第30話

翌週の土曜日。アマキたちはシロの案内でクロが通うという中学校へ来ていた。


「……なあ、フジ」


 校門を抜け、校舎に向かいながら碧菜が緊張した面持ちで口を開く。アマキは彼女をちらりと見てから頷いた。


「言いたいことは何となくわかるよ、アオ」


 アマキは言いながら視線を周囲に向ける。そこは確かに中学校だ。ただし、ただの中学校ではない。地域でも有名な小中高一貫の女子校。しかも通っているのはかなり裕福な家庭の子供たちが多いと聞く。いわゆるお嬢様学校である。


「ねえ、シロ」


 アマキは平然と前を歩くシロの服の裾を引っ張った。サングラス姿のシロは少し歩くスピードを緩めて振り返る。


「ほんとにクロってこの学校に通ってるの?」

「そうだけど、なんで?」

「いや、だって、ねえ?」


 アマキは思わず碧菜へ視線を向けた。彼女は「だなぁ」と苦笑する。


「クロのイメージと違うっていうか」

「ふうん?」


 シロはよくわからないといった風に首を傾げると「あ、あそこから中に入れる」と一般来校者用の昇降口に向かった。

 中学の文化祭なのでどうやら火気は使用できないようだ。おばけやしきや小物の販売、展示や火気を使用しない軽食屋などが主な催し内容のようだった。

 高等部も同じ日程で文化祭をしているようで、そちらにはカフェなどもあるらしいが、今日の目的は文化祭を楽しむことではない。


「で、クロは何組なの?」


 碧菜がパンフレットを眺めながら言う。シロは一度パンフレットを眺めると「三組だからあっち」と歩き出す。


「……まさかもう覚えたの? 場所」

「書いてあるんだから覚えるでしょ?」

「シロちゃんって、そういうところがアレだよね」


 碧菜の言葉にアマキは笑うと彼女の後について歩いた。お嬢様学校といっても通っているのは普通の子供たち。無邪気な笑い声が教室から響いてきて微笑ましい。

 この輪の中にクロも溶け込むことはできているだろうか。思ったが、そもそも輪に溶け込むことができていれば学校を休んだりはしないだろう思い直す。

 ふいに思い出したのは学校に行っていないことを告白したときのクロの顔だった。どこか苦しそうな、そして寂しそうな顔。


 ――大丈夫かな。


 無理をしているのではないだろうか。彼女のクラスが近づくにつれて心配が増す。どうやらそれは碧菜も同じだったようで「なんか、緊張するな」と呟く声が聞こえた。


「あ、ここだ」


 シロが言って立ち止まる。辿り着いた教室の戸の上には二年三組のプレート。


「お? なんかけっこう賑わってる」


 ひょこっと戸から教室の中を覗き込んだ碧菜が呟く。アマキも中を覗くと、たしかにかなりの人数が教室に入っていた。いくつかにブロック分けされた机の上には綺麗な小物たちが並んでいる。


「へえ、なんかクオリティ高いね」


 入り口近くの机に並べられていたのはネックレスだった。およそ子供の手作りとは思えないクオリティの高さに驚いていると「うちの店で作ってもらいました」という声が聞こえた。


「――金持ちめ」


 碧菜が呟く。なるほど。手作りではあるが生徒自身の手作りである必要はないということだろうか。アマキは苦笑する。


「さすがだね。お嬢様学校」

「あ、クロ」


 シロの声にアマキと碧菜は彼女の視線を追った。すると教室の一番端っこにポツンと並べられた二つの机があった。その机の近くでぼんやりと椅子に座る二人の生徒。そのうちの一人はクロに違いなかった。もう一人の生徒とは微妙に距離がある。

 クロは会話も接客もせず、ただ俯きがちに座っていた。その姿はアマキが知っている彼女とは別人のようだ。


「――なんだよ、あれ」


 低い碧菜の声に振り返ると、彼女は眉を寄せて小さく息を吐いた。そして「しょうがないなぁ」と髪を掻き上げるとクロの方へ近づいていく。

 最初に碧菜の姿に気がついたのはもう一人の生徒の方だった。彼女は驚いたような表情で立ち上がると「あの、いらっしゃいませ」と軽く頭を下げる。


「はーい、いらっしゃいました!」


 その瞬間、クロがバッと顔を上げた。そして碧菜を見て目を見開く。


「よう、クロ! 久しぶりー!」

「……え。なんで」


 クロは呟くと視線をアマキとシロへ向ける。そして困惑した様子で立ち上がった。


「なんでいるの?」


 そう言った彼女の声は弱々しい。いや、声だけではない。その表情には、店で見るような無邪気さは微塵も感じられない。


「なんでと言われても祭りだからとしか言えないな」


 碧菜はおどけるように言ってからシロへ視線を向けた。


「ほんとはシロちゃんに聞いたの。今日が文化祭だって。だから来ちゃった」

「そう、なんだ……」


 クロは俯きがちに頷く。そしてチラリと教室の中央へと視線を向ける。つられてアマキもそちらを見ると、他の生徒たちがチラチラとこちらを見ているのがわかった。

 クロのクラスメイトなのだろう。しかし、その視線に好意的なものは感じられない。どちらかというと見世物になっているような、そんな好奇の目だった。


「クロはどれ作ったの? これ?」


 きっと碧菜もその視線に気づいているだろう。しかし彼女はまったくいつも通りにクロへ話しかける。クロは「これは、鍋元さんが」と小さな声で言った。


「鍋元さん……。あんたが鍋元さん?」


 碧菜はクロの隣に立つ少女に視線を向ける。彼女はどこか怯えたような表情を浮かべながら「そう、です」と頷いた。


「鍋元なにちゃん?」

「えっと、ハルカです」

「そっか。ハルカちゃん。これハルカちゃんが作ったの? すごいかわいいよね。チェーンもなんか凝ってる感じだし」

「ありがとうございます。チェーンの部分は黒宮さんが取り付けてくれて」

「ふうん? 合作ってこと?」


 碧菜が聞くとハルカは頷いた。


「クラスで好きな者同士グループを作って商品を作るということになったので、わたしと黒宮さんが作業を分担して作りました」


 まだ怯えた様子ではあるが、年の割にしっかりとした受け答えをする。やはり教育が違うのだろうか。そんなことを思ったアマキだったが碧菜は違うところに興味を惹かれたようだ。


「じゃ、二人は友達なんだ? そっかそっか」

「え、いや――」

「なんだよ、クロ。ちゃんと学校に友達いるんじゃん。いや、安心したわー」

「……鍋元さんはグループ決めのときに風邪で休んでたから、先生が勝手にわたしとペアにしただけ」


 クロが低く言う。碧菜は眉を寄せて「おい、クロ」と怒ったように彼女の額へと手を伸ばした。そしてパシンと軽い音が響く。


「いったぁ。なにすんの、アオ!」


 額を両手で押さえ、涙目になりながらクロが声を上げる。碧菜はニヤリと悪い笑みを浮かべた。


「わたしの前でそんな暗い顔をすることは許さん」

「勝手に学校に押しかけて来ておきながら! 理不尽だ!」

「そうだ。世の中は理不尽だぞー。若いうちからしっかりと味わっておくといい」

「むー、アオのバカ!」

「バカって言ったほうがバカなんですー」

「シロー、アオがいじめるー!」

「わたしを巻き込まないで」


 そのときフフッと笑い声が聞こえた。碧菜とクロのやりとりを見ていたハルカが口元を押さえて笑っている。アマキは苦笑しながら「ごめんね、うるさくて」と謝った。


「ああ、いえ。全然大丈夫です。むしろ少し嬉しいというか」

「嬉しい?」


 アマキは首を傾げる。彼女は頷くと「黒宮さん、こんな楽しそうにお喋りする人だったんだなと思って」とクロを見つめながら微笑んだ。


「黒宮さんは転入生だったし、登校している日も少なくてクラスに馴染めていないというか」


 彼女はそう言うと教室の中央へ視線を向けた。


「クラスのみんなも、どういう子なのかわからないから遠巻きに見てるしかできなかったんです。わたしもですが」


 だからあんな視線をクロに向けているのかと納得する。たしかに不登校のクラスメイトがたまに学校に来たとしても誰も近づいたりはしないだろう。むしろ距離を置くかもしれない。

 相手がどんな人間なのかわからない。

 わからないことは怖い。

 だから近づかない。

 自然なことだ。そして、とアマキは碧菜とじゃれているクロに視線を向ける。

 そんな周囲の反応に、きっとクロは萎縮してしまったのだろう。学校に来ても遠巻きに見られるだけ。誰かと話すこともない。そんな状況では学校への興味も薄れ、この場で本来の自分を出すことだってできなかったはずだ。


「……クロ、学校が嫌いってわけじゃなかったんだね」


 アマキの言葉に「クロは少し怖がってただけ」とシロが言った。


「怖がってた?」


 シロは頷く。


「クロが越してきたのは親が再婚したから。新しい土地、新しい父親、新しい環境。だから怖がってた」

「そっか……。それで学校も」

「うん。クロ、ここに来る前は普通の公立学校に通ってたから戸惑いがすごかったんだと思う」

「そうだったんですね……」


 ハルカが呟くように言う。彼女の視線はクロに向けられたままだ。しかし、それは他のクラスメイトのような好奇の目ではない。優しい眼差しだった。

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