第9話 花嫁勧誘 その3

「また、あなたのほうが……」


 星河のほうを見ながら麗奈が何事かを呟く。表情は変わらないが、少し青ざめていて様子がおかしい。


「お義姉ちゃん……?」


 麗奈が反対したのは星河にとっては意外だった。久遠院家との結びつきに執着しているのはれい子のほうで、麗奈はあまり興味が無いと思っていたのだ。大空が好き、という訳でも無いだろう。麗奈が大空を見る視線は恋する乙女のそれでは無い。


「納得がいかない? 他の誰でもない、この久遠院大空の決定に異議があるというのか?」


 凄む大空に麗奈が怯んだ。しかし、それでも麗奈は食い下がる。


「はい。花嫁の選定試験の時、私も星河も詰め碁は解けていました。つまり、その段階では私も花嫁候補だったということですね?」

「そうだな。だからこそ対局で実力を見る気になった」

「では対局した結果、星河のほうが私よりも強かったということですか?」


 麗奈の問いに大空は首を振る。


「いや。現時点では麗奈のほうが強いだろうな」

「ではなぜ星河を選んだのでしょうか? 私のほうが実力で上ならば、私を花嫁として迎えるほうが筋が通っているはずです」


 麗奈の言うことは正しいように思える。星河の棋力では久遠院家に認められることは難しいだろうが、麗奈なら受け入れてもらえるかもしれない。

 星河は不安を覚えた。やはり星河ではなく麗奈が選ばれるのではないだろうか? 先ほどまでは、それで良いと思っていた。今は違う。大空の元で囲碁を打ちたいという確かな感情が芽生えている。緊張しながら大空の判断を見守る。


「俺が選んだ。それでこの話は終わりだ」


 大空が断言して、星河は心が軽くなったのを感じる。しかし、大空がここまで言っても麗奈は受け入れようとしない。


「待ってください。私に挽回の機会をください。私と星河の対局を見てください。どちらを選ぶべきか、はっきり分かるはずです」

「無意味だ。それで麗奈が勝ったところで俺は自分の決定を覆すつもりはない。……対局で己の実力を示したい意思は嫌いではないが、その気概は昨日の対局の時に見せるべきだったな」


 どう言われても大空は自分の意見を変える気はないようだった。麗奈は諦めずに条件を追加した。


「……私が負けた場合、花嫁候補を辞退して、久遠院家に星河を推薦します」

「ほう?」


 れい子はさきほど、落ちこぼれの星河を花嫁に選んだことを久遠院家に報告すると言っていた。きっと内容は苦情や文句だろう。麗奈が言ったことは、その逆だ。星河と対局して負けた場合、苦情どころか星河を推薦すると言っているのだ。

 現状では大空が独断で星河を花嫁にしようとしているみたいだが、正式に新開家の後押しがあれば状況が変わるかもしれない。


「ちょっと麗奈さん! 勝手にそんな約束をしないで頂戴!」

「申し訳ありません、お母様。でも、星河よりも才能が劣ると思われるのだけは我慢できません」


 れい子が文句をつけるが、麗奈は引く気はないようだった。麗奈が星河のことを睨みつける。


「星河、私はあなたに劣るなどと思ったことは一度もありません」


 その姿を見て、花嫁選定試験の前に麗奈が言っていたことを思い出した。


『星河、私、負けないから』


(もしかして、あれは、わたしに言っていたの?)


 どうして麗奈がここまで大空の花嫁にこだわるのか分からなかった。しかし、もしかしたら大空の花嫁になりたいのではなく、星河が選ばれたことを気にしているのだろうか。自分よりも劣っていると思っていた星河が選ばれたのが気に入らないのかもしれない。それでも、嬉しい。ただ避けられるよりは、嫌われていても意識されるほうがマシだ。


 星河も麗奈と打ちたいと思った。どのみち、久遠院家に花嫁として認められるためにはどんな勝負にも負けてはいられないのだ。だったら、正々堂々と麗奈と勝負をしたい。麗奈と大空の対局を見て、


 それに、義姉と囲碁を打てば、もしかしたら仲直りができるかもしれないと思った。星河にとって一番の思い出は始まりの碁で、星賢と麗奈と一緒に楽しく打った記憶は今も大切に心の中にしまってある。またもう一度、あの時のような囲碁が打てるかもしれない。


「打とう、お義姉ちゃん! わたしもお義姉ちゃんと打ちたい!」


 真っ直ぐに麗奈と目を合わせる。星河の笑みに、麗奈が怯んだように後ずさった。


「私は……あなたのそういう笑い方が……」


 何かを言いかけるが、途中で麗奈は口をつぐんだ。


 星河は大空の服をつまんだ。星河よりも遥かに背の高い大空を見上げてお願いする。


「大空様、わたしもお義姉ちゃんと勝負をしたいです。その結果を見て、どちらを花嫁にするかを決めてくださいませんか」

「お前までそう言うか……」


 大空はため息をついた。


「三ヶ月だな。三ヶ月後、星河と麗奈で対局して、勝った方を俺の花嫁とする」

「三ヶ月、ですか」


 大空の言葉を麗奈が繰り返す。


「不満か?」

「私は構いません。しかし、星河は六年間囲碁を打っていません。その差が三ヶ月で埋まるとは思えませんが」

「埋まる」


 麗奈の疑問に、大空は断言した。麗奈の六年間は星河の三ヶ月にも劣ると言っているのに等しい。侮辱とも取れる発言に、麗奈の頬が少し赤くなる。珍しく顔に出るほどに怒っているのだ。


「分かりました。私は三ヶ月後で構いません」

「星河もそれでいいな?」

「は、はい……」


 正直なところ、三ヶ月で麗奈に勝てるぐらい強くなる自信は全く無い。麗奈は高い実力を持っており、星河の中では高すぎる壁だ。でも、だからといっていつまでも勝負を先延ばしにすることはできない。星河が頷いたことで両者の合意が取れた大空は、最後にこう宣言した。


「三ヶ月後の勝負までは、星河はウチで預かる。いいな?」


 一瞬、大空が何を言ったのか分からなかった。大空はいつでも急にとんでもないことを言う。


 ウチ。ウチというのは、久遠院家の屋敷ということだろうか?


(えー!?)


「行くぞ。星河」


 要件は済んだのか、大空がスタスタと帰っていく。星河がついてくるのは当然と言わんばかりの態度だ。どうやら星河のほうには拒否権は無いらしい。れい子と麗奈も異論は無さそうだった。気まずい雰囲気の中、星河は二人に頭を下げると大空の後を追った。

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