マリカ・ル・ファト

狭霧

第1話 第一魔女国《ルーヴァ》

「パパの見送りは無いの?」

 母親のクラミアに背を向けたまま、両手に大きなバッグを提げたマリカは訊ねた。

 居間の天窓から見えるルーヴァの空は、この時季にしては珍しく青く晴れ渡っている。

「決まりのこと、言ったでしょ?男は見送りに出ちゃダメなの。それよりマリカ、分かってる?向こうでは校長先生の言う事をよく聞いて動いてね?人間世界は、こことは随分様子も違うからあなたは――」

 また同じ話をしている――。マリカは溜め息を吐いた。

「じゃあもうエメリとジュジョアが来るから、行くね?」

 クラミアの話しを切るように、マリカは敷地前を横切る坂へと歩き出した。

「あ、待って!ちょっと――」

「まだ何かあるの?ねえ、ママ、私も子供じゃ無いんだし」

 呆れて振り返ると、フワリと抱きすくめられた。頬に掛かるクラミアの髪の香りが懐かしく感じられ、マリカは黙った。母親にハグされるのは久しぶりだった。

 腕を解き、顔を離したクラミアはマリカの胸元に飾られたペンダントトップをそっと手にした。

「私の誇りよ。あなたならきっと、やり遂げられるから」

「やり遂げるって、ママ、確かに魔女学校に――クラン・ボーハルに入学するのは一つの魔女国から年に多くても二人くらいだから名誉だし、そこで良い成績でいるのは大変だと思うけど、少し大げさすぎない?」

 クラミアはペンダントをマリカの胸元に仕舞うと、隠すように手を自分の後ろに回し、笑って見せた。

「そうだけど、とにかく頑張って欲しいのよ」

「はいはい。あ、エメリ達だわ!じゃあね、ママ。贄祭りには帰って良いらしいから、それまで元気でいてよ?パパに、あんまり厳しくしないように!パパってすぐに〈いじけちゃう〉んだから」

 重いバッグを高々と上げ、手を振った。坂を下りてきたマリカの二人の親友、エメリ・ドリーオハトとジュジョア・コスタもクラミアに手を振っている。エメリは、前女王の孫娘で、ジュジョアは崖の魔女族の一人だ。

「元気よねえ、マリカママって」

 振り返り手を振るジュジョアが、さも可笑しそうにそう言うと、エメリも同じように手を振り、頷いた。

「マリカママって、ずっと変わらないよね?」

「おっかなさがね」

 口を尖らせて言うマリカにエメリは首を捻った。遠くなったクラミアは、まだ手を振っていた。その指先に、微かな血が滲んでいるのを、マリカは知らない。

「怖い?マリカママが?全然そんな事無いのに」

「あなたたちにはね!あれで、家じゃパパも頭が上がらないんだから。パパは二メートル四十センチだよ?それを押さえつけてんだから凄いものよ。私にも勉強しろ、掃除しろ、手伝え――って喧しいし」

「えー?そんなのどこも同じだって!うちのママなんかも、崖山羊たちの糞の掃除を忘れてただけで火山爆発よ!ねえ、エメリ」

 振られてエメリは曖昧に笑った。

「ジュジョ、エメリん家はエメリに山羊の糞掃除なんかさせないわよ…」

「そりゃそうだろうけどさ!」

 笑い合う。

 知識としての四季はマリカ達も知っている。だが夏という季節のないルーヴァは、短い秋を終え、雪の降る長い冬に向かっている。道の脇には、秋の終わりを告げる〈夢閉じの花〉が咲き誇っている。嫌な夢を見た時、この花の香りを嗅ぐと心安らかになれる――と言われる国花だ。

「半年か」

 ジュジョアが呟いた。

「あれ?行く前からもうホームシック?気が早い…」

 マリカに揶揄われ、ジュジョアは頬を膨らませた。

「違うんですけど!たださ、まあほら、私たちってこの国から出た事ないわけで」

「それはそうよね。名残惜しくもなるわ。贄祭りの一時帰国は半年先の春だもの」

 エメリも、しんみりと呟いて、坂を振り返った。エメリの住む屋敷はマリカの家の先で、更にその奥には、ジュジョアの一族が暮らす断崖絶壁があった。三人は、小さかった頃からいつも一緒に遊ぶ仲だ。

「まあそうだけど――私は、他の事で今頭が一杯よ」

 そう言うマリカの横顔を覗き込み、エメリが呟くように訊ねた。

「〈虚ろ穴〉のこと?」

 〈虚ろ穴〉とは、世界に七つある魔女国と人間界を結ぶようにある道の事だ。自由に通る事は出来ず、普段は閉ざされている――と、マリカ達は子供の頃から聞かされて育ってきた。穴にまつわる様々な伝説とともに。

「ミアン?」

 ジュジョアの言葉に、マリカは眉をひそめた。

「虚ろ穴のミアン――って、本当に居るのかしら?私の家には王城に負けないほど多くの古い書物があるし、おばあさまからも沢山の昔話を聞いたけれど――」

 エメリは背負ったバッグの肩ベルトを握りしめた。

 ルーヴァだけで無く、全魔女国の子供が怖れる存在――ミアンは魔女でも、人でもなく、魔族でも無いと言われている。その姿を見た者は少なく、本当に見たかも怪しまれている。

「虚ろ穴は、人間界に行く時だけじゃなくてさ、魔界にも通じてるって話しでしょ?ミアンって、魔族じゃないのかな?」

 顔を上げたマリカに、エメリがキッパリと答えた。

「それは無いわよ」

「なんでよ?魔界から出てきて、穴に居着いちゃったとかさ」

「おばあさまが話して下さった事があるわ。そもそも〈虚ろ穴〉って、魔女の始祖であるアラディア様が通ったから出来たんだって。で、最初は魔界にも足を踏み入れたから道が出来たと言われてるけど、あとでその通路はアラディア様ご自身で塞がれたんですって。穴に、魔界族封じの強い呪紋を掛けたって聞いてるわ。だから、居るわけないわよ、魔族なんて」

「ねえ?なんでアラディア様は魔界なんかに行ったのかな?人間界は分かるわよ。そもそもアラディア様ご自身も人間だったわけでしょ?観光?まさかね」

 上目で空想するジュジョアに、マリカは呆れ声で言った。

「一度行ったことがある場所なら世界のどこでも自在に覗ける魔女の始祖が、なんでわざわざ観光旅行するのよ…」

 ジュジョアは頬を膨らませ、それを見てエメリは笑った。

「あ、王城見えてきたし」

 マリカ達の前に続く下り坂のその先に、ルーヴァ随一の威容を誇る巨大な城が見えてきた。城のどこかに〈虚ろ穴〉は在る――そう聞かされている。

「さあ、行こうか」

 幾分元気のないマリカの言葉に、親友二人は苦笑しながらも小さな声で応えた。

「おー…」

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