5 激怒

 瀬戸くんは放課後になると、教室を一番で飛び出していった。

 授業中も休み時間もひどい顔色で、誰が話しかけても返事もしなかった。

 時々携帯を取り出しては、電話したり、メールを送ったりしていた。



 そんな日々が続いていた、金曜の現国の授業中。唐突に電子音が教室に響いた。電子音はすぐに切れた。きっと、携帯のメール着信音だ。

 誰がマナーモードにし忘れたのだろうと思って教室を見回すと、瀬戸くんが必死な表情で、携帯画面を見ていた。

 見終わったかと思うと、急に立ち上がって、携帯だけを持って教室から出て行こうとした。


「おい、瀬戸! 突然どうしたんだ!?」

「…………」


 現国教師が大声で呼び止めたのを無視して、瀬戸くんは無言で教室を出て行ってしまった。


 ♦ ♦ ♦


 瀬戸くんは、しばらく教室へ戻ってこなかった。

 昼休みが近い世界史の授業中、瀬戸くんはものすごく怒ったような顔で教室に帰ってきた。彼の机の上には、まだ現国の教科書が乗っていた。


「志野谷!!」


 いきなり怒鳴り声を出された。教師を始めとして、クラス中が唖然とした。

 瀬戸くんはそのままものすごい形相で、私の席へ、一直線にやってきた。


「志野谷!! お前、お前……! よくも勝手なこと仕出かしやがって!! 一体どう落とし前つけるんだよ!? お前の仕出かしたことのせいで、僕が月乃さんに大嫌いって嫌われたじゃないか! 僕だって、お前のことなんか大嫌いだ!! 僕は、月乃さんのことが大好きなのに……!!」


 瀬戸くんはそう叫んで、感極まったように絶句した。

 こんなに恐ろしい瀬戸くんは見たことがない。私が呆然と見上げていると、瀬戸くんは右手を振り上げた。


「……!!」


 目一杯、引っぱたかれた。左頬が死ぬ程痛い。


「いいか!? お前、これから絶対僕に話しかけるなよ! 死んでもお前となんか口をききたくない!!」


 教師を始めクラス中が驚愕する中、瀬戸くんはそう怒鳴り捨てて、自分の席にどっかり座った。

 私はひどく痛む左頬を手で押さえ、呆気にとられたまま瀬戸くんを見た。


 ♦ ♦ ♦


 昼休みになって、深見くんが瀬戸くんに何があったのか尋ねていた。瀬戸くんは不機嫌極まりない顔をして黙り込んでいた。

 埒が明かないと思ったのか、深見くんは今度は私のところへ来た。


「おい、志野谷。お前、何やったんだ?」

「…………」


 先程の瀬戸くんの剣幕にまだ怯えている私は、返事をすることが出来ない。


「あの虹川先輩が、瀬戸に『大嫌い』なんて言うわけない。人の悪口を言う人じゃないんだよ」

「…………」

「大体瀬戸は、虹川先輩に滅茶苦茶惚れているんだ。『大嫌い』なんて言われたとしたら、すごいショックを受けるに決まっている」


 ……滅茶苦茶惚れている? そんな、馬鹿な……。


 私も沈黙していると、深見くんは溜息をついて、行ってしまった。


 ♦ ♦ ♦


 週明けの月曜日。

 瀬戸くんは授業中にもかかわらず、机に携帯とはずした腕時計のみを置いて、見つめ続けていた。

 やがて、また電子音が鳴り響いた。瀬戸くんの携帯メール受信音だ。


「…………」


 瀬戸くんは腕時計をはめて、携帯を掴んで、また無言のまま教室から出て行ってしまった。教師が引き止めても、何も言わなかった。

 しばらくしてから教室に戻ってきた。戻ってくるなり、すごい目つきで私を睨みつけてきた。美形が怒りの形相で睨みつけてくるのは迫力がある。私はすっかり怯えて、震え上がっていた。

 瀬戸くんは授業中でもそれ以外でも、怒り狂っているのが誰の目にも明らかで、誰も話しかけられない。

 手に負えないと思ったのか、暇さえあれば、深見くんが私のところへ来て事情を問い質す。私は恐ろしさのあまり、何も言えない。

 次の日はメール音が鳴らなかったけれど、瀬戸くんはまた教室から出て行ってしまった。帰ってくると、私を睨みつける。

 翌日も、更に翌々日も、瀬戸くんは携帯と時計のみを見ていた。

 メール音が響くと、必ず出ていく。メールが来なくても、突然出ていく。そうして教室に帰ってきては、必ず私を睨みつけるのだ。


「志野谷。お前、本当に何やったんだよ。瀬戸があんなに怒っているのはありえない。授業もまともに受けないし」

「…………」


 深見くんの質問に答えられない。精神的に私は参っているのだ。あの恐ろしい瞳で睨みつけられるのは、心が耐え切れない。


 瀬戸くんに睨みつけられ、深見くんには問い質される日々が続いていた。


 ♦ ♦ ♦


 恐々とした日々が続いていた金曜日。隣の席の山井さんが、話しかけてきた。


「あの、ね……。私、もうゲームとかいらないから。瀬戸くんに悪いことしたって、思っている」

「…………」

「私、職員室で聞いたの。瀬戸くん、授業放棄して、……大学へ通っているって。大学ってきっと、虹川先輩のところにだよね。……多分、誤解を解いてもらう為に、通っているんじゃないかな……」

「……そんなこと、言われても……」


 話を耳聡く聞きつけた深見くんが、机へ寄ってきた。


「何の話、してんの?」

「…………」

「ちゃんと話せよ。もう二週間も瀬戸はあんな調子だぞ。見ていられない。きっちり話聞くまで、俺はここから動かないからな!」


 梃子でも動かない構えの深見くんに、とうとう私は白状した。

 深見くんは険しい顔で、話を聞いていた。


「志野谷! お前は馬鹿か! よそ様の婚約話を壊すなんて、普通の感覚じゃない! 大体瀬戸は基本的に女子に甘いけど、それは虹川先輩に、女の子には優しくしろって言われているからなんだぞ。思い上がるな!」

「…………」

「親の決めた婚約でも、本当に瀬戸は虹川先輩のことが大好きなんだ。それをわかった上で早々に謝りに行け。ちょうど明日は休みだからな。俺もついていってやるし、山井も来い。三人で虹川先輩の家へ謝りに行くからな」


 私達三人は明日、あまり失礼にならない程度の早い時間に、虹川さんの家へ謝罪しに行くことにした。

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