【第三章:高野恵美子(1)】

高野恵美子(たかの・えみこ)の人生は苦労くろう連続れんぞくだった。


彼女が幼稚園ようちえんの年少のときに、両親りょうしん離婚りこんをして父親がアパートを出て行った。アパートには父親の写真は残されておらず、母親も父親のことを全く話さなかったので、高野恵美子は、父親のことは祖父母そふぼの家でたまたま見つけた写真に写っていた姿すがたでしか知らない。


父親がどんな人だったのか気になることもあったが、子供ながらにそのことはれてはいけないと思ったため、高野恵美子は父親について聞くことはなかった。


しかし、小学校の入学式の日の夜、自分の入学式のおいわいのためにアパートをおとずれていた祖父母そふぼに、母親がいないときにこっそりと父親のことを聞いたことがある。入学式でまわりのみんなが父親・母親と一緒に写真をっているのを見たからであった。


その質問を受けたときの、こまったような祖父の顔と泣き出しそうな表情ひょうじょうの祖母を高野恵美子は生涯しょうがいわすれることはなかった。そのため、それ以降いこうは彼女は父親のことを考えることすらもしないようになった。


高野恵美子の母親は看護師かんごしであった。勤務時間きんむじかん不規則ふきそくではあったものの、なるべく高野恵美子と一緒いっしょに時間をごすように頑張がんばっていた。そして事実じじつ、高野恵美子は、父親がいないさびしさをそれほどあじわうこともなく、片親かたおやでありながらも、それなりにしあわせにらしていた。しかし、そんな母親は、高野恵美子の高校進学こうこうしんがくが決まった日に、突然とつぜんこのった。


その日は、高野恵美子が受験じゅけんした高校の合格発表ごうかくはっぴょうだった。その高校は県下けんかでもトップの難関なんかん公立こうりつ高校こうこうだったが、高野恵美子は無事ぶじに合格をたす。自分の番号が掲示けいじされているのを見た高野恵美子はすぐに携帯電話けいたいでんわのメッセージアプリで母親に伝えた。母親は勤務中きんむちゅうであったが、にっこりと笑った顔文字かおもじとともに、すぐに返信へんしんをしてくれた。


その日の夜は二人だけの、ささやかではあったが楽しいおいわい会を近所きんじょのファミリーレストランで行った。メインの食事を終えたあとは、二人とも大好物だいこうぶつだというショートケーキを注文した。それを食べ終わったとき、外はくらだった。すでに夜の十時を回っていたからだ。この日、高野恵美子の母親の仕事が予定よりもおそくなったことが原因げんいんだった。


ファミリーレストランを出て、寒空さむぞらなか二人で歩いているとき、母親は突然とつぜん「ごめんね」と言った。高野恵美子は、お祝い会が予定よりもおそくなってしまったことを言っているのかなと、そのときは思った。だが、その後にこのときのことを何度も思い返していたら、その『ごめんね』にはもっと深い意味があったのではないかと思うようになった。


そのときの『ごめんね』には、高野恵美子は「え、なんであやまってるの?おめでとうって言われる日だよ、今日は」と笑いながら答えた。その笑顔を見た母親は、かなしそうなうれしそうな複雑ふくざつ表情ひょうじょうをしていた。それが高野恵美子が見た母親の最後の顔だった。


その直後ちょくご、車のフラッシュライトが高野恵美子をおそい、まぶしさで目が眩んでいると、「あぶない!」という母親の声が聞こえたと同時に体が横にはじばされた。そして、何かがはげしくぶつかる音がして、あたりには悲鳴ひめいさけごえった。


何が起きたのかわからず、尻餅しりもちをついた姿勢しせい呆然あぜんとしていると、誰か知らない人が自分に向かって何かをさけんでいるのが聞こえた。しかし、その人が何を言っているのかは、そのときの高野恵美子には理解りかいができなかった。数分後、救急車きゅうきゅうしゃのサイレンの音が聞こえてきたと思ったら、しばらくしてから救急隊員きゅうきゅうたいいんがやってきて、高野恵美子はよくわからないまま救急車に乗せられた。


れて行かれた病院びょういんのベッドで横になっていると、祖父母そふぼがやってきた。二人とも泣いていた。祖父母が言うには、母親は飲酒いんしゅ運転うんてんの車にはねられたとのことだった。即死そくしだったようだ。あのとき、自分を押したのは母親だったのかと何となく理解ができた。そして、自分を助けなければ母親は死ぬことはなかったんだということに気がついて、なみだが自然に流れ出た。


母親をはねた車を運転していたのは、無免許むめんきょ未成年みせいねんの少年だった。当然とうぜん自動車保険じどうしゃほけんには入っておらず、一度だけ謝罪しゃざいおとずれた少年の両親りょうしんも、その後は音信不通おんしんふつうとなった。裁判さいばんをしても弁護士代べんごしだいだけがかかるだけで、少年および少年の両親からはなん補償ほしょうも受けられないだろうということを、祖父母と一緒いっしょ相談そうだんにいったほうテラスで言われたので、加害者側かがいしゃからわたされたものは、謝罪しゃざいおとずれたさいにお見舞みまきんとしてわたされた十万円じゅうまんえんのみであった。そして、その十万円は母親の葬式代そうしきだいで全て消えた。


祖父母の家は同じ県内けんないにあったので、高校は祖父母の家から通うことになった。しかし、高野恵美子が母親と住んでいたアパートに比べると、高校への通学つうがく時間じかんばい以上いじょうかかることになってしまった。しかも、祖父母は高齢こうれいであったため、祖父母にやしなってもらうというよりかはむしろ、高野恵美子が祖父母の生活をサポートすることになった。結果、高野恵美子の高校生活は、学校の勉強と祖父母の面倒めんどうがその大半たいはんめるものになってしまった。


しかし、高野恵美子はそんな境遇きょうぐうにも不満ふまんを言わず、毎日を一生懸命いっしょうけんめいごしていた。「バイトをして生活費せいかつひかせぐ必要がなかっただけ私はめぐまれていた」と、高野恵美子はのちに大学時代の友人にかたっていたことがあった。そんな高野恵美子は、祖父母の家からかよえる国立こくりつの大学へと現役合格げんえきごうかくたした。


祖父そふは、高野恵美子が大学三年生のときにくなった。冬場ふゆばかかったインフルエンザが悪化あっかして肺炎はいえんになってしまったからだった。そして、それをきっかけに、祖母そぼ認知症にんちしょう悪化あっかした。介護かいごと大学の勉強は両立りょうりつできないと思ったが、祖父がくなる前に申請しんせいしていた老人ろうじんホームに祖母が入居にゅうきょできることが、高野恵美子が大学四年生に進級しんきゅうするときに判明はんめいした。うしがみをひかれる思いではあったが、高野恵美子は祖母をその老人ホームに入居にゅうきょさせて、自分は大学院だいがくいんに進んで研究を続ける道をえらんだ。


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