第44話 不滅無冠の神〈セト〉

 暗く閉ざされた闇の底。

 邪悪な半身に取り込まれることで、神は虫食いになっていた記憶の断片を思い出していた。


 何千、何万と、依代から受け継いできた悲願。

 それは数多の感情に染められ、いつしか赤く、黒く、重く、存在の奥底へと染み渡った。


 願いが神を形作り。

 希望が神に感情を与え。

 絶望が神を変容させる。


 神代かみよの時代に受けた混沌の呪い。

 飼い慣らせばそれは、武器ともなった。

 神を殺す力。唯一無二の力だ。


 やがて、ただ一つの理想のために同胞かみ殺しの禁忌を犯し。

 楽園を破壊せしめた暁に出来上がった世界もまた、戦乱に包まれる結果となった。


 誰一人、守れず。

 何一つ、叶わなかった。

 やがて自らが求めたちからによって自我すらも喰いつくされ――


 それで結局、おれは何を手に入れた?

 何をいただいたというのだ。


 闇か。

 この闇だけか。残ったものは。


 敗北しか知らぬ。

 それでも強く在らねばならぬ。


 そう願われただけの、張りぼての神。

 不滅無冠ふめつむかんの、愚かの神よ。


 嗚呼ああ、もはや民の声すら聞こえぬ。

 ついにオマエは神ですらなくなったのだ。

 実に無様で、似合いの最期――そうわらって、おぼろげな自我すら突き放そうとした。


 そんな時だった。


(神、様……)


 随分と情けない声色で、ソイツは言ったものだ。

 まるで命を絞り出すように、懸命に。


 辟易した。

 まだいたのか。

 おれを求める弱き者が、まだ――


 だが、悲しいかなお前はけして知らぬだろう。

 おれが敗北しか知らぬ神であることなど。

 おれが本質的には人となんら変わらぬ、暗愚な存在であることなど。


 悪いが、この闇はすこぶる居心地がいい。

 世界は元々、この闇から始まったのだ。


 虚無はすべての揺り籠。

 善も悪もなく、大も小もない。

 あらゆる存在を等しく受け入れ、同一に混ぜ合う、真の安寧がここにはある。


 だからどうか、もう眠らせてくれ。

 これ以上、余計な感情を思い起こさせるのはやめてくれ。


(せめて、彼女エストだけは……)


 己よりも、他がために願う。

 それは最も愚かな願いの使い方だ。

 その熱き情はやがて自らを焼き滅ぼし、命を棒に振らせる呪いとなろう。


 まったくもって神の器とは。

 いつの世も、そんな大馬鹿者ばかりである。


 反吐が出る。嗚呼、反吐が出る。

 同族嫌悪に血反吐が出る。


(助けて……っ、ください……!!)


 救いを求めるこえ

 それはいつ何時なんどきでも、己を奮い立たせる呪文まじないだった。


 ――いな、もはや呪詛だな。これはすべての神のうちに刻まれし、忌々しくも尊い呪いだ。


 嗚呼、この落とし前をどうつけさせてくれようか。

 おのが命すら取りこぼす矮小なニンゲン風情が、このおれから安寧を取り上げるか。


 貴様のお陰で、心付いてしまったではないか。

 この闇はすこぶる心地よい。だが――


 少しばかり、退屈だ。




 そうして、旧神かみは目覚めを選んだ。


 闇と一体化しかけていた自我を、強引に二つに裂き。

 長き歴史たたかいの果てにようやく得た静寂を失うことになってでも、今一度、手を伸ばすことを願った・・・のである。


 ――〈希望いたみ〉へ。

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