1-13a話:厨房1

「厨房はここだ。……この時間だ、夜の仕込みをしていると思う……が」

「仕込み中にしては、非常に談笑されていますね」


 談笑と言うレベルを越えた馬鹿笑いが部屋の外にまで響く厨房の扉の前に立ち、二人は揃って溜め息をついた。


「邪魔をする」


 公爵の侍従ジオラスが前触れもなく扉を開いて厨房内に入ると、中にいた使用人たちが一斉にぎょっとした表情を扉に向けた。


「な、お前、誰だ!? 部外者は立ち入り禁止だぞ!」

「ちょ、あの人、公爵閣下の侍従殿だよ!」

「えっ!?」


 ざわめく厨房の中で、一際ふくよかな体格のコック帽を被った男が、ジオラスとリコリスの方へと向かってきた。おそらく彼が料理長なのだろう。


「公爵閣下の侍従殿がどのようなご用件で……。本日、公爵閣下は本日お越しになる予定はないとお伺いしておりますので、お夕食の方もご用意は……」


 もう夕方だと言うのに、厨房内では下ごしらえをしている様子は見られない。

 それどころか、料理人や侍女だけでなく、下男や騎士などの厨房に相応しくのない人物たちが、日の落ち切らぬうちに酒やつまみを並べて盛り上がっていたようだ。

 まるで品のない酒場か、不良の溜まり場のような状況を前にして、リコリスは頭が痛くなった。


 厨房内の者たちがガタガタと乱暴に音を立てて一斉に立ち上がる中、ジオラスは室内へと足を踏み入れた。


「彼女を紹介しよう。リコリスだ。本日付けでフレルブルム公爵の命により、第一王子アネモスの身の回りの世話をする。当然、離宮務めのため、君たちの同僚となる。よろしく頼む」

「リコリスです。よろしくお願いいたします」


 ジオラスに促されたリコリスも、トレイを両手に持ったままの状態で厨房内の使用人たちに挨拶をする。


「あっ……!」


 室内にいた料理人たちは、彼女のトレイの上に置かれた食器へと目を奪われる。

 直後、サーッと表情を一気に青くさせていた。

 トレイの上の料理が誰に提供されていたものなのか、料理人たちは知っているとしか思えない反応だ。


 その時ふと、リコリスの視界の隅に、昼食を下げるように頼んだ侍女の姿が映った。

 リコリスは彼女に向き直ると、わざとらしく思いっきり微笑んだ。


「ああ、そこのあなた。先ほど言われた通り、王子殿下に提供されていたお料理を下げてきましたよ」

「なッ!!」

「ん? なんのことだ?」


 不思議そうに問いかける公爵侍従ジオラスに、リコリスは先ほど起きたことをありのまま告げた。


「先ほど、着替えを探しに行った帰りに、彼女に依頼されたのです。王子殿下の昼食を下げて欲しいと」

「わ、私はそんなこと、お願いなんて……」

「なるほど。言われてみると、今日来た時に見た顔に違いない」

「ひっ……」


 ジオラスに静かに睨まれた侍女が震えあがった。

 先ほどのリコリスへの態度とはうって変わって、蛇に睨まれた蛙のようだ。


 侍女が何も言えないでいると、料理長がトレイを一瞥したのちに、ジオラスに問いかける。


「ご、ご用件は、新人のご紹介でしょうか?」

(このトレイを持ってやって来たと言うのに、どうしてこうも、しらばっくれることが出来ると思っているのかしら……)


 不穏な空気を感じた料理人以外の使用人たちは、自分たちに飛び火しないようにと慌てて室内から散り散りに逃げ出していく。

 仕事を放棄し酒盛りをしてさぼっていたことを、ジオラスに知られたくないようでもあった。


 静まり返る厨房内で、リコリスは調理台の上に最小限の音を立ててトレイを置く。

 取り残された料理人たちは公爵侍従に何を言われるのか気が気でないのか、息を呑む音が響いた。


「……王子殿下のお料理を作りに来ました」


 トレイに手をかけたまま、リコリスはゆっくりと発言した。


「……は、はあ!?」

「厨房をお貸し頂けますよね?」


 愛想笑いを向けるが有無を言わさぬリコリスの言葉に、調理長が素っ頓狂な声を上げる。


「なっ! 認められるか! ここは俺たち料理人の聖域なんだぞ!」

「その聖域には、先ほどまで騎士の方々もいらっしゃいましたから、問題はありませんでしょう?」

「あ、あれは、この宮を守る騎士たちを労るためのものだ!」

「私は、王子殿下の健康状態を考えた料理をお作りいたします。王子殿下がお住まいの離宮の厨房にて行われるものとして、この上なく適切な行為ですよね」


 有無を言わさぬ物言いのリコリスの態度に腹を立てたのか、料理長ががなり立てる。

 彼は公爵侍従に対しては低姿勢だが、リコリスに対しては強気に出られるようだ。


「俺たちは王妃殿下からのご命令で、この厨房を管理しているんだぞ! お前のような不躾な、それもただの侍女に厨房を任せられるか!」

(王妃……ティファレの命令? え? 彼女は王子のことを見捨てたのではなかったの……?)


 料理長の言葉に疑問を感じたリコリスの隣で、公爵侍従ジオラスが静かに断言する。


「いや。料理長はもういい。彼女に任せてくれ」

「へっ?」


 離宮の使用人は、公爵の手の者の他に、王妃の手の者の、二つの派閥に分かれているように感じられる。

 では公爵と王妃とで、離宮での立場はどちらが上か。

 本来であれば王妃だ。公爵自身も、自分の管理外の者たちは、眼の届かないところでやりたい放題だと言っていた。

 つまり、王妃の方が離宮の人事を管轄する者としての立場が上なのだろう。


「フレルブルム公爵から、王子殿下の料理を作り直すように命を受けている。命を受けたのは彼女だ」


 王妃の手の者は、第一王子の命を粗末に扱っているようにしか感じられない。

 現状を目撃した公爵に抗議をされれば、流石のティファレでも強気には出られないだろう。

 何しろ、例え呪われていようとも、第一王子アネモスは唯一の世継ぎであるのだから。


「なっ! 侍女如きに王子の料理を作らせるつもりか!?」

「そうだ。これをご覧になった主は仰った。まともなスープすら作れない名ばかりの料理人に、王子が口にされるものを任せるのは不安だと。だから急遽彼女が作ることになったんだ」

(ヴァレアキントス殿下はそこまで仰っていなかったけれども……名を借りるとはこのことでしょうね。この方も相当腹に据えかねていたのね……)


 トレイに載った料理と呼ぶべきか疑問の残る品物を突きつけられ、彼らの顔色は真っ青を通り越して白くなっていく。


「そん、な……」


 料理長が力なくしゃがみ込んだ。

 いくら彼らが王妃に任命されたからと言って、それを笠に着せて職務を蔑ろにして良い訳がない。

 料理人たちは侮っていた王子に提供した料理によって、王子の保護者たる公爵からの信頼を失ったのだ。

 彼らが例え、王妃の管理下にあったとしても。


「このことは、主から王妃殿下に抗議させていただく予定だ」


 料理長以外の料理人たちにも、忘れずに釘を指すジオラスに、彼らが震える。

 その様子を見て、リコリスは内心胸がスッとした思いでいた。

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