10.・・・




───半年ほど経ち、夫との離婚が無事に成立した。


 最初はゴネていた夫だったけど、3年間の不倫の証拠を突き付けると、案外あっさり離婚を受け入れてくれた。諸々の手続きに少し時間が掛かったものの、やっと全てが落ち着いて一安心。


 こんなにあっけなく別れられるんだったら、何年も我慢する必要なかったなぁと思う。


 結果的に私も不倫していた訳だけど、夫はそんなことは微塵も想像していないらしい。


 友達の家に居候させてもらっていると伝えたら、あっさり信じていた。……哀れなものだ。




───その日、お昼過ぎまでスーパーのアルバイトをして。

 帰りに病院に立ち寄った。


 最近の不調の理由……

 やっぱり、予感が的中していた。


 嬉しくて半分スキップしながらアパートへと帰る。


 もうそろそろ引っ越しだな。

 今の私の収入だけじゃ、なかなか厳しいものがあるけれど。せめてもう少しだけ良いアパートに引っ越そう。


 銭湯に通うのも楽しいけど、お風呂のある家じゃないとね。……これからのために。

 彼の仕事が決まるまでの間は、ヘソクリもまだ残っているし、何とかなるだろう。

 



 考え事をしていたら、アパートに到着した。



「ただいま──…っ、」


 部屋のドアを開けた瞬間、




…───…シーン…


 静まり返った部屋に、嫌な予感がする。


 慌てて靴を脱いで中へ入ると……

 二枚の布団が、異様なまでに丁寧に畳まれていた。


 そして、卓袱台の上には綺麗な折り鶴。




「……これって…、」


 手に取ってよく見ると……

 その鶴は、チラシで作られていた。

 初めてここへ来たあの日、私が彼に渡したチラシ。





────……急いで部屋を出た。


 嫌な胸騒ぎが消えない。



 一階に降りると、アパートの斜め向かいにある砂利敷きの駐車場に、何やら人集りができているのが見えた。



「おい、ばあさん!!俺の車ん中に誰かいるぞ!」

「え?!なんて?!」

「……死んでんじゃねーかこれ!!」

「練炭だ、おい、みんな離れろ!!だれか警察呼んでくれ!!!」



 騒ぎになっている方へと近づく。


 ギャーギャーと、悲鳴や奇声が入り混じる真ん中に停まっている小さな白い車。




 その車内で……


 ハンドルにダラリともたれかかっていたのは……






 彼だった。


 いつも着ていたスウェット───私が毛玉を取ってあげた、灰色の……。

 前髪の長い……サラサラの黒髪……。


 遠目に見ても、はっきりと分かった。





「…………なんで……っ、?」


 足がガクガクして、立っていられない。

 その場にしゃがみ込む。



「なんで……っ、なんで……どうして……っ、」




 “………怖いんだ ”


 なんであの時……

 打ち明けてくれた時……


 血なんて関係ないって。

 そんなものないよって。


 きみはきみだよ、お父さんとは違うよって。


 なんであの時私は……

 そう言ってあげられなかったんだろう……。



「いやだ……、いやだよ…っ…、おいてかないで…っ、」



 これからだったのに。

 これから二人で人生やり直そうって、思ってたのに。


 私は、彼の心を救えなかった。

 彼の希望に……なれなかった……?



 “好きすぎて殺したくなる”



 私の存在が彼を追い詰めてしまったのかもしれない。

 私と出会わなければ、彼はこんな道を選ばなかったのかもしれない。



 悔やんでも悔やんでも止まらない涙。

 泣いても泣いても、もう絶対に届かない想い。


 彼と過ごしたわずか一年足らずの時間が、あまりにも色濃く脳裏に焼き付いている。



「……っ、……───、っ……」



 泣きじゃくりながら、さっき病院で受け取ったばかりのエコー写真を取り出す。


 胸の前で潰れるほど強く握り締めて……


 いつまでも延々と、大声で、泣き続けていた───


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