第5話 振り返り羨ましいと思う。

 誰も居ない家に帰った私は制服のままリビングのソファに寝転んだ。


「今日一日で色々な事があったなぁ」


 朝はいつもの告白行列。

 懲りずに告白してくる暇そうな男子達にうんざりしつつ表情筋を引き攣らせて断った。

 お陰でホームルームに遅刻して説教され、


「疲れている心に疲れが追加されたよね」


 一限目からやる気が削がれてしまった。

 先生からの期待の眼差しだけはドン引きしたが中間で一位になった以上は仕方なかった。

 天井を見上げ制服にシワがよるのも気にしないまま大きな溜息を吐く。


「食後も告白行列が続いてうんざりしたよね」


 正直言って男子が嫌いになりつつあった。

 極めつけは放課後のキモい告白だ。


「あれは、あれだけは、わざとだったんだね」


 問題児達に脅されて、やむなく告白するようもっていかれた。なんでそうなったか理由を聞けば「面倒だから」と陰キャの振りをしたと言っていた。遅れて入学。注目の的、根掘り葉掘りと人の心に土足で踏み込んでくる。


「大型トラックと濃厚なキスをした、か」


 それを聞かれる事を避けたかったがため、たまたま切り忘れた髪と眼鏡を着ける癖が災いして問題児以外は寄りつかない状況に陥った。

 幸いなことにクラスの問題児達はともかくH組の問題児だけは一度きりで関係を断つと宣言した。理由は不明だが先輩がお腹を抱えて笑っていたのでそれ相応の理由があるようだ。


下野しものじゅん君、か」


 第一印象はもっさりの地味太君。

 バイト先では垢抜けていて写真を見て同一人物と疑ってしまった。先輩だけはビフォーアフターを知っているからか叱っていたけどね。

 でも、あの容姿で良かったとも思える。


「絶対、手のひらくるりするよね。昨日の今日で意見も変わる。遅い高校デビューと思われて男子達も警戒感を滲ませそうだよね。誰に対しての警戒感? アホらし」


 私は恋愛には興味が無い。

 そんな事に時間を費やすくらいなら勉強に時間をかけた方がマシだと思う。確かに青春も大事だとは思うけど学生の本分は勉学だ。


「母さん達と同じ道を歩むには良い成績を取って有名大学に進んで資格を得ないと」


 それが幼い頃からの私の夢。


「叶えるためだけに頑張っているのに。私は男子のアクセサリーでもなんでもないよ」


 思い出すと気分が悪くなるのでリビングに制服を脱ぎ捨て半裸なままお風呂に向かった。



 §



 風呂上がり。

 バスタオルを巻いたままキッチンに向かう。

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出してコップに注ぐ。胸が育つように願いつつ飲み干す。


「ぷはっ!」


 私の声だけが室内に響く。両親が海外赴任して半年が経つが、一人の時間は慣れないね。

 脱ぎ捨てた制服を拾いリビングの灯りを消して自室に向かう。下着を着け、バスタオルを洗濯篭に収め、下着姿のまま今日の復習と明日の予習を行う。これをしないと頭に入らないし。


「勉強には集中出来るけど、静かすぎるのも考えものだよね」


 時折聞こえるのは車が走り抜ける音だけだ。

 予習復習を終えた私は下着姿でベッドに横になる。精神的な疲れと肉体の疲れがどっと押し寄せてきて、眠気に襲われて灯りを消した。

 これが入学から続く私の私生活。


(今日だけは少しだけ違ったかもしれない?)


 不意に浮かぶのは彼の真剣な横顔だった。

 下野君のお母さんからも仲良くしてと言われた。母さんの親友で同じ職業に就いた女性。


(友達に、なってくれるといいな)


 上っ面だけのクラスメイトと違う。

 互いに配慮しあえる仲になりたいと思った。

 それこそ父と母のように。



 §



「復習完了。予習は間違ってなかったから助かったな。先んじて全部やっていて良かったわ」


 その分、色々と杜撰になって学校生活が波乱の始まりとなったけど。これもいつも通り受け流せば誰も彼も興味を持つことはないだろう。

 ベッドへと横になり上坂かみさかの事を思い出す。


「しっかしまぁ、可愛いのは分かるが一人の女子に十人、二十人と押し寄せるって異常だな」


 俺も似たような経験があるから他人事には思えなかった。俺の過去、学校の女子の大半が押し寄せてきた。なので都度、お断りを入れた。

 中には眼科行けばと送り返した事もあった。

 俺は何処にでもいる平凡顔でモテる要素など皆無だ。不思議だと友人と語り合ったほどに。

 それもあって中二の春に両親へと転校を願い出た。私立から公立に行かせてくれと、な。

 ちなみに、今住んでいる家は乗り気になった両親が即断即決で土地を買い、建てた家だ。

 中二の冬に完成し、中三から転校した。

 都会の私立中学から田舎の公立中学へ。

 転校しても一時期は似たような事が起きた。

 それでも一時期で関わろうとする者は徐々に減っていった。男子の友達も出来なかったが。


「その分、勉強に打ち込めたからいいか」


 気晴らしは裏の喫茶店での手伝いだった。

 店長は元警官で親父の同期だったのだ。

 元々は奥さんが経営する喫茶店。

 退官前から料理に目覚め、人気店にまで変化した。その縁で気張らしとして手伝っていた。

 当然、先輩と店長からも可愛がられた。

 前者は揶揄い、後者は膨大な皿洗い。


「先輩からおすすめされて今の学校を選んで」


 進学した高校は父の母校。近所には私立もあったが、嫌な予感がしたので公立を選んだ。

 高校は上位四十人だけがアルバイトを認められていて、新入生は入試の成績、在校生は各期末の成績で選抜されると先輩から聞いたのだ。

 先輩も一年から生徒会長を務めており、成績優秀だと聞いた。実家の手伝いであれアルバイト制度が適用されるから維持しているという。

 入試は推薦ではなく一般を選んだ。


「そこそこの成績と思ったら首席だもんな」


 新入生挨拶の文章を徹夜で考えて、眠気覚ましの缶コーヒーを買いにコンビニへと寄ったら横断歩道で突撃された、苦い思い出になった。

 缶コーヒーより高くついた苦い思い出だな。

 こうして色々あった一日は静かに終わった。


「疲れたし、寝よ」



 §



 目覚めると俺の部屋に美女が居た。


「一緒に学校、行こう!」


 薄い胸を張り、腰までの長い黒髪を揺らした美女がな。サマーセーターを着ていないから黒いブラがブラウスから丸見えなんですがね?

 おそらく母さんが招き入れたのだろう。

 なんだかんだと過保護な所があるから。

 ベッドからのそりと起き上がった俺は枕元の時計を見る。時刻は朝七時。始業は九時だから八時までは寝ていたいと思った。

 先輩は勢いで俺の掛け布団を引っぺがす。


「さあさあ! 起きて! 朝食、食べよ!」


 Tシャツパンイチなんだが、気にも留めてないな、この人。

 俺は呆れ顔で欠伸する。


「先輩、朝からハイテンションですね」

「ローテンションの後輩を元気付けるためよ」


 じゃあ、あれも元気付けるためなのか。

 これだと別のところが元気になりそうだわ。

 俺はあざとくウィンクする先輩を一瞥し、


「そうですか。それはそうと、サマーセーターくらいは着て下さいね。丸見えですよ、ブラ」


 胸元を指さして先輩の視線を向かわせた。


「ん? あ、見た?」


 先輩は一瞬で茹でタコと化し胸元を隠す。

 なんだ、天然物かよ。


「ああ、見せた訳ではないと」

「あはははは。粗末なものを」


 粗末だと自覚はあるんだ。

 これが我が校の美人な生徒会長というのだから信じられないよな。

 俺は壁際の制服を手に取り身に付ける。

 本当なら朝風呂に入りたいが急かされている以上はどうしようもないな。

 制服を着て鞄を持って自室を出る。


「寝癖、立ってるけど?」

「整えますよ。歯を磨く時に」

「顔も洗ってね」

「洗いますって」


 トイレを経由して洗面所に向かう。

 身形を整えた後は先輩を連れてリビングに向かう。先に出勤した母さんの置き手紙を読みつつ、冷蔵庫から昨晩作った弁当を取り出した。

 テーブルの置き手紙の隣には、


(ご飯を詰めて冷ましている間に)


 小遣いが置かれていたので財布に入れた。

 これは朝食代でしかないけどな。

 母さんも料理は上手いが、引っ越した手前、事務所から遠のいたので作る余裕がないのだ。

 親父も深夜に帰ってきて母さんと共に出勤しているので、顔を見たのは数日前になるか。

 ガスの元栓などの戸締まりを済ませて先輩と共に家を出る。開店前の喫茶店に入ってモーニングを二人で頂いた。


「「いただきます」」


 店長の料理はいつ食べても美味い。

 コーヒーも美味しいから、コンビニに缶コーヒーではなく店に来れば良かったと後悔した。

 朝食後は店長の前で支払いを済ませる。


「従業員割にしておいたぞ」

「ありがとうございます」


 少し費用が浮いたのは助かった。

 バイトは昨日から。手持ちは心許ないし。

 先週末、参考書を買ったのが痛手だった。

 喫茶店を出て、先輩と共に学校へ向かう。

 その道中、学生が増える度に騒がしくなる。


「先輩、視線が痛い」

「私、見て無いけど?」

「先輩の視線じゃないですよ」

「ああ、なるほど」


 美女と並び立つ、平凡顔と噂されているように思える。ただの先輩後輩なだけなのにな。

 すると俺と先輩の背後から大きな声が響く。


「せんぱーい、おはようございまーす!」


 先輩と俺がきょとんと振り返ると上坂が走ってきていた。それも元気よく手を振ってな。

 気疲れがあるはずなのに、感じさせない素振りには天晴れだよな。俺も、ああなりたいわ。




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