第37話 神明裁判ⅩⅣ 血雨の檻の中で
「……ははっ。俺ってホントに独りじゃ何にもできねぇんだなぁ」
天に向かって振り上げられた触手が陽の光を遮って、俺は太く
日陰の中からだと、下から見上げたときに空に浮かぶティアの顔がよく見えた。
——苦痛に歪む、俺の大切なティアの顔が。
俺はもうこれ以上、こんな顔をさせたくなかった。
「……ティア、もういいよ」
「きゅやあああ、ああああ!!!!」
悲鳴のようなティアの鳴き声と共に、空を覆う触手が俺に向かって振り下ろされる。
……だが、突如その触手が根本から「バツン!!!!」という破裂音と共に、血煙を吹きながら破断した。
「ぎゅああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
ティアの絶叫が響く。
破壊を受けて跡形もなくなった中庭に、真っ赤な血飛沫が激しい雨となって降り注ぐ。
——それは一本の触手だけではなかった。
次々に、背中から伸びる触手が弾け、千切れていく。
「……おい、やめろ、ティア! 何やってんだよ!!」
「ぐぅうううううぅ!!!! お、おのれ! なんだこの痛みはっ!?」
声が上がった方を見れば、エドワルドが自分の腕を押さえて膝を突いていた。……そうか、ティアの痛みがフィードバックしているのか!
……でも、それじゃあ、ティアは自分であれをやってるのか!?
「あ、がっ!? ぐ、う、ぬぅううう!!?」
その時、エドワルドの様子がまた変わった。
……痛みに苦しんでいるだけではなく、焦っているようにも見える。一体、何が起きているんだ……?
「ぐぅ、う!! ——ば、バカな。禁術がっ、我が【王権神呪】が破られる……だと!? がっ!! ぐぅおおおっ!?」
ぶぢ、り。
その時。
何か取り返しのつかない物が壊れたような、
嫌な音がした。
——————どぐん
エドワルドの魔人化した全身が「ぶるり」と震える。
「……あ?」
どぐん
どぐんっ
どぐんっっ!!
脈動は徐々に大きくなる。
一度エドワルドの体が脈を打つごとに、魔人化した身体のあちこちが
「な゛……んだ? ごれは……!!」
両脚は太腿から大きく膨れ上がり、獣魔の如き筋肉の鎧に覆われる。
両腕は地面についてしまうほどに肥大化し、両手の指の先にまるで
「どぐんっ!!」一際大きな脈動に合わせて、うぞうぞと蠢く
ついには頭部すら歪んで、まるで龍と人とが混ざったような奇妙で不気味な顔立ちに変貌していく。——そしてエドワルドは人間だった面影を全て失い、ただの一匹の醜い魔獣と成り果てた。
「ああぁ、あああああ、ああああーーっ!!」
自らの身体が常軌を逸した変化を遂げたことに耐えられなくなったのか、エドワルドは口から赤子が怯えて泣く声のような、聞くに堪えない悲鳴をあげ続ける。
「な、んだ、あれ……! アイツ、急にどうしちまったんだ……!」
「なにか、良くないものが彼の身体に一気に流れ込んだ。……いいや、逆流したようだ」
ティアの猛攻が止んだため、俺の隣に戻ってきていたエルミナさんが教えてくれた。——逆流。つまり、ティアの側から流れ込んだということ。
何が? 決まっている。
ティアを縛っていた『呪われた
「
「【
世界を繋げ、構築する
それが反転することで世界を害する物質になる。……そんなものが、ティアに大量に流れ込んでいたのだ。
だが今、ティアを縛っていたエドワルドの『隷属の呪い』の鎖は引き千切られた——だったらティアも元の状態に戻っているはず! ……だが、そんな俺の期待は大きく裏切られることになる。
背中から生える十本の触手全てを失ったティアは、破断した傷口から大量の血煙を立ち昇らせながら、血を流している。
血煙は赤い雲を天に作り、
赤い雲から血雨となって地面に降り注ぎ、
血雨は溢れて流れ、集まって川となった。
「きゅあああ、きゅああああああぁぁ……!」
弱々しく、痛ましい声で鳴き続けながら、ティアは血潮を吹き出し続ける。
……おかしいだろ。
どう考えても失血量が多すぎる。
ティアの体がどれだけ大きくても、生物が流していい血の量を超えている!
このままだと、ティアが死んでしまう。
「おい、ティア! ティア!! もう大丈夫なんだよ! 俺の声が聞こえないのか!」
俺は必死で呼びかけるが、ティアは俺のことを見ようともせずに、空中で身を震わせながら泣いていた。
「——ナギ君」
「エルミナさん! ティアがっ!!」
「あぁ、彼女のことも気がかりだが……今は目の前の状況に注意した方がいい。……来るぞ!!」
「えっ——あれは……!!」
『JYAAAAAAAA 、ZYAAAAAA!!!!』
醜く歪んだ獣が雄叫びを上げながらその豪爪を振り下ろしてきた!!
「はあっ! 気を付けろ、ヤツはもう理性など残っていない!!」
白銀に輝く霊剣で、
「ナギ君。君に頼みたいことがある」
「……俺にできることなら」
「君にしかできないことだ。——あそこで寝ている、私の愚妹を起こしてきてくれないか?」
そういってエルミナさんは、懐から小さな短剣を取り出して俺に投げてよこした。
「破魔の
「やります!」
短剣を持って即、駆け出す。
空ではまだティアが苦悶の声を上げて血を吹き出している。
王城から眺める城下町の景色は、大通りをはじめとした道路を赤い流れが覆い始めていた。
(もうあんなに!? これじゃ街が沈むぞ!)
俺の目に映る異変はそれだけではなかった。
ゴドォォワガシャゥワァァアアンン!!
王城の尖塔の一本が、突如轟音を立てて崩れ落ちた。……砂埃の煙幕と突風が押し寄せてくる!
「……な、にが……!?」
土煙が晴れた後、落ちた塔を見る。
……重厚な造りの塔は、表面がボロボロになるほど腐食し、朽ち果て、自重を支えられずに崩落していた。
「これ……! まさか!!」
真っ赤な雨に打たれていた自分の体を触る。
表面を軽く撫でただけで、まるで粘膜を直接触ったようなピリッ!とした鋭い痛みが走った。
(——皮膚が、溶けている。ティアの血が、全部を溶かしていく)
俺はギルド地下の『封印牢』の中で、自分の掌から溢れた血のことを思い出していた。
あの時俺の血は、石造りの床を一瞬で溶かしてみせた。
ティアの血はそこまでの即効性は無いようだったが、そんなものが今王都全体に雨として降り注いでいる。
王都の街々でも、徐々に建物の崩落する音が響いてくる。……それと共に、多くの人の叫び声も。
(最悪だ……最悪だ! このままじゃ、ティアが大勢を殺してしまう!!)
俺は走る。
自分の力が足りないとか、何ができるかなんていうのはもう考えていなかった。
ただ、ただ。
最悪の結末が近づいてくる予感から、
必死で逃げようと走り続けていた。
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