傷だらけの王子と黄金の雪が降る世界

鳥なんこつ

プロローグ

 突然、人の頭上に数字が見えた。

 数字は一桁から二桁。

 一番低いのは8で、一番高いのは61?


 …なんなんだ、こりゃ。

 まだ、それほど酔っ払っていないはずなのだが。

 

 目を擦る。

 やはりくっきりと浮かぶ数字を、俺はぼんやりと眺めて―――急に頭の中が真っ白になる。


 何もかもがリセットされて真っ新に澄み渡る心象世界。

 四方に無限に広がる地平線。

 その中心点に自分が立っているような感覚だ。


 気づいたときには、白い世界を埋めるような勢いで、次々と記憶がなだれ込んできた。

 世界がたちまち色づいていく。

 

 それは、今まで生きてきた俺が知らない記憶。

 同時に、かつて生きていた俺の記憶でもある。

 

 ここではない別の世界での出来事が頭を巡った。

 本当にロクでもない日々の果てに。


 ―――ああ、俺は死んだんだったな。

 酷く苦しい毎日。責められ怒鳴られ追い詰められて、逃げて逃げて逃げて。逃げきれなくて。

 

 俺は死を選んだ。

 それで全ては終わった。

 黒も白もない無色透明で終わるのが死のはず。

  

 …終わったはずなのに、なぜ俺は生きている?

 

 色づいた世界が動き出す。

 手には酒杯が握られていた。

 

 白く、染み一つない手。

 ゴツゴツで節くれだった、かつての汚れた手とは比べられないほど綺麗な手。


 頬に触れる。

 髭も生えておらず、滑らかだ。


 途端に、内側から別の記憶が溢れてきた。

 それは、この世界で今まで生きて来た記憶であり知識。


 未だ余白を残す意識の中で、二つの記憶が混ざり合う。

 ゆっくりと器に注がれる水のように、俺の中が満たされていく。

 それは不思議なほど違和感がなく混じり合い、意識の中の世界と完全な融合を果たす。


 同時に俺は、前に生きていた世界、いわゆる前世の記憶から、現状への解答を得た。


 なるほど。

 これが世にいう異世界転生とかいうものか。 

   

 ぐるりと視線を巡らせる。


 煌びやかな服を着た人々。

 高い天井に輝くシャンデリア。

 お盆を持って行き来するメイドたち。


 今日は夜会だ。

 いわゆる三下の貴族たちが集まっている。

 

 それも無理もない。

 なんせ、主催である俺自身が三下だからな。


 メイドの一人が足早に俺の元へとやってくる。


「申し訳ありません…!」


 捧げてくるお盆の上には酒の満たされた新たな杯。

 言われてみれば、俺の持っている杯はとっくに空になっていた。


「…アクセル様。どうか、どうかお慈悲を…!」


 ガタガタと肩を震わせるメイドに、まあ仕方ないか、と他人事のように思う。


 アクセル・ド・バルドリ。

 俺の名前だ。

 一応、リーゼン王国の王子である。

 性格は粗野にして卑屈。

 齢14にして酒色に耽り、喰って眠るだけを繰り返す俗物。

 絵に描いたような駄目王子だったりする。


 まあ、そうなったのにも理由があって、俺の母親は現国王の第四側室だった。

 そんで、俺を産んで物心もつかないうちに騎士団長と恋に落ち、出奔。

 この不祥事に、本来であれば俺も連座されても不思議ではなかったのだが、母の兄、つまりは俺にとっての伯父さんのバルドリ伯爵が大活躍。

 元々薄かった頭髪を禿散らかし、自領で養育する約束を取り付けることに成功。

 

 この件に関しては伯父さんに感謝するのも吝かではないが、失われた毛根の恨みかは知らないけれど、その後の生育と教育は随分と手厳しいものだった。

 はっきりいって苛烈で、実子に対してもそこまでするか? のレベルのスパルタ式だったが、見事なまでに俺に才能が欠如していることが判明。

 結果、伯父は匙をぶん投げ、俺もひねくれにひねくれた。


 血縁の義理とばかりにバルドリ領の片隅にあった古い別荘を宛がわれて、半ば没交渉の日々。

 体裁を整えるための護衛と潤沢な資金は、仮初にも王位継承第七位という権利を俺が有していたからである。

 この権利のおかげで、夜会を開けば三下や貧乏貴族がエセ笑いを浮かべながらタダ酒とタダ飯を喰いに来る。

 畑の中を馬車で疾走して滅茶苦茶にしたり、酒場の姉ちゃんの尻を撫でたり、無理だと言われたのに娼館の入口でダダを捏ねたりとやりたい放題しても咎められることはない。


 …うわ、我ながら最低な記憶しかねえ。


 だが、そんな猶予期間モラトリアムももうあとわずかだった。

 15歳が成人としての節目となるのはこっちの世界の常識だ。 

 間もなく成人を迎える俺だったが、王族として何かしらの成果を上げないことには継承権がはく奪される。ぶっちゃけ廃嫡と同義だろう。

 

 しかしながら、無能と謳われる俺に有効な策など浮かぶはずもなく。

 なので今日も今日とて夜会を開き、自棄酒を呷っているわけだ。


 新たな杯に手を伸ばし、メイドが泣きそうになっていることに改めて気づく。


「―――良い。下がれ」

「は、はひッ!」


 這う這うの体で逃げていくメイド1号。

 無理もないか。以前、衆人環視の中で服を剥いでやった記憶が蘇る。


 性格的に直情的で癇癪持ちのこの世界の俺。

 そこにかつての世界の俺の記憶と情緒が加味された結果、俺の中を満たす思考は一つ切り。


 ―――面倒くさい。

 何もかも面倒くさい。


 好き勝手やって飯が食える。

 なんならゴロゴロと一日中寝ていても咎められることはない。


 最高じゃないか。


 廃嫡の日が迫っている?

 そんなの知るか。なるようになれだ。


 元の世界でさんざん苦しい思いをした。

 どんな理由でこの世界に転生したか分からないが、それなりに自由気ままに贅沢な暮らしができる身分なのは僥倖だった。

 なら、こっちの世界はボーナスステージだと思おう。

 廃嫡されたとて、元の世界で一度は死んだ身。

 今さら二度死ぬことになっても、どうでもいいや。


 ぐびり、と酒杯を一気に空ける。

 雑味の濃いワインみたいな味だ。美味しくはないが、悪くもない。

 

 どれ、お替りを、とメイドを呼びつけようと視線を彷徨わせた俺の手から、さっと酒杯が取り上げられた。


「これ以上はお体に触ります、殿下」


 凛とした佇まいの女の子が立っていた。

 礼装に身を固め、亜麻色の頭髪の上にはピンとした耳が…って耳!?


 と、自分で知っている知識を思い出すというのも妙な表現だが、俺は彼女を知っている。


 俺の専属護衛を務めるテレレだ。

 いわゆる亜人種で、頭の耳は族の証。

 族やルー族に比べれば格段に戦闘力が落ちるが、俺のようなボンクラ王子の護衛としては及第だろう。

 

 ちなみに護衛はもう一人いて、同じ兎族の男の名はオリヴィエ。

 テレレの双子の兄である。

 壁際に佇む彼は、周囲を警戒するようにピンと背を伸ばし―――その両目は虚無に満たされていた。

 

 前世の時は鏡を見るたびに見慣れた色だ。

 気持ちは分かる。


 こんなロクでもない王子に仕えたところで何のキャリアにもならん。

 ましてや廃嫡されれば晴れて無職となるわけだし、さもありなん。


 俺の先行きがまるで見えないように、彼らのお先も限りなく真っ暗だろう。

 かといって、ギリギリまで責任を放擲して逃げようという考えには至らないらしい。

 ――本当に元いた世界の俺の境遇そっくりだ。反吐が出る。


「………」


 無言で俺は席を立つ。


「どちらへ?」

「寝る」


 自分の寝室への道筋を思い出しながら、俺はそっけなく足を進めた。

 歩けば踝まで埋まりそうな絨毯。

 十分に酔いも回っていたらしく、足取りもフワフワする。

 気分は悪くないし、酒のせいで眠くなったの本当だった。


「ご苦労」


 律儀に背後を付いてきたテレレとオリヴィエを労い、寝室へと入る。

 呆れるほど広い部屋に、中央には天蓋付きのベッド。

 ぼふっとベッドへ飛び込めば、驚くほどシーツも布団も滑らかだ。


「…なんとも、ブルジョワだねえ」


 当然だろう。俺は王子なのだから。

 当たり前のことに差して感動もなく、俺は支度も解かず眠りにつく。




   

 

 



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