午前中には終わるから……」


 いたずらをした子供が謝るように、急にしおらしくなる桐崎。これはツンデレ属性の特徴の一つだ。恐怖や羞恥を感じている時は大人しくなったり、急に声が小さくなるぞ。ちなここ、テストには出ない。

 待てど暮らせど彼女が手を離しそうな様子もなく──言いふらすというのも恐らくはただの脅しだろう。桐崎は懇願するように俺を見ていた。

 桐崎は人気こそあれど高嶺の花子さんって感じで、交友関係は広くない。今ここで振り切って逃げたところで何も起こりはしない。

 だが、桐崎の表情を見ていると、なんだか心が締め付けられる。


 別に悪いことをしてるわけじゃない。むしろ学校に行こうとしてる分、良い事のはずだ。

 それに、俺は自分のために全てを捨てると決めたはずだ。

 だと言うのに、その表情を見ていると何故か放っておくことが出来なかった。

 昨日の紗衣との会話で思うところがあった、という点も大きい。突き放した後の罪悪感がまた押し寄せると思うと、どうにも気落ちしてしまう。

 この気持ちがもし、第四の壁の向こう側の人間による作為的なものだったとしたら……と思うと腸煮え滾るが、その時はその時だ。男は女の子の涙に弱いんだよ。自ら弱点晒してどうすんだ。


「わかったよ、少しだけな」


 俺が嫌々、本当に嫌々そう答えると、桐崎の表情はパッと明るくなる。

 それが少し嬉しくもあり、苦しくもある。

 学校をサボったからか。偽物の感情だと知っているからか。昨日紗衣のことを突き放したくせに今日は押し負けて他の女の子にうつつを抜かしているからか。

 あれ、全部苦しくね? これがホントの三重苦ってね。



 桐崎に連れられた先は、学校から少し離れた河川敷の橋の下。ヤンキーが集まって喧嘩してる場所って思えば分かりやすそう。

 カフェの前を通った時、桐崎は一瞬立ち止まっていたが、俺たちが制服だってことを思い出したんだろう。そのせいかこうして人目につかないところに案内された。

 本来ならクラスで大人気なツンデレ美少女と学校をサボって二人きり、なんて夢のようなシチュエーションだ。渾身の一枚絵がセットになった好感度爆上げの大イベントだ。

 当然、俺はそんな気分にはならないが。


「それで、何か用か?」


 到着しても一向に話を切り出さない桐崎を見かねて質問を投げる。か、勘違いしないでよねっ! べ、別にあんたと話したいわけじやわないんだからねっ!

 いやほんと、早く終わらせて学校に行きたい。

 授業を真面目に受ける気は無いが、だからといって補習とか居残りとかそういう面倒なことは回避したい。


 幸運にも一限は国語だ。担当教員はルーズな担任。あの人は面倒事が嫌いだから補習や説教は無いだろう。

 桐崎は午後までにはと言ってたが、俺としては二限が始まるまでには学校に行きたい。

 だというのに、桐崎はそれでも口を開かない。もじもじと手を組み替え、言葉を模索しているようだ。


「何も無いなら行くぞ」

「ま、待って」


 いい加減沈黙にも耐えかねて背を向けると、桐崎はようやく声を上げた。ツンデレキャラはこれだから面倒臭い。

 話が始まるまでの間とか、表情の変化とか、そういう描写を地の文や音楽で盛り上げたり、お互いの好意をもってして期待を煽ったりするからこそ、次に発せられるヒロインの言葉が際立つのであって、実際にツンデレキャラと対峙するとこの間が苦痛で仕方ない。

 やはり適当に突き放してパンツイベントという名の主人公とヒロインの交友イベントにシフトしておけばよかったと今更後悔する。

 俺が長く待ちぼうけをくらう気はないと悟ったか、桐崎が意を決した様子で口を開く。


「その、柊木くんは最近何か困ったことがあるの?」

「ない」


 それ、昨日も聞いたんだよな。

 俺が相談するまで全てのヒロイン候補に同じセリフを言わせる気か? 読み手も飽きるぞ。

 ある程度予想はしていたが、やはりこの手のイベントかと辟易する一方だ。

 俺の心情も知らずに、桐崎は用意されたであろう言葉を並べる。


「なんだか、最近の柊木くんは、どこか苦しそうに見えるの。何かに怯えているような、何かを避けているような……上手く言えないんだけれど」

「そうか? もしそうだとしてもそんな気分なだけだろ」


 早く話を終わらせたい一心で、頭に浮かんだ言葉を選別することなくそのまま口から吐き出す。

 言ってから考え直すと、実にいいクズっぷりだ。

 気分的に乗らないから人を突き放してますって言ってるようなもんだ。そんなの誰も納得しない。

 桐崎だってそうだ。


「柊木くんは今までも気分で私……クラスメイトと仲良くしてたの?」

「そうだ」

「……そっか」


 桐崎はしゅんと顔を伏せる。少しだけ心が痛い。

 しかし思いの外気の強い彼女は、この程度で身を引く気はないらしい。


「嫌なのよ。突然理由もわからずに避けられるの。だから、せめて理由を教えてほしいの。べ、別にあなたのことを心配してるわけじゃないから。私が嫌なだけ」


 はい出ました、言われて困る言葉ランキング第一位。こんな時でもキャラ付けを忘れない精神は結構だが、普通に困る。

「お、おう……」と、俺は予め決めていたセリフを口にする。これしか言いようがない。

 それでも桐崎は食い下がる。


「教えて。あなたが何を考えているのか。どうしてそんな気分になってしまったのか」


 難しい質問が来てしまい、今度は俺が口を閉ざす。

 本当のことを言うわけにもいかない。だからと言って、適切な切り抜け方もわからない。

 気が強いキャラはつくづく面倒だ。


「気分に理由なんてあるのか?」

「あるわよ。良いことがあったとか、逆に嫌なことがあったとか。そんな難しいことじゃなくてもいいわ。天気が悪いとか、いつもより髪が上手く纏まらないとか、少しだけ寝不足になったとか、なんだっていいの。言い訳でもいいの。私を納得させてほしいのよ」


 そう言った桐崎の真剣な眼差しから逃げるように目線を逸らす。朝日が足元に差し込み、革靴に反射して少しだけ眩しい。

 俺には桐崎が納得する回答なんて分からない。こいつは頭がいいんだ。生半可な言い訳じゃさらに追求が来るだけだろう。

 ああでもないこうでもないと頭を回していると、桐崎が先に口を開いた。


「言い難いこと……なのね」

「……ああ、そうだ」


 何やら勝手に納得したらしく、桐崎は自ら答えを見い出した。

 いや、桐崎はこれでも人の気持ちが分かるやつだ。俺の様子を察してか、助け舟を出してくれたんだろう。元はと言えばこいつのせいで悩んでたんだけどな。

 俺に話す気がないと理解したようで、桐崎は腕を組んでこくりと頷いた。


「分かったわ。それなら聞かない。柊木くんが言いたくなるまで待ってるわ。ずっと」

「そうしてくれ」


 その時は来ないだろうけどな、と心の中で切り捨てる。

 そもそも俺は第四の壁について誰かに相談する気は毛頭ない。この物語に関わりたくはないし、相談したところで何も変わらない。

 だから、桐崎の返答には助けられた。これで桐崎が俺に話しかけてくる口実は無くなった。紗衣の時に比べりゃ幾分かマシな縁の切り方だろう。


「時間を取らせてごめんなさい。学校に行きましょう。三枝さえぐさ先生なら謝れば許してくれるわ」


 よくもまあ、いけしゃあしゃあと。誰のせいで謝ることになったと思ってんだ。やはりこういう自己中心的な点は創作の域から抜け出せない。

 しかし、これでようやく解放される。一体何の時間だったんだ。

 俺も学校へ向かおうと一歩踏み出すが、そこで足が止まってしまう。何故だろうか、学校へ行く気分でもなくなった。

 その原因はよく分からない。なんとなく、心が痛い。

 どうにも言葉にできない不快感を吐き出せず、不思議そうに振り返る桐崎に一言詫びを入れる。


「悪い、先に行ってくれ」

「そうね。一緒に行くと変に勘繰られるわ。私が先に行くから、少しだけ遅れて来てちょうだい」

「ああ」


 小さくなっていく桐崎の背中を見送り、その姿が完全に見えなくなったところで俺は身を翻した。

 向かう先はお家。あったかハイムが待ってる。俺の家はセキ〇イハイムじゃないけど。

 なんとなく冷えた心を癒すため、俺はどこにも寄らずに直帰した。

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