第5話 味の違いが分かる竜

 街を出た後、旧坑道を通り抜け、さらに渓谷の崖に作られた階段を上り続けること数時間。私たちはやっと渓谷の崖上へとたどり着いた。目の前には荒涼とした岩砂漠が広がっている。

 私はベルの口に手を伸ばすと、銜を取り外した。


「さ、私はここに座ってるから、好きなだけ日向ぼっこしたり遊んだりしておいで。それっ!」


 ベルは目をぱちくり瞬いた後、嬉しそうに体を震わせ小高い岩山に駆け上がる。私はその様子を眺めながら、崖際の手ごろな石に腰かけた。太陽に温められた石は、冬だというのにほんのりと温かい。岩肌を通り抜ける乾いた風が頬を撫で、おろした髪を静かに揺らす。


(気持ちいい風……)


 コルミアの街を一望できるこの場所が一番、良い風が吹くのだ。

 振り返り渓谷を見下ろせば、谷間をつなぐ長い石橋がいくつも見える。ほとんどは既に使われていない、百年以上前の坑道に作られた連絡通路だ。

 橋が崩れ去り、坑道の穴だけが崖壁にぽっかりと空いている箇所も多く、街のたどってきた歴史を感じさせる。水脈にあたってしまったのか、地下水を滝のように吐き出す旧坑道も少なくない。その水しぶきの遥か下に、私たちの住むコルミアの街が広がっていた。


 ここから見える景色が、私のお気に入りだ。

 ずっと階段を上り続けて火照った体が、やっと落ちついてきた頃。風向きが変わり、先ほどまでとは逆方向に髪がなびいた。

 渓谷の上流から吹いてくる、澄んだ空気だ。


「おーい、ベルー! ご飯だよー!」


 岩の上で日向ぼっこをしていた幼い竜は、待ってましたとばかりに首を持ち上げ、空に向かって大きな口を開けた。

 まるでステーキに食らいつくように、空気をむしゃむしゃと咀嚼するベル。

 風竜種のベルにとって、澄んだ空気は一番のごちそう。


 ――だったはずなのに。


 ベルは突然食べるのを辞めてしまい、もういらないといった様子で最後に一度だけ、喉を鳴らした。

 そして今日もベルは物欲しそうに鉄塔を見上げる。私もつられて赤茶けた塔へと視線を移した。

 ここから見ても、鉄塔は青空を突き刺すように長く長く伸びている。


「やっぱり、だめ、か……」


 ベルはとっても食いしん坊な竜だったはずなのに、塔のてっぺん以外では食欲が振るわない。きっと竜も人みたいに、風の好き嫌いがあるのだ。

 もしかすると、ここの風はベルの口に合わないのかもしれない。


(でも今の私は、ベルをあそこまで連れて行ってあげられないの……ごめんね、ベル)


 そう思うと、チクリと胸の奥が痛んだ。

 ふと視線を感じて振り返れば、ベルの二つの目がこちらを見つめていた。空色の瞳は太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。純粋さと幼さが見て取れるその瞳は、世界中のどんな宝石よりも美しいと思う。

 親バカかもしれないけど、これだけは譲れない。思わずため息がこぼれる。


「はぁ……。私もベルみたいな美人さんだったらよかったのになぁ」

「ガウ?」

「なに言ってるの、って言いたいの? 私は本気よ。嘘じゃないわ。褒めてあげてるんだから少しは喜んだっていいのよ」

「ガウ!」


 ベルは胸を張り、翼を大きく広げて見せる。


「あはは、それは喜びすぎ」


 そんな他愛のない会話を続けていると、風向きが再び変わった。今度は谷底から吹き上げる湿った風。スン、と鼻を鳴らすと、大気に鉄の焼ける匂いが混ざっている。 

 あまりいい匂いではない。

 街の方へと目を凝らせば、無数の煙突がモクモクと白い煙を吐いていた。ベルに顔をしかめて見せると、小さな竜も落ち込んだ様子で岩の上にあごを乗せる。反応がいちいちかわいすぎて辛い。

 私はふっと小さく笑って大きく伸びをした。風向きはそのうちまたすぐに変わるだろう。 

 少し肌寒くなってきた。私は片手をポケットに突っ込み、もう片方の腕で膝を抱く。

 吹き抜ける強い風が時折髪をぐしゃぐしゃにかき乱しては去っていった。防寒着を兼ねたフライトジャケットの腕を見ると、縫い付けてある高度計は三分の一ほどの位置で針を止めている。


「少しでも高くて澄んだ空気のところへと思ったけど、ここも大したことないなぁ」

 食事を終え岩場から降りてきたベルが、私の頬にごつごつした頬を寄せる。

「なぁに? もう休憩は終わり?」

「ガウッ」


 私はよしよしとベルを撫でるとポケットからメジャーを取り出し、右手を差し出した。


「じゃあ、はい! お手!」

「ガウ!」

「よーしよし、ベルはいい子だねー」


 素早くベルの爪先からかかとの端までを測量し、ぼろぼろになった手帳に結果を記録する。

並んだ同じ数字に、私は唇を噛み締めた。


「グルル?」


 顔を上げれば、首を傾げたベルが手帳を覗き込んでいる。


「ごめんごめん。前足、もういいよ。ありがとね、ベル」


 手帳を閉じ頭を撫でてやると、ベルは目を細めて喜んだ。

そんな姿を見ているといつだって私の悩み事は、とろとろと溶けて消えてしまうのだった。


「ガゥッ!」


 突然、ベルが身を縮めた。見ればベルの目元に光の筋が走っている。街の方から太陽を反射する鋭い光がこちらに飛んできているのだ。

 元をたどれば街からまっすぐ伸びる銀色の線が、夕日を浴びて赤く輝いていた。

 輸送列車用のレールだ。


「線路、つながったね」


 私も腕で目を覆いつつ、どこまでも伸びる線路をじっと見つめた。あの銀線は、渓谷を抜け、荒野を突っ切り、なだらかな平野を超えた先の王都まで続いているという。私たちの鉄塔を溶かして作られた、次世代を担う物流の担い手の道だ。

 機械仕掛けの輸送列車は疲れを知らず、食事の必要もなく、竜よりも多くの荷物をどこまでも運んで行けるらしい。


「ベルは輸送列車についてどう思う?」


 尋ねると、ベルはしかめっ面で線路を睨んだ。


「ふふ、その顔はあの線路が憎たらしいのかな? それとも……ただ眩しいだけかな?」

「グルルゥ……」


 ベルは不服そうに前がきをする。蹴飛ばされた土が、後方で砂煙を立てた。


「あはは……。どっちもかぁ。仕方ないよね。時代の流れだから。……うん、仕方ない」


 私が困り顔で笑いかけると、ベルはフシュ、と盛大に鼻息を漏らした。納得はいかないが、今のところは我慢しておいてやろう、とでも言いたげだ。

 私たちはコルミアの街のシンボル、鉄塔へと視線を戻す。空高く伸びた鉄塔は夕日に染まり、どこか哀愁を漂わせていた。吹き抜ける風は、まるで泣いているようにも聞こえる。

 この光景を観光客が見れば、まるで絵画のような眺めだとはしゃぐのだろう。でも、少なくともベルにとっては、残酷な光景に映るに違いない。


「って、だめだだめだ! こういう沈んだ気持ちはお肌によくないよね! ただでさえ冬目前で乾燥気味なんだから。気持ち切り替えて明日の仕事に持ち込まないようにしなきゃ」


 私はベルの首を借りつつ腰掛けていた石の上に立ち上がると、腹の底から声を振り絞る。


「輸送列車、ちゃんと走らなかったら、ただじゃ置かないぞー!」

「ガウーーー!」


 ベルが私をまねて遠吠えする。こうして心のもやもやを大声と一緒に吐き出すと、いつだってすっきりするものだ。

 気分転換にはぴったりのストレス解消法だと思ってる。私と一緒に叫ぶことで、ベルの鬱憤も少しは晴れてくれますように、と風に祈った。

 ベルにはいつだって天真爛漫に、そのくりくりした瞳で美しいだけの世界を見ていてほしい。


「そうだベル! もし輸送列車がダメダメだったら、ロスカに文句言ってやろうね。自慢の心臓はどうしたー! って」

「ガウ!」


 私は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、天を仰いだ。もう夜がコルミアの街に近づいている。頭上を境に濃紺のグラデーションになっていく夕暮れ空。風がより一層冷たくなってきた。


「そろそろもどろっか! たくさん食べたら、たくさん寝なくちゃ。ね、ベルッ!」

「ガウッ!」


 うなずくベルの隙を突いて石から飛び降り、息を弾ませ私は走り出す。


「えへへ、坑道の入り口まで、競争だよーーーっ!」

「ガウァッ⁉」


 面食らった様子のベルへ肩越しに笑顔を向けつつ、私は全速力で足を動かす。竜は陸上歩行が苦手とはいえ、短距離なら人間よりもはるかに足は速い。ズルをしないと、身体の大きなベルにすぐ追い越されてしまうのだ。

 渓谷には軽い靴音とそれを追いかけるようなずっしりした足音が楽し気にこだまする。

 結局勝負なんてそっちのけでかけっこを楽しんだ私たちは、ふたり仲良く、帰路についたのだった。

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