第2話 お粥屋の主人

 シュンシュンと音を立てて蒸気を吹き出す寸胴鍋。お店いっぱいに広がる炊き立てのお米の匂い。暖色のランタン、リズムよく鳴らされる包丁の音。

 木製のカウンターテーブルには、ランチョンマットと銀色の食器がお行儀よく並んでいる。カウンター正面にある入り口の扉には葉っぱをモチーフにした立派なステンドグラス。

 壁に並ぶ格子窓はすべて真っ白に結露していて、拭き上げると外はまだ暗い。

 鏡のようになった窓ガラスには琥珀色の目をした少女が写る。胸元に少し曇った銀色のネームタグが鈍く輝き、窓は再び白く濁った。


 私は【コルミアのお粥屋】と書かれたステンドグラスの掛け看板を通りから見えるように裏返す。そのまま扉を押し開け、朝もや煙る東の空を見上げた。

 山の稜線がぼんやりと日の出前の光を放っている。吐く息は白く染まり、青い絵の具を薄く溶いたような空へ消えて行った。


「リオー、寒いからストーブに石炭足しといてー」

「はぁーい」


 私は店内から響いた気だるげな女性の声に返事をし、ジャケットのポケットから取り出した手袋をはめた。表にある石炭かごから大ぶりな石炭を両手に持てるだけ取り出す。 


「ん……もう一個ぐらい、いけるかな……?」


 今両手に二個ずつ持っているので、間に一つ挟めば一度に五個運べるのだ。そうすると往復する回数が少なくて済む。

 私は石炭を落とさないようにそうっとと足を運び、入り口のドアを通り抜け、ストーブの前のバケツの前までたどり着き――安直な自分の判断を後悔した。


(うわ、しまった! このバケツ、石炭が湿気るといけないからって、この前から蓋してたんだった。どうしよう……)


 私は石炭を落とさないように、手首を使ってみたり、両肘で挟んでみたりと試行錯誤を繰り返す。傍から見ると、ストーブの前で奇妙な踊りを踊っているように見えたことだろう。


「あーーっ!」


 バランスを崩した瞬間、案の定手の間から不安定だった石炭が一つ零れ落ちた。せっかくモップ掃除した後なのに、汚してしまうとまたやり直しだ。


「間に合えっ!」


 石炭の落下速度よりも、私の反応と差し込む腕の方がいくぶん早い。先回りして右手を滑り込ませる。間に合った! とぬか喜びも束の間。


「あっ」


 カツン、と石炭同士のぶつかる音が店内に響き渡る。私は既に両手一杯に石炭を抱えていたことを完全に失念していたのだ。弾かれた石炭は、こちらに向かって一直線に飛んで来ると、前かがみになった私の胸元にガツンと直撃。悲しいほどの勢いで跳ね返った石炭は、乾いた破裂音と共に床で砕け、四散してしまった。


「あ゛ーーーっ‼」

 

 見れば、空色のニットに黒い線がくっきりと走っている。つい先週、給料をはたいて新調したばかりの服なのに。

 顔を上げてみれば、先ほど磨き上げたはずの床は石炭の欠片と粉で目を覆いたくなるような状態に。

 こんなところ、先輩に見られたら……まずい。まずすぎる。

 冷汗が頬を流れ落ちたところで、背中にやや苛立った女性の声が飛んできた。


「うるさいリオ! 何さっきから一人で騒いでんだ! って、うわ床汚っ!」


 恐る恐る振り返ればそこには、体のラインを強調するようなドレスに褐色の肌、ウェーブがかったブルネット。お色気たっぷりな美女が立っていた。

 残念なほどの荒っぽい口調さえ除けば、とは口が裂けても言えない。この店の主であり私の雇い主、元竜操士のニア先輩とはこの人だ。

 そんな人物が今、わなわなと拳を震わせ、額に青筋を立てているではないか。


「えっと、あはは……。あのう先輩、これは……ですね。その、偶然の事故でして」

「おいコラリオ。どーせ欲張って石炭抱え過ぎて落としただけだろ! 見りゃあわかるわ! ったく、お客さんが来る前にさっさと掃除しな! それとあたしは先輩じゃない、店長だッ!」

「ひ、ひぃっ! す、すみません先輩っ!」


 背後で唸り声を上げる先輩から逃げるように、私は店の奥にある倉庫兼控室へと駆け込んだ。


「はぁ……」


 先ほど片付けたばかりのモップとバケツを取り出し、私は大きなため息をつく。こういったポカは初めてではない。先輩に怒られなかった日の数は、両手の指で足りるだろう。

 もともと手先が器用ではない私は竜運の仕事を失った後、言葉通り路頭に迷った。この街で職を探すとなると、主要産業である採掘や精錬、機械加工がほとんどを占める。

 早くに操竜士を引退し、転身後自分の店を構えたニア先輩が助けてくれなければ、今頃私は泣きながら鉱山で働いていたかもしれないのだ。

 そう考えれば先輩には感謝してもしきれない。


 バケツに水を汲み店内へと向かう途中、廊下の照明に照らされた私の全身が、身だしなみチェック用の姿見に映った。

 先輩に比べると貧相な体に、暗くくすんだ灰色の長髪。顔はそこまで悪くはないと思うが、髪色は私の内面が押し出されたかのように陰気でぼやけていて、どうしても好きになれない。

 少しでも雰囲気を明るくしようと購入した水色のニットは、さっきのポカで汚れてしまった。


「うわー、これは取れない汚れかも……。あぁ、ほんとにがっかりだよ……。同じように汚れるなら、胸で石をキャッチ出来たらよかったのになぁ。そしたら掃除のやり直しもいらなかったはず。んー、先輩ぐらいナイスバディだったらいけるかな。いやでもこの前お腹触った時、ちょっとお肉がついてたのを私は見逃していませんよ、ふふふ。でもあれほど胸が前に出ているとなると、風の抵抗がすごいはずだから空力的には大きなマイナス――」


 ひとりにやにやと鏡と睨めっこをしていると、ふわりと凍り付くような気配を隣に感じた。


「リオぉぉ……? 今から水がたっぷり入った寸胴鍋で頭カチ割られるか、仕事終わりに谷底に突き落とされて小魚の餌になるか、どっちか好きな方を選ばせてやるよぉ……」

「あわわわ! ど、どちらもご勘弁を! い、今すぐ掃除しますので! 許してください先……店長っ!」

「早くやれって言ってんだよ! ほんとにお客さん来ちまうだろうがっ!」

「はいぃぃぃっ!」


 私は普段作業するスピードの倍速で床の掃除を始めた。カウンター越しに、ひりつくような視線を感じながら。せ、世知辛い。


 やっとこさタイル張りの床をピカピカに磨き上げたところで、先輩に「ストーブはどうした?」と聞かれ、慌てて石炭の補充まで完遂した。

 全力の作業を終え額の汗を拭えば、ちょうど店舗の扉にかかった鈴が鳴り響き本日最初となるお客の来店を告げた。


「いらっしゃいませ、コルミアのお粥屋にようこそっ! ……って、なぁんだ、ロスカか」


 振り返りざまに作り上げた営業スマイルがものの数秒で普段の表情へと戻る。


「んだよ、その言い方」


 こちらとは目も合わせず、ぶっきらぼうに返してきたやや童顔で茶髪の少年はロスカ。

 孤児院時代からの付き合いで、今は工場区で働いている。私より一つ年下のくせに、最初からタメ口だったのはロスカぐらいだ。私と違って何かと手先が器用で、孤児院の推薦までもらっていた羨ましいやつ。あくせく勉強して竜運業に就職した私とは大違い。

 そんな腐れ縁の少年は赤いマフラーをポールにかけると、ツナギの上からコートを羽織ったまま、カウンターを通り抜け奥のテーブル席へと腰かけた。


「それで、何頼むの?」


 ロスカはテーブルに広げられたメニュー表の【渓谷ワニのくず肉粥】を無言で指さした。が、すぐに手を引っ込めポケットにしまい込むと、襟を立てたコートにあごをうずめてしまう。

 確かにストーブが温まり切っておらず、店内がまだ寒いのは認める。でも相変わらず正面の壁をじっと見つめる目つきは悪く、愛想悪いったらありゃしない。


(まぁでも、先週私が三日かけて考え付いた新メニューを選んだからサービスしてやるか。年頃の男子の背中を、幼馴染の私が優しく押してあげようじゃない)


 私はロスカの隣に腰掛けると、「なんだよ」とこちらを向く茶髪頭に人差し指を立て、前かがみに膝をそろえた。


「ねぇロスカ。そんなムスッとしてたらダメだよ。ロスカも他のお客さんと同じように、ニア先輩のナイスなバディが目当てなんでしょ? そんな端っこに座ってないで、カウンターに座りなよ。スープ注いでもらう時に、運が良ければ見えるかもよ、た、に、ま」


「ば、バカ、何言ってんだよ」


 ロスカは激しく動揺し、椅子から転がり落ちそうになる。


「べ、別に俺はここでいいから!」

「ふ~ん、意外と奥手なんだ。でも、女の子はぐいぐい来られる方が、嬉しいのよ」

「なに、本当かっ⁉」


 座りかけていたロスカが中腰から勢い良く立ち上がったため、椅子は派手な音をたてて床に転がった。


「え、いや……その、ごめん、これ先輩の受け売りだし、私自身よくわかってなくて……」


 剣幕に圧されてついネタばらしをしてしまうと、ロスカは露骨に肩を落とす。ため息をつきながら椅子を戻してどかっと腰を下ろすと、私に向かってしっしと手を振った。

 こうもわかりやすく感じが悪いと、温厚な私だってカチンとくる。


「店員に向かってそんな態度とるんだ。ふーんいいよ別に。お粥のくず肉、少ないところ狙ってスープ掬うから」

「おい、それ店としてさすがにダメだろ。私情を挟むような店員は……」


 こちらへと向き直り食って掛かってきたロスカの語調が、突然目に見えて失速していく。その目線は私の胸元へくぎ付けだった。あどけなさの残る顔が真っ赤に染まっていく。


「あ」


 私が服のすす汚れを思い出して声を上げると、ちょうど顔を上げたロスカと目が合った。しかしそれも束の間、サッと視線は逸らされてしまう。

 そして、本日のロスカの運命を決定づける衝撃の一言が放たれたのだった。


「ま、まったく。こ、この店はやっぱりそういう方針なのか? 百歩譲ったとしても、ニアさんと張り合うんだったら、リオはもっと他のやり方があると思うぞ」



「……………………は?」


 自分でも驚くほど温度の低い声が喉から出た。デリカシーの欠片もないロスカという男は、普段温厚な私の逆鱗に触れてしまったのだ。メラメラと怒りの炎が私の中で燃え上がる。

 やってしまった、という顔をしたままこちらを振り返るロスカだったがもう遅い。 

 私の表情を見た彼の顔面は、真っ青を通り越して血の気を失っていた。




「お待ちどおさま、お客様」


 米の盛りつけられた金属の皿にバシャバシャとお粥のスープがかけられる。


「あ、あの、すみません、お、俺にはスープの中にお肉が見えないのだが……」

「とろ火でじっくりコトコト煮込んでいますので、見えなくとも肉はスープに溶けております」

「え、でもメニューの絵にはお肉が……」

「スープをお替わりいただいたら、入っていることがあるかもしれませんね! ぺったんこなウエイトレスへのご注文は以上でよろしかったでしょうか⁉ いいですよね! では‼」


 絶望を絵にかいたような表情のロスカをよそに、私はお粥の入った鍋をキッチンまで持ち帰ると、鍋敷きの上にドンと音を立てて置く。

 背後で「ヒッ」と息をのむ声が聞こえたが、私の知ったことではない。


「ぷっ」


 見れば先輩はお粥を温めながら笑いを必死にこらえていた。私はじろりと先輩を睨みつける。


「……何がおかしいんですか」

「いや、なんでもない。クックッ……。ま、まあ、あんまりファンをいじめてやるなよ」

「ふぁん……?」


 私は首をかしげる。先輩のファンをいじめるなということだろうか。それともお店の?


「いやぁ、お前たちは本当に見ていて飽きないな」

 目じりに浮かんだ涙を指で拭きとる先輩。私はフンと手を腰に回す。

「ほんっと失礼なやつだわ」

「まあまあ、そう怒るなって。リオもいい年なんだし、男の一人や二人ぐらいいないのか?」

「はぁ、いませんよそんなの。私の周りでうろちょろしてるのはあそこに座ってるちんちくりんぐらいです」

「じゃあ、逆に聞くがリオの好みはどんな男なんだよ」

「うーん、私の好みは仕事がバリバリできる竜運商会の館長さんみたいな人、かな? 間違ってもあんなデリカシーのない男は嫌。手先が器用でも人を怒らせる天才だし」

「な、なんだと!」


 具のないお粥をすすっていたロスカが机を叩いた。先輩はにやりと笑みを浮かべる。


「おっ少年、反論があるなら聞こうじゃないか」

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