食べ物の声が聞こえる。

第46話

「飴は一人でも舐められるようになったんだね」


 キッチンにちらりと視線を走らせて、ゆうが言った。飴玉の大袋の口がひらいていた。


れんのお陰かな」


「蓮?」


「引っ越して行った男の子」


「ああ。――それで、ナイフは?」


 私はキッチンの引き出しを開け、遊に渡した。依千華からサバイバルナイフを預かった翌朝、そのことを遊に連絡すると遊は大急ぎで私のアパートにやって来た。


 遊はしげしげとナイフを眺めた。


「遊。それ、どうするの?」


「別にどうもしないけど? 記念品。――この刃先を見てると、あの時の依千華ちゃんの眼を思い出すね。依千華ちゃんがすっかりつまらない人間になって残念だ」


 遊はキッチンの照明でナイフを照らしてながら、ひとり言のように呟いた。そしてハンカチで刃先を包み、自分のカバンにしまった。

 

「依千華に奴隷呼ばわりされた」


「奴隷? 誰の奴隷?」


「遊」


 遊は鼻先で笑った。


「ちゃんと探偵助手として時給払ってるのに。――まあ高校生には雇用主とバイトの関係はそう見えるか」


 遊はカバンを床に投げ出し、ソファの上に寝転がった。

 

「友達じゃなかったの?」


 私はソファのわずかな隙間に腰を下ろし、遊を見下ろした。


「友達であり、雇用主」


 遊はあくびをした。そしてスマートフォンを取り出す。


「――依千華ちゃん、他になにか面白いこと言ってた?」

 

「別に」


「別に、ってことは無いでしょ?」


「女の子同士の秘密」


 遊はスマートフォンから視線を外し、私を見て苦笑いした。


「あっそ」


 それだけ言うと遊は再びスマートフォンに視線を戻した。


 私はソファから立ち上がり、クローゼットを開けた。


「――れんにも、言われた」


「なにを?」


「いつか助ける、って。――私は囚われのお姫さまなんだって」


 遊は乾いた笑い声を上げた。


「子供の想像力って面白いよね」


「――どうかな?」


 私はワンピースを身体にあてがいながら、遊に振り向いた。

 遊が横目でちらりと私を見る。


「いいんじゃない? 出かけるの?」


「うん」


 私はそのワンピースを持ってバスルームに入った。そして、着替える。洗面台の鏡に写る私の胸元にはネックレスがきらきらと光り輝いていた。


「――遊も準備して?」


 私はバスルームの扉を開け、そこから首を伸ばし、遊に声を掛けた。


「俺も行くの? ダルいなあ」


 遊が不満そうな声を上げた。


「いいから。早くして」


 遊はめんどくさそうに立ち上がると、ドライヤーを持って、バスルームに入ってきた。狭くて二人で居ることは出来ない。私は入れ違いにバスルームを出た。


 ソファで座って待っていると、髭を剃り髪を整えた遊が出てきた。


「――じゃあ、いこ?」


「どこに行くの?」


 私に急かされた遊は、玄関で靴を履きながら、不機嫌に呟いた。ワンピースもネックレスも遊がプレゼントしてくれたものだと気がついている様子はなかった。



  *



 私たちは電車に乗り、ターミナル駅周辺の繁華街に出た。駅から少し歩き、隠れ家的な雰囲気のカフェに到着した。


「ああ、ここか。来たことあるね」


 遊はそう呟くとさっさとお店の中に入っていった。しかしすぐに出てきた。


「だめだ。めっちゃ並んでる。――他のとこで良くない?」


「ちょっと待ってて」


 私は遊の脇を通り過ぎ、お店の中に入った。


「ケーキ、お持ち帰りしたいんですけど」


 店員に声を掛けると、店員はどちらに致しましょう、と私に笑顔を向けた。


「これ、お願いします」


 私はショーケースの中で一番大きい、いちごのホールショートケーキを指差した。


「かしこまりました」


 そう言って店員は手際よくホールケーキを包んでくれた。


「え、ケーキ買ったの?」


 お店を出ると、遊が驚いた様子でケーキの箱を見た。


「しかもなんかデカくない?」


「アパートに戻って食べよ?」


 私は駅に向かって歩き始めた。



  *



「――続けるの?」


 帰りの電車で揺られながら、私は遊に質問をした。


「なんの話し? 探偵事務所のこと?」


 私は頷いた。


「結構楽しいし、どうしようかな。りぃっていう特殊能力を持った助手を手放すのも惜しいし」


「私、料理作るのも得意だけど? カフェとかは?」


「飲食系は大変だから、やめとく。親父にめっちゃ金借りないと駄目だし、学生のバイト従えて店長やるとか悪夢だ」


「私がお腹壊しちゃったらどうするの? 調査続けられないよ?」


「とりあえず、口に入れればいいんじゃないの? それで声、聞こえるんでしょ?」


「食べものと認識できた時点で、声聞こえる」


「そうでしょ? お腹痛いとか、関係ないじゃん」


 間もなく私たちは大学の最寄り駅についた。


「そう言えば、俺、りぃの手料理食べたことないな」


 改札を出たところで遊が不意に呟いた。


「今から作ってもいいけど?」


 私は遊を見上げながら答えた。


「いいよ。めんどくさいでしょ」


 私は首を横に振った。


「そんなことない。私、材料買ってくる。先、帰ってて。――あ、私のアパートじゃなくて、遊のアパート。私の家、調理器具なにもないから」


 遊にケーキの箱を押し付け、私は駅前のスーパーに足を向けた。

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