第14話 迷宮迷路Ⅱ 万魔氾濫/スタンピード


 時間は少し遡る。

 王都、冒険者ギルド本部にて。


 いつも冒険者で賑わうホールが、火が消えたようにしんと静まり返っていた。


 ——先日来、ダンジョン深層域の攻略に向かっていた上級冒険者が一人、帰って来たのだ。


 その冒険者は、深層域攻略隊の中でも有力なパーティで壁役タンクを担っていた男だ。

 名をランドルフ・ブリガンディといい、フルプレートアーマーを普段着にしている変態であったが「ヨロイさん」として皆に親しまれていた。——その男がダンジョンからたった一人帰還したのは、今朝のことだった。

 

 ランドルフはダンジョンを出てからも、他の冒険者からの声掛けに一切反応を示さず、のそり、のそりと歩いて、時間をかけて冒険者ギルドの中に辿り着いた。

 それまでずっと話しかけては無視されていた顔見知りの冒険者が「お前、いい加減なんとか言えやぁ!」と痺れを切らしてランドルフのヘルムをぱこーん!っと叩いた。


 ガラン、と床に落ちるヘルムの音。

 その衝撃で、両腕の鎧もドサドサッと脱げ落ちた。


「あぁ……?」


 ホール内にいた冒険者の視線が集まる。

 だが、

 

 瞬間、冒険者ギルドは悲鳴の坩堝るつぼと化した。 


 頭と両腕を失った冒険者の死体が、自ら歩いて帰ってきた。

 この事態に冒険者ギルドは大混乱に陥りながらも、ギルド職員は各所に連絡を取り出し、冒険者たちはギルド内で即時に武装を整え、戦闘態勢に移った。


 その時だった。

 

『あー、あー、テステス。聞こえていますか?』


 緊迫した空気の中。

 間の抜けた緊張感の無い声がホール全体に響く。


「なんだ、どこから声が!?」


『あ、良かった聞こえてるみたいですね』


 ……声は、冒険者ランドルフの遺体から聞こえていた。

 冒険者たちは息を呑む。


「……何者だ?」


 現場に駆けつけたギルドマスター・マードックは、声の主との会話によるコミュニケーションを試みる。

 ……死体をメッセンジャーにするという猟奇的な手段を用いてこちらへとコンタクトを取ろうとする相手だ。マードックは、最大限の警戒をしながら話しかけた。


『僕の名前は……あ! えと、えーっと「名も亡き遺骸ジェーン・ドゥ」と言います! 以後よろしくお願いします』


 予想に反して、声の主は明るい調子で名前を告げる。……明らかな偽名ではあったが。


「“身元不明女性遺体ジェーン・ドゥ”、か。不吉な名だが……とりあえず、匿名希望という扱いでいいか?」


『はい、すみませんが、今の所はまだ。……時間がありません。単刀直入に言います。——深層域で「万魔氾濫スタンピード」が発生しています』


「な、に!?」


 『万魔氾濫スタンピード

 それはダンジョンを擁する都市では「最悪」と言って過言ではない魔物災害。

 ダンジョンに出現するモンスター達が、なんらかの要因を切っ掛けに爆発的に大量発生する。

 それはまるで蝗害の如く、魔物たちの群れが全てを喰らい尽くしながら地上を目掛けて殺到してくる悪夢のパレードだ。


 『万魔氾濫スタンピード』はその現象が発生する階層によって危険性が大きく変わってくる。当然、下層に行けば行くほどモンスターの脅威度は上がり、対処が難しくなっていく。


 過去、ギルドが管理している記録としては、約一年前に“下層で発生した”万魔氾濫スタンピードの事例が、最大の被害をもたらした大惨事として記録されていた。


(それを、言うに事欠いて“深層域で発生”だとぉ……!? 事実であれば、現有戦力ではとても止められぬ!)


 マードックの首筋に、冷たい汗が流れる。

 現在、王都の冒険者ギルドで活動している冒険者パーティのうち、最上位帯の上級冒険者は皆、深層域攻略隊へ参加している。……つまり、現在メッセンジャーとして何者かに使されている冒険者ランドルフもその一人だ。その彼らが戻らない場合、防衛戦力として中位冒険者パーティを総動員したところで、


「『名も亡き遺骸ジェーン・ドゥ』、確認したい。この男と同じ攻略隊の冒険者たちは、皆もう戻らないのか?」


 マードックの質問に、ギルドにいる全員の背筋が凍りつく。最悪の事態を、誰もが想像できている訳ではなかったのだ。


『——半数程度は帰還できると思うのです。ですが、恐らくそれは「万魔氾濫スタンピード」の地上到着後となるでしょう』


 半数程度。

 つまり、現時点で深層域攻略隊の半数近くが死亡、ないし戦闘不能の状況に陥っているという事だ。


(——最悪だ。いよいよ、手が足りん……!)


 マードックは今は誰が死んだかを敢えて考えない。

 上級冒険者達は皆、付き合いも長い友人たちばかりだ。戻らない誰かのことを考えては、「決断する」という仕事が進まない。


 遺体を経由した音声通信が、不安定に歪む。


『ザザザッ……が、攻略隊の囲いからのがれ、下層の魔物を追い立てるようにダンジョンを登っています。直ぐに対処しなければ、明日にも……ザザザザ』


「待て、音声が途切れて聞こえない!」


『……ここも長く持たないようです。緊急事態とはいえ、冒険者の死を冒涜する方法での連絡とな……ことをお詫び』


 ここで突然、会話は途切れた。

 冒険者ランドルフの遺体は、通話が終わった途端に糸が切れたように崩れ落ちた。


 ギルドマスター・マードックはランドルフの遺体に近寄り、彼の代名詞であった鎧を調べる。

 ……鎧の表面には無数の引っ掻き傷や、大型の魔獣の鉤爪によるものと思われる大穴が開いていた。そして——


(この傷跡。これは……!)


 魔物による粗暴な攻撃とは一線を画した、背中を真っ直ぐに切り裂いた傷跡。

 高品質な金属鎧を、容易く断ち切るほどの鋭利さと技の冴え。——明らかに、人間の手による刀疵かたなきずであった。


 それは、マードックにとっては最悪の報せであった。

 万魔氾濫スタンピードの群れの中に、上級冒険者に致命傷を負わせられるがいる。それはつまり、此度の万魔氾濫スタンピードを仕組んだ明確な「敵」がいるということだ。


「一体、今ダンジョンで何が起こっているというのだ……!」


 敵の目的も動機も不明な中、情報の真偽を確かめたいが、時間がない。

 『名も亡き遺骸ジェーン・ドゥ』の話が正しければ明日にはもう地上へモンスターが到着する。——だが。


「こんな形で仕事を依頼することになるとは思わなかったぞ。……急な依頼ですまないが、頼まれてくれるか?」


 マードックは準備を怠ってはいなかった。

 が脅威となる前に、それを止めるための「最強」の切り札を王都に呼び寄せていたのだ。


「ギルドマスター・マードック殿、若輩ゆえ私への気遣いは無用に願います。人類の救済こそ我が使命。不肖、このエルミナ・エンリル。この手が届く範囲の人々は、私が必ず護ると誓います」

 

 白銀の鎧に身を包む戦乙女。

 白皙の美貌に、意志の輝きを宿す瞳。

 星々の煌めきを封じ込めた【星神剣セレスティアルディバイダー】に認められた神威の代行者。


神聖騎士ディヴァイン・ナイト】——エルミナ・エンリル。


 冒険者としての最上位ランクである『世界を旅する冒険者ワンダラー』の一人にして、人類の守護者として神に認められた英雄のみが至ることができる究極職【神聖騎士ディヴァイン・ナイト】。 

 その二つの肩書きを背負う、真の英雄たる彼女が、最悪の事態を防ぐために力を尽くすと宣言した。


 冒険者ギルド内に喝采と鬨の声が上がる。

 先程まで絶望に支配され、声を殺して下を向いていた彼らはもう居ない。

 何故なら、人類の守護者、神剣の担い手が味方についてくれたのだから——!


 沸き立つ冒険者たちの歓声を一身に受けながら、誰も彼もを安心させるようにエルミナは柔らかな微笑みを浮かべていた。



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