第22話 ウチに、来ませんか?



「はーっ、堪能したぁ」


「ですねぇ」


 猫カフェを後にした二人は、満足そうにほっこりとした表情を浮かべていた。

 あんなにたくさんの猫と戯れるなど、奏にとってまさに楽園だった。


 一方の星音しおんもまた、充分と言っていいほどに満喫していた。

 普段飼い猫のシロと遊んでいるから、猫の扱いは奏より慣れたものだった。


「それにしても、立宮くん……ふふっ」


「な、なにさっ?」


「いえ、学校での雰囲気とはずいぶん違ったので。なんだか、新鮮で良いなぁと」


「……猫屋敷さんがそれを言う?」


 そして猫カフェでの時間は、二人の距離を縮めることにもなった。

 待ち合わせ当初は、緊張していたものだが……今や二人の間に、その空気感はない。


 奏は星音の、そして星音は奏の、今までに知らない面を見ることができたわけだ。


「まあでも、久しぶりにあんなはしゃいだかなー」


「猫ちゃん、立宮くんの頭の上で眠っちゃってましたもんね」


「あのときは、一生あそこで過ごすか本気で悩んだよ」


 猫カフェでの出来事を思い出し、面白おかしく二人は語り合う。


 猫カフェを出て、二人の行き先は特に決まっていない。

 ただ、自然と足が動いていた。どこへともなく、目的地のない散歩だ。


 その時間も、なんだか心地良い。


「ホント、楽しかった。けど、大丈夫かな俺」


「? 大丈夫、とは?」


 話に花を咲かせて、盛り上がっていた。そこでふと奏は、楽しんでいた空気が嘘のようにため息を漏らす。

 その変わり身に、星音は首を傾げた。


「いや、あんなに猫と遊んで、この先猫のいない生活に耐えられるかなって」


「……そういうことですか」


 奏の心配していること。それは、この先の猫がいない生活についてだ。

 猫カフェでたくさんの猫と戯れた奏は、存分に猫に囲まれた。そんな経験、初めてだったかもしれない。


 そんなことを経験し……しかし、家に帰った奏のところには、猫はいない。

 飼い猫がいる星音は、帰ればシロがいる。だが、奏には飼い猫がいない。


 そのため、果たして猫のいない生活に耐えることができるか……それが、奏には不安なのだ。


「……」


 それを聞いて、その様子を見て、星音は考え込む。

 気持ちはわかる、などとは言えない。帰ればシロが待っている星音と違って、奏には待ち猫はいないのだから。


 だから、下手な慰めはできない。

 その上で、星音が奏を慰めるために、できることは……


「立宮くん」


「なんでしょ」


「ウチに、来ませんか?」


 ……それは、とんでもない提案だった。


「え……は、ぇ……!?」


 当然、奏は困惑する。

 ウチに来ないか……それは、つまり、ウチに来ないか、ということだからだ。


「あっ、えっと、今からでは、ないですよ!?」


 困惑する奏を前に、星音もまた慌てたように手を振る。

 だが、奏が気にしているのはそこではない。


「その、今日は猫ちゃんとたくさん触れ合えましたから……で、でも、立宮くんがまた、猫に触れたくなったとき。

 ウチなら……シロと、触れ合えますってことです」


「あ、あぁ……え、あ、いや、うん……」


 なんとか説明を言葉にする星音。その説明を受け、星音の言ったことの意味を理解する。

 要は、猫不足で寂しかったらウチに来てシロと遊んでもいいよ、ということだ。


 とはいえ、理解できたから納得もできるか、と言われたら、そんなことはまったくない。


「……えっと……」


 さすがに、お呼ばれはやばい。

 一緒に出掛けるのも結構緊張したのに、おウチにお呼ばれなど……とにかく、やばい。


 なので、奏はなんとか、断る理由を考える。そのために脳みそをフル回転させるが……


「お嫌ですか?」


「……!」


 こてん、と首を傾げて問う星音の仕草に、フル回転していた脳みそは急停止した。


「……お嫌じゃ、ないです……」


「ふふっ、よかったですっ」


 不安そうだった顔が、みるみる笑顔になっていく。

 そんな顔をされては、奏はもうなにも言えない。だいたい、断る明確な理由なんてないのだ。


 しかし、しかしだ。いいのか、いいのだろうか。

 家への訪問など。これまで、女子と話した経験も少ない奏にとって、女子の家にお呼ばれなんて初めてのことである。


 というか、人の家に行った経験なんて、新太くらいしかない。


「楽しみです。シロも、きっと喜びますよ」


「そ、そうかなぁ」


 シロ……彼女の飼い猫とは、あの雨の日に、少しだけ接しただけだ。

 猫好きの奏にとっては、星音と仲良くなったきっかけでもあるから、忘れられない。


 だが、シロにとっては奏のことなど、すっかり忘れてしまっていることだろう。


「そうですよ。シロは賢い子ですからね、あの日自分を助けてくれた人のことは、忘れません」


「んん……」


 助けた、なんてことを言われると、くすぐったい。

 だが、どこか自信満々な星音の様子を見ていると、不思議と大丈夫ではないかという気持ちになってくる。


 それに、星音がこんなに、言ってくれているのだ。これ以上渋るほうが、逆に失礼というもの。


「そう、だな。なら、ありがたくお邪魔させてもらうよ」


「はいっ。

 あー、もっと立宮くんと遊んでいたいのに、時間が過ぎるのはあっという間です」


 さて、あとは奏が、星音の家に行く覚悟を固めるだけだ。

 だが、なんてことはない。ただ、友達の上に行くだけだ。そう、なんの問題も……


(……あれ?)


 そこまで考えたところで、奏は引っかかった。以前、なにか大切なことを聞いた気がする。

 そう、決して忘れてはいけない、大切なこと。


 ……星音は、アパートに一人暮らしをしているということだ。


「あ、猫屋敷さ……」


「私、こっちです。立宮くんは?」


 アパートに一人で暮らし、シロを世話していると、言っていた。

 そこに立ちいるのは、まずすぎないか。そう、思ったのだが。


 立ち止まった星音が、前を指差している。

 いつの間にか、知った道に出ていた。分かれ道……奏の家は、右だ。


 話し込んでいたため、気づかなかった。空も、オレンジ色になってきている。


「俺は……こっち」


「では、私とは逆側ですね。残念。

 ……立宮くん」


 左側の道へと、星音は歩き出し……

 数歩歩いたところで、振り返る。後ろ手に腕を回し、眩しい位の笑顔を浮かべて。


「今日は、ありがとうございました。とても、楽しかったです」


 にっと笑い、星音は走り去っていく。

 その後ろ姿を奏は、ただ見つめていて……


 スマホに、着信音があった。


『次の週末、ご予定がなければ、歓迎します♪』


 星音からの、メッセージだった。

 それは、先ほどのやり取りが、嘘でないことを表していた。


「……マジかあ」


 星音の後ろ姿は、もう見えない。

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