第15話 性犯罪歴照会制度は応報刑で、可能性での処罰

 この刑法に大っぴらに反対すると、子供の人権について言われそうですね。私としては言っていることはわかりますが、その論点を広く報道して議論を待ってから判断すべきだろうというスタンスです。

 というのは刑法については刑事訴訟法も含め、その機能について一般国民が広く勉強しているとは思えません。犯罪が抑止できるなら、子供の為ならいいや、で安易な賛成が多い気がします。


1,「罪を憎んで人を憎まず」という考えは完全に捨てるのか。2.応報刑か目的刑か。刑法典が想定する懲罰を逸脱していないか。3.特別予防論による教育効果、一般予防論を否定して刑罰に抑止効果はないという結論でいいのか。4。公権力を逸脱した人権侵害はないのか。刑期を終えた人の人権侵害なのではないか。5.性犯罪は冤罪問題がある。あるいは立証責任が法の適法運用されていない。6.他の犯罪とのバランスが取れているのか。あるいはバランスが取れていないという議論のもと、他の犯罪に制度が無制限に拡大して行かないか。7.再犯率は薬物依存、窃盗、傷害が高い。なぜ性犯罪が優先するのか。8.犯罪履歴は恐らく流出するでしょう。その場合取返しがつかない人権侵害が起きます。


9.何より誰かからの申告で裁判が行われない状態でDBに掲載されるそうです。これは密告制度・秘密警察にもつながる極めて危険な思想ではないでしょうか?


などの論点を丁寧に説明すべきでしょう。


1の「罪を憎んで人を憎まず」というのは孔子の言葉とされています。犯罪行為が悪いのであって、犯罪を犯した人が悪いのではない、という考えです。その犯罪は本当にその人だけの責任だろうか?犯罪を犯した人が犯罪を犯さざるを得ないような状況、社会環境にある場合にその犯罪が行われたのはすべて行為者の責任に帰結していいのか?という考え方です。哲学者のカントもこの考えの様ですね。


 今、世の中は新自由主義的、リバタリアニズムに支配されていますので、自己責任論が支配的です。犯罪者にすべての責任を取らせるという方向が受け入れられやすいかもしれません。


 その一方で情状酌量などの判決はこの考え方によるとも言えます。虐待を受けていた子供が親に反撃したら?人を殺めようとしている我が子を親が殺したら?など。これはすべての責任を行為者に帰結していない例ですが、この考え方はどうなるのか。性犯罪には情状酌量もなくすべての責任が誰かに帰結するのでしょうか。

 社会で言えば、貧困と飢餓が蔓延している世の中で拾得物を横領するのが悪い事か。構造主義的な考えで言えば、自由意思などあやふやなものです。本当にすべての責任が個人に帰結していいのか。それがこのDBSの考えにならないでしょうか。


2の応報刑というのは、ハンムラビ法典ですね。「目には目を、歯には歯を」です。もちろん現在の刑法は、懲役・禁固・罰金・死刑ですので、直接人をケガさせれば同じ場所を傷つけるわけではありません。要するに犯罪を犯した仕返しを受けることです。その仕返しが、被害者からなのか社会からなのかは考え方でしょう。

 目的刑論は一般予防と呼ばれる刑罰による犯罪抑止効果、教育刑論(特別予防)という犯罪者の更生などがあります。

 我々が議論するときどうしても応報刑論になります。1の犯罪がすべて属人的かという考え方と絡んできます。懲役刑が教育刑であるなら、このDBSによってその考えは否定されることにならないか。


 DBSはどの論点からも理論化ができそうですが、一方でどの論にも当てはまらない気がします。それは刑罰か?と言われると刑罰ではないからです。有期刑というのは刑期が終わればその人は償い終わった、という原則が崩れるからです。4の公権力による人権侵害が継続した状態にならないでしょうか。

 しかも予防といっても、刑罰の抑止効果ではなく情報によるその犯罪者の内面ではなく外部からの予防効果だからです。3の特別予防は更生を促し再犯を犯さなための教育としての刑罰という考え方です。一般予防は刑罰を受けることと犯罪における利益を比較考慮し犯罪が割に合わないとする抑止力です。この条文はつまり刑法による処罰には機能がないと判断したということでしょうか。(なぜ一般予防になるかといえば刑を受けた本人が刑罰と犯罪による利益を比較して犯罪を犯してしまうから)であるなら、死刑との整合性はどうなのでしょう?特別予防、一般予防がないなら死刑は応報刑だということでいいのでしょうか。


 7の再犯率ですが、薬物・窃盗・凶悪犯が極めて高いそうです。それぞれを外部から抑止しなくていいのでしょうか。凶悪犯を犯した人間を隔離する方が性犯罪より先ではないでしょうか。それを拡大して行くと6で懸念したとおり無制限な予防措置、つまり管理社会にならなないでしょうか。



5の性犯罪の立証責任ですよね。「ない」ことは証明できない。ですから、痴漢については言ったもの勝ちと言われています。現在は衣服の繊維やDNAなどが証拠として採用されることもあるそうですが、これとて「やってない」事は証明はできません。立証責任は検察にありますが、なぜか結局物証が無くても親告した「被害者」の証言で有罪が出るケースもあるようです。この状態で本当にこのDBSを運用して大丈夫なの?


 8のデータベースの流出は避けられないでしょう。市町村のIT音痴、情報管理の下手さは世界有数です。起きる前から分かっていることですからね。


 9が何よりも懸念すべき点で犯罪抑止の為なら、本人の知らないところで形成された情報で監視・管理・人権の制限が行われるということです。

「psycho-pass(サイコパス)」というアニメで「犯罪係数」という概念がありましたね。犯罪を起こしそうだとシビュラというAI的な仕組みが判断した場合、裁判なしで投獄、処刑できる社会ですね。犯罪の抑止のためなら未来予測も含めて刑罰・人権侵害を行ってよいのか?です。「1984」「リコリスリコイル」も同じような社会でした。


 これらを本当に話し合った結果なんでしょうか。そこが気になります。





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