第37話

 ワッと碧菜の声が響いた。視線を向けると大きく跳ねたボールが風に流されてアマキたちの方へと転がってくる。


「どんだけ全力で遊んでんだか」


 アマキは呟きながら立ち上がってボールを拾う。そして身体を起こすと、いつの間に来たのかナベが立っていた。彼は無言で微笑むと「ありがとう」と手を伸ばす。


「あ、うん……」


 アマキはボールを渡しながら「アオに連れて来られた感じ?」と聞いた。彼は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに「いや」と恥ずかしそうに笑う。


「俺が来たかったから来ただけ」

「だったらいいけど」

「ナベーっ! イチャイチャしてないで、はやくボール持って戻れ!」


 碧菜の声が響いた。アマキは深くため息を吐く。ナベは笑って「よかったら一緒にやらないか? 柊さんも」とシロにも視線を向ける。


「やらない」

「遠慮しとく」


 シロとアマキの声が重なる。ナベは残念そうに「そっか」と頷くとボールを持って戻っていった。再びベンチに座りながらアマキは自然とため息を吐く。


「また、ため息が深い」

「そりゃ深くもなるでしょうよ」

「ナベ、まだ好きだね。アマキのこと」

「ふうん。どういう色に見えてんの?」

「ふんわりした桜色」

「……つまり、ピンク?」


 アマキの言葉にシロは薄く微笑んだ。


「優しい桜色だよ。アマキを見ているときのナベは」

「そうですか」

「アマキは変わらないけど」

「雲?」

「うん。綺麗な雲の色」


 シロは言いながら、すぐ近くを通り過ぎていく家族連れを見つめている。それなりに人の流れはある。しかし、今日のシロはサングラスをしていない。


「気分は?」

「平気」


 たしかにシロの顔色は悪くない。いつもより白く見えるのは単純に寒いからだろう。アマキはベンチの背にもたれながら「シロってさ」と空を見上げた。鳥が風に乗って遊んでいる。


「修学旅行、好きなの?」

「行ったことない」

「だよね」


 予想はついていた。今まで教室にも行ったことがなかったシロが修学旅行に参加していたとは思えない。それなのに……。


「なんで今回は行こうと思ったの?」

「だって普通は行くものでしょ?」

「普通、ね」

「うん。それにマサノリも言ってた。高校の修学旅行は特別だぞって」

「どう特別だって?」

「特別楽しい」

「相変わらずザックリだね」


 アマキは笑う。彼女も笑ってから「でも、きっとそうだと思う」とアマキを見た。


「ふうん。なんで?」

「だって、一人で行くわけじゃない」

「そっか……」

「うん。だから、普通にみんなと一緒にいられるように耐性をつける」

「いやいや、そんな急につくものなの? それ」

「無理かもだけど、頑張る。だから」


 シロは言葉を切ると柔らかく微笑んだ。


「自由時間は一緒に回ろうね」


 初めて見る彼女の表情は普通の女の子と変わらない。出会ったばかりの頃のシロが見せることはなかった表情。


「じゃ、楽しい場所を探しとかなきゃね」


 アマキは言いながら砂浜へ視線を向けた。クロが派手に転んで楽しそうな笑い声が響いてくる。

 シロが変わったのは碧菜たちの影響だろう。初めて会った頃のシロは一人ぼっちだった。それが当たり前だというような顔で、誰かと一緒にいることに執着もしない。そんな感じだったと思う。


「アマキ?」


 シロの声に被って碧菜が「フジ! シロちゃん!」と呼ぶ声が響いた。


「いいとこ見つけたからちょっと行ってみようよ!」


 碧菜は大声で言いながら両手を振っている。その隣ではクロがピョンピョン飛び跳ねながらアマキたちを呼んでいた。


「また唐突だな。試合はいつの間に終わったんだろ」


 アマキは苦笑しながら立ち上がる。しかし、シロは動かない。アマキは彼女を振り向いて微笑んだ。


「ほら、早く行かないと碧菜がうるさいよ?」

「……うん」


 シロは何か言いたそうな様子だったが、何を言うでもなく大人しく立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る