第3章⑤

 ――――ということの顛末を、我らがマスター・ディアマンに報告する私、レディ・エスメラルダである。

 目の前のデスクの向こうの豪奢な椅子に優雅に腰掛ける麗しき彼は、とっても笑顔だった。

 付き合いの長い私は知っている。その笑顔の向こうで、とんでもない化け物が牙を研いでいることを。

 ひえええええええとおののきつつ「とりあえずレッドは今後落ち着くのではないかと思います……たぶん……きっと…………お、おそらく…………!」と小さな声でぼそぼそと続けると、マスターは「そう」と静かに頷いて、椅子から立ち上がった。

 カツン、と硬質な靴音を立てて私の前に立ったマスターは、そうして、その右手を、私の頬にあてがった。そのまま親指が、私の唇をきゅ、と押さえる。

 

「エスメラルダ、じゃなくて、みどり子ちゃん」

 

 どうしたの、しろくん、と答えようにも、唇を押さえられていては何も言えず、ただ見つめ返すことしかできない。

 じいとこちらの瞳を覗き込んでくる、宝石みたいな瞳は、出会った頃から何も変わらない。


「ずるいなぁ」


 噛み締めるようにしろくんが呟いたその台詞は、あまりにも冷たく、凍えそうな響きを宿していた。

 めちゃくちゃ笑顔なのに、随分と器用な真似をなさるものである。まあしろくんはいつもなんでも器用に上手にこなすハイスペックな人だから今更驚くことでもない。

 氷よりももっと冷たい響きの『ずるい』が向けられているのは、私ではないことくらい、すぐに解った。しろくんが私にこんな声を向けるはずがないのだ。それくらいの関係をずっと紡いできた自覚はある。まあ最近ちょっと自信なくなってきたけど!

 レッドが暴走し始めたあたりからしろくんはどうにも私の知らない人のような一面を見せるようになっていて、私はよく戸惑わされてしまう。

 それでもしろくんはしろくんだから、私は私のまま、変わらずに側にいようと思っている、の、だけれど。

 

「僕はね、大抵のことはできるし、大抵のことは許されているよ」

 

 大変傲慢なことを仰っている我らが社長にして付き合いの長いハイスペック幼馴染殿。それでも本当にその通りなので、こくこくと無言で頷きを返す。

 そんな私をじいと見つめて、やがてしろくんは、憎たらしそうに、苦しそうに、そうして何よりも切なそうに、小さくさらに続ける。

 

「僕にはできない、僕がしてはいけないことを、簡単にやってのけられるのを見せ付けられるのが、こんなにも悔しいなんてね」

 

 あーあ、と深く溜息を吐いたしろくんは、そうして幼い頃からと同じようにぎゅむぎゅむとまるでぬいぐるみのように私を抱き締めてから、いつものようにやわらかく笑った。

 

「猫、二匹いるんでしょ。名前は決めた?」

「うーん、まだ考え中」

 

 そして私も、いつものように笑い返す。

 そう、私の自宅であるボロアパートでは、かわいいかわいい私の新たな家族が二匹も待っているのである。

 今後は残業にならないように頑張ろう、と改めて決意を新たにしたのだった。

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