第20話 気付いてたっすよね?

「それで、話って何かしら?」


 詩乃を連れ立った恵莉奈は、潤一郎たちから十分な距離を取ったところで脚を止めた。


「一つずつ整理するっす」


 いつもの緩い感じではない、真剣みを帯びた恵莉奈の言葉に詩乃は身構えた。


「まずひとつは」





「天川先輩、去年のクリスマスの前に師匠が谷崎藤村だって気付いてたっすよね?」






恵莉奈の指摘に詩乃の心臓が跳ね上がる。


「なんでそう思うの?」


 いたって平静を装っていた詩乃だったが、手汗が溢れ出ていた。


「だってあたしと師匠が別れてから、師匠が酔いつぶれた時に介抱していたのは天川先輩っす。そのときにいくらでも谷崎節に気付けたはずっす」


 詩乃が潤一郎と谷崎藤村を結びつけたのは谷崎節がきっかけだった。そのことを恵莉奈はずっと不思議に思っていたのだ。


「でも、介抱に集中してて、谷崎節を見逃していた可能性もある」


「そうっすね。でもあのクリスマスだけじゃなくて、何度も師匠とは飲んでるはずっす。それを全部聞き逃すっすか? 谷崎藤村のファンの天川先輩が」


 詩乃と潤一郎は飲み会に頻繁にいく仲であったのもあり、潤一郎が詩乃に心を開いた側面もある。そのことは恵莉奈もよく知っていたのだ。


「でも、正体に気付いていたからってどうしたって言うの?」


「なんで早めに切りださなかったすか。お互い傷口が浅いうちに処理しておけば、師匠も天川先輩もすこしはマシだったはずっす」


「怖かった、のかもしれないわね」


 詩乃は川に軽く小石を投げ込むが、緩流に少しだけ波紋を残したのちにすぐに消えてしまった。


「島崎くんとの関係が変わるのが怖かったの。ただの男女じゃないところまで踏み込むのがすごく怖かった」


「でも、あのクリスマスは自分が漫画家であることまで明かしたじゃないっすか」


「そうね。そこは神原さんの言う通り、傷が浅いうちにって思ったの。それに万が一、なにもなければすっきりと島崎くんと付き合えるじゃない?」


「意外ともの考えてるんすね」


 普段なら詩乃もつっかかるところだが、今日ばかりはそういう雰囲気でもない。

なにより、いずれ恵莉奈とも話し合いをするつもりだっただけに、これは詩乃にとっても好都合であった。


「じゃあ、ふたつ目っす。これはちょっとお願いみたいなもんっすね」


「お願い?」


 まさか恵莉奈からそんな話を振られると思っていなかった詩乃は少々面をくらう。


「師匠と仲良くしてあげてほしいっす」


「……今までの神原さんのスタンスとだいぶ違うと思うのだけど?」


「それは重々承知の上っす」


「一応理由、聞いていいかしら?」


「悔しいっすけど、天川先輩といるときの師匠は楽しそうにしてるっす。それは今日もでした。……師匠が筆を折ったとき、あたしは何もできなかったのに。今でも師匠を笑顔に出来ないのに」


「随分と島崎くんに拘るのね。なんで?」


「師匠とあたしが幼馴染なのは知ってるっすよね?」 


 詩乃が首肯すると、恵莉奈も川に向かって小石を投げる。何度か跳ねたのち、それは対岸に届く直前に川に沈んでしまった。


「あたしと師匠は似てたんすよ」


 互いに家が貧乏で苦労をしてきた。恵莉奈に至っては、親に捨てられて祖父母の家で暮らすことになったほどだ。


「あたしを捨てた両親のことは許せないっす。寂しいっす。でも、そんなアタシの心のすき間を埋めてくれたのは物語の世界だったっす」


 そして一番のお気に入りは潤一郎が書いてくれた本だった。


 彼女にとって物語の世界は救いだった。それと同時に逃げだった。現実を直視しないための世界だった。


 でも潤一郎と一緒にいれば、現実でも怖くなかった。一緒にいてくれる人がいるのが、心強かった。


 祖父母も恵莉奈を大事にしてくれたが、『親に捨てられた可哀想な子』というレッテルが剥がれることはなかった。


 その哀れみが優しさからくるものだとしても、自分を見てもらえないことが恵莉奈にとって何よりも辛かった。


 あの時の恵莉奈は暗くて、目も荒んでいてクラスの誰も声をかけなかった。でも潤一郎だけはあの日、図書室で恵莉奈に声をかけてくれた。


 それが嬉しくてたまらなかった。久々に『自分』を見てもらえたことが、何よりも恵莉奈を救ったのだ。


「だからあたしは師匠に恩返しをしなきゃいけないんすよ。何があっても明るく振舞って、師匠が楽しくいれられるようにしたいんす」


 そのために根暗な性格を変えて、髪も明るく染めていかにも元気な感じの『記号』を演じてきた。潤一郎に返せるのはそれしかなかったから。


「あなたは島崎くんのためだけに動く道具なの?」


「それの何が悪いっすか?」


 迷いのない返答に詩乃は言葉を失った。


 なにより恵莉奈の意思の強さを感じたのだ。道具であることを肯定した少女とは思えないほどの目の力。そのアンバランスさが神原恵莉奈という少女なのかもしれない。


「師匠のためになんでもしたいんす。その結果が道具なら、それでもいいんすよ。だから、最善手の天川先輩にお願いしてるっす」


「神原さんは自分では限界を感じるから、私に任せるってこと?」


「それはちょっと違うっす。あたしも師匠のことを諦めるつもりはないんすよ。復縁できるチャンスがあるなら、遠慮なくいくっす。それでも、現状を考えると天川先輩を追い出すより、師匠と仲良くしてもらった方がいいかなって」


 恵莉奈は詩乃とつまさきを合わせるほどの距離まで近づき、その目で射抜いた。


「だから天川先輩。師匠の笑顔を大事にしてあげてくださいっす。それが出来ないなら、天川先輩は師匠にとって害でしかないっす。だから、師匠を不幸にするなら」




 

「寮から出て行けっす」







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ここまでお読みいただきありがとうございました。

次から3章になります。


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