第33話 季節はなくとも

 僕らの世界は、有限だ。

 生きるために必要な全ては、シェルターの中に揃っている。


 第一次産業を中心とした〈外〉での活動は基本的にAIドローン任せだし、人の手が必要な時は遠隔操作で済ませる。シティ間を繋ぐリニア鉄道は外環境からの路線の保護のため、線路の全てがトンネルに覆われていて〈外〉を見ることは適わない。


 完全に外界と隔絶された、生きるための檻。

 それが、シェルターだ。


 その閉じた世界の端には、廃棄されたシェルターや鉄道路線――いわゆる『廃棄区画』が存在している。


 人口の減少に、老朽化による設備の破損。謎のシステムダウンによる機能停止。

 廃棄された理由は様々なれど、最初期のシェルターが建造されてから、早四十年。廃棄区画は、その数を増やし続けている。


 シェルターという生存圏を取り囲む、人々の生きていた残骸。〈外〉の世界と成った、元は僕らの世界。転じて、僕らの世界の限界点。

 僕らは――僕ら季節を知らぬ世代はそれを、世界の終わりの場所だと意味を込めて〈果て〉と呼んでいた。


「規制線が貼られているだけなんて、随分とずさんな管理なのね」


 宵もすっかり過ぎ、太陽代わりの天井照明が完全に落とされ、星空模様が映し出された頃。僕と椿カナデはセントラルの東端――第一サブシェルターへ続く、リニアトンネルの入り口に立っていた。足下には久しく使われていないせいか、錆び付いた線路が敷かれている。


 周囲にひとけはない。この辺りはセントラルの中心部からもかなり離れていることから、人気が低いエリアだった。立ち並ぶ狭小住宅の中には、灯りの消えた空き家も目立つ。


「誰も、そもそも近寄ろうとしないからね」


 僕らは人の目がないこと確認して、規制線をくぐった。普段はほとんど使わないリストデバイスのライトで足下を照らしながら廃線となったレールの上を歩いて、第一サブシェルター目指して歩き始める。


 この先に待っているのは、人に棄てられた物たちの残骸が眠る場所だ。

 誰もがそこは、人が生きていけない世界だと知っている。

 その先にあるのは、生きる基盤のない世界だと知っている。

 だから誰も、何も言わなくても踏み入れようとはしない。

 そこを目指す者がいるとするならば、それは度胸試しの子供か――あるいは自殺願望のある人間ぐらいだ。


 やがて歩くこと数㎞。僕らは、トンネルを塞ぐ大きな扉に辿り着く。

 ――隔壁。セントラルと第一サブシェルターを分断する壁。かつてこの壁と対となる第一側の隔壁が開かず、多くの人がシェルターの中で蒸されて死んだ。

 十数年前の話だ。


 僕は扉の近くにあった緊急開閉用のレバーを操作した。動くかどうかは半々だったが、やはりセントラル側の電気系統は生きていたらしい。地を揺らす音を立てながら錆び付いた鋼鉄の扉が徐々に左右にスライドしていき、人が二・三人通れる幅まで開いたところで止まる。故障か経年劣化か、どうやらこれ以上は動かないらしい。


 どこからか風が吹いて、冷気が肌を撫でる。

 吐いた息は、白かった。


「……世界って、こんなに寒かったのね」


 隣を見る。椿カナデの吐いた息もまた、雲のように真白くなっていた。その白さの向こう――行く先は光一つない、真っ暗闇だった。


 僕らは通路の真ん中に並んで立って、しばらくその暗さを見つめていた。

 まるで全てを飲み込む虚空の顎のようだと、半端に開いた扉と暗闇を見つめて、僕は思った。

 そうしてどれぐらいが過ぎたか。


「行きましょう」


 どちらともなく足を踏み出そうとしたその時、ジャリと石と砂を踏む音がして僕らは振り返った。椿カナデは弾かれたように、僕はゆっくりと。

 暗闇しかないはずの歩いてきた道。そこに――けれどそこに、眩しい光が見えた。


「カレンちゃんたちを置いてくなんて酷いですよ~」


 そして呑気な声と共に暗闇の中から浮かび上がったのは、気の抜けるような見慣れた笑顔だった。

 ひらひらと手を振る夜桜カレン。その後ろには百合野トオルと萩原アカネの姿もある。私服の三人はそれぞれ大きなリュックや鞄を提げており、僕らと同じくデバイスのライトで周囲を照らしていた。


「あなたたち……なんでここに……どうして……」


 状況が飲み込めていないのか、狼狽える椿カナデ。

 そんな彼女に、夜桜カレンは手元のホロディスプレイを指さし、にししと笑ってみせる。


「連絡をいただいたので、来ちゃいました」

「連絡って……」


 そこで察したのだろう。勢いよく振り向いて、隣に立つ僕をキッと睨む。

 僕は平然と言った。


「ここに来る前に連絡を入れておいたんだ。だってみんな、心配してたから」

「あなた……!」


 椿カナデが語調を荒げる。けれどその先に続く叱責はなかった。

 代わりに彼女は夜桜カレンたちを見た。


「来ちゃいましたって、あなた……私たちが、これからどこに行くか、分かって言ってるの? この先にあるのは――」

「分かってますよぉ」


 聞き分けの悪い子に説くように。そんな、どこか責めるような声を、夜桜カレンは遮る。


「〈果て〉を大冒険だなんて、わくわくするのです」


 その後ろから、百合野トオルが一歩前に出て。


「水くさいんだよ。一人で勉強するのも、試験結果のことも、親御さんのことも」


 萩原アカネが、暗闇の中で盛大な溜息を吐く。


「プライドばっか高くって、もうちょっと人に頼るってこと覚えなさいよ」


 椿カナデはまるで何かに殴られたかのように、たたらを踏んだ。

 胸の前で手を握り合わせ、信じられないとばかりに首を振って、そうして揺れる瞳で僕を見た。

 僕もまた、彼女を見た。

 そして――笑った。


「僕は君じゃないから、君の気持ちは分からない。けど――」


 眉尻を下げて頬を掻き、少しだけ破顔して。


「だからって放っておけない。それじゃダメなのかな」


 上手く笑えていたかは分からない。けれどそれなりに、上手く笑えていたのではないかと思う。

 何故ならその瞬間、ほんのり赤く染まった椿カナデの頬を、一筋の涙が滑り落ちたのだから。


 見れば彼女の顔は、鼻頭も同じく赤みをたたえている。それが涙のせいではなく寒さのせいだと気付くのに、僕は少し時間を要した。


 寒いと肌が赤くなる。フィクションの中の話だと思っていた。

 もしかしたら僕の顔も赤くなっているかもしれない。そんなことを考えた。

 震える唇を必死に動かして、言葉を紡ぐ。


「馬鹿ばっか。みんな、馬鹿ばっかりよ」


 くしゃりと顔を歪めて、泣きながら笑って。

 そうして吐き出された冬の暴言に、春と夏と秋もまた笑みを浮かべた。

 春は歯を見せていたずらっぽく。

 夏はほんの少しだけ口角を上げて穏やかに。

 秋は目を細めて、どこか自嘲気味に。


 そうして世界の〈果て〉の入り口に、春夏秋冬の花が咲き、僕らは終わりのない〈果て〉を目指して歩き始める。


「それじゃあ、行こうか」




 この日、僕は初めて知った。

 季節がなくとも、花は咲くのだと。

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