第6話 新元カノとの破局理由

「安心してくださいっす」


 恵莉奈は釣り糸を垂らした湖を見つめながら言った。


「師匠に編集やらせるつもりはないっすから。無理させるつもりはないんすよ」


「じゃあ何であんな条件を天川と合意したんだ?」


「あれは天川先輩を追い出すためっす! それがいちばんの目的っすから。……でも、師匠にまた彼女にしてもらえたら……ちょびっとだけ嬉しいかもしれないっす」


 そう冗談めかして言った恵莉奈は「本当に無理強いはしないんで師匠のペースでいいんすよ」と苦笑する。


「そういえば師匠はなんで天川先輩のことをそんなに嫌ってるっすか?」


「嫌ってるというか、恋人にするにはきついっていうかな……」


 また一匹、順調に釣り上げて、水を張ったバケツに入れる。


「恵莉奈は天川が漫画描いてるって知ってたっけ?」


「はいっす。師匠と天川先輩が破局したあとに本人から聞いたっす。ペンネームはpoemでしたっけ?」


「そうそう。あいつのSNSアカウントとか知ってるか?」


「あー、コスプレとかあざとい自撮りとか上げてるアカウントでしたっけ?」


「そうそう、それが気にくわん」


 天川は月刊連載をしており、相当な腕を持っているはずだ。それ自体は素直にすごいことだと思う。


 でも、コスプレとかで数字を伸ばして人気を取り続けるのは漫画の力じゃない。作品の力だけで戦っているとは言えないし、フェアじゃない。


 それは天川の描く意味が何も無いと本人が言ってるみたいなものだ。


 そのことが非常に気にくわない。


「たしかに師匠は嫌いなタイプっすよね」


 長い付き合いのお陰か察してくれた恵莉奈は苦笑する。


「それにあれは師匠を否定するようなものっす!」


 確かにそうとも言えるのかもしれない。


 俺だけでなく恵莉奈も力説を始める。


「あたしも気にくわないっすよ、ああいうの。なんか女であることをいいように使ってるみたいで好かないっす」


 恵莉奈はSNSやメディアでも素性を明かすことはない。デビュー当時、出版社からは下駄を履かせる目的で女子高生であることも売りにする打診もあったそうだが、その提案を受け入れずに出版をしていった。


 有名人となった今ではそんな下駄も必要なくなり、素性不明の作家として活動している。


「でも師匠、それは本当に天川先輩を嫌うだけの理由になったんすか?」


「恵莉奈は鋭いな」


「ずっと一緒にいるっすから!」


 恵莉奈は自慢げに満面の笑みを浮かべる。


 彼女の言う通り、作家としての天川が気にくわないだけで別れたわけではない。もちろん、好かない部分があるのは事実だが、その程度で別れるほどの気持ちではなかった。


 別れたのはどちらかと言えば、俺自身の問題であった。


「そろそろっすかねー」


 そして、しばらく釣りをして、日没も近くなってきたころ。俺たちは道具を片付け、天川の釣り場に足を運んだ。


「な、なんで釣れないの……」


 約二時間ほど釣り糸を垂らして何の成果も得られず項垂れている天川を見て恵莉奈は腕を組んだ。


「ふふん、やっぱり天川先輩には貧乏生活は早かったみたいっすね!」


「くっ、負けてないのに負けた感がすごい!」


 心底悔しそうに歯ぎしりする天川も、それはそれでどうなんだ?


「残念だが天川、そろそろ引き上げた方がいい」


「なんで⁉ 今日の夕ご飯なし寝ろって言うの⁉」


「いや、陽が沈むと釣り道具の撤収もめんどくさい。あれこれ小道具をなくしやすいしな」


「くぅ……」


 借り物ではあるし、これ以上粘れない天川は渋々と道具を片付け始める。


 そして……


「ヤマメの塩焼きうまいっす! まだまだ食べちゃいますよ~。あたし、五匹も釣ったので! 五匹も釣ったので!」


 俺、恵莉奈、圭吾の三人は七輪でヤマメを塩焼きにしてかぶりついていた。


 透明な湖も陽が落ちれば真っ暗闇になり、草木も風になびいてすすり泣くだけ。そんな寂し気な空間にぼんやりと温かい光が一つ、二つ、三つ。


 なかなかに風情があっていいものだ。俺たちはこの雰囲気が好きで釣りをしているところもある。


「なんだ天川は食べないのか?」


「だ、だって私一匹も釣れてないし……そろそろ帰ろうかなって」


「おいおい、命を粗末に扱うなよ。ちゃんとバケツに入ってるだろ?」


「え……」


 天川が不思議そうにバケツに視線を移すと、たしかに一匹のヤマメが入っていた。


「なんで……? 私、一匹も釣ってないのに」


「この湖の魚はイキがいいからな。ジャンプでもして入ってくれたんだろ。自然の恵みに感謝していただくといい」


「そ、そういうこともあるのね」


 意外そうにしていた天川は、俺の隣に座る。


 ぼんやりとした七輪の灯りに照らされた天川は実に絵になっていた。


「七輪、借りていい?」


「ああ、マイ七輪を買うまではいっしょに使えばいい」


「マイ七輪って……みんな自分のモノ持ってるの?」


「そりゃ持ってるっすよ~」


「愛着がわくから絶対に持ってた方がいいぞ」


「え、ええ、次の休日にでも……」


 完全に引いていた天川だったが、ヤマメを塩焼きにして割り箸でつつきはじめる。


「天川、大自然を感じるんだ! がぶっといけ! がぶっと! 育ちの良さは捨てろ!」


「そうっすよ! 大自然を感じるっす!」


「そうだぜ、天川さん。大自然を感じるんだ」


「大自然を……感じる!」


 意外にもノリがいい天川は割り箸でヤマメを挟むと、そのままお腹にかぶりついた。


「おいしいっ! 皮がぱりぱりしてて、身はふっくらしてて……」


「そうだろ、そうだろう。ヤマメ先輩に感謝していただくんだぞ」


 俺のありがたいお言葉を聞いてない様子で夢中にかぶりつく天川はあっという間に完食してしまう。


「しょうじき侮っていたわ。まさかここまでだなんて」


「ヤマメはスーパーになかなか並ばない魚だからなー。そう食う機会もないし、ここにいる間にちゃんと食っておくんだな」


「じゃあ、卒業まで食べられるってことね」


「どうだか」


 ふたりでくすりと笑いあう。


「私、あなたともう一度やり直したいの」


「でも俺は天川と一緒になることは無理だ」


「そうね。だからもう一度あなたから告白してもらえるくらい、もっと好きになってもらうの。それか無理矢理くちびるを奪うとかね」


「力技なんだよなぁ」


 この力技で押し通ってくる感じ、去年のクリスマスの天川を思い出して少し嬉しくなる。気にくわないけど、心底苦手だけど、こいつのことは好きだ。


 そう感慨にも似た感傷に浸っていると、天川は何か思いついた様子だった。


「そうだ、せっかくいい経験をさせてもらったんだし、お返ししないとね」








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