第3話 また明日学校で



「立宮くんは、猫は飼っていないんですか?」


 雨が止んだにも関わらず、星音は帰ることなく、その場に留まり続けた。

 それどころか、奏が座っているベンチ……奏の隣へと、腰を下ろしたのだ。


 シロを抱き上げたまま、背中をハンカチ越しに撫でている。

 少し濡れてしまった毛並みを、いたわるかのように。


「あぁ、ウチペット禁止なんだ」


「マンション、なんですか?」


「あー、今の言い方は語弊があったな。母さんが、猫アレルギーでさ」


 平常心を保ってはいるが、奏は内心ドキドキでたまらなかった。

 なにせ、あの猫屋敷 星音ねこやしき しおんが隣に座っているのだ。しかも、動けば肩が触れ合ってしまいそうな距離に。


 気のせいか、いいにおいがする。さっきまで雨が降っていたし、シロを探して慌てていたから、たとえば香水なんかつけていてもにおいは消えていそうなのに。


「なるほど……立宮くんは、お母様が猫アレルギーの環境で、どうして猫好きに?」


「不思議だよな、自分でもよく覚えていないんだけどさ」


 不思議だ。内心ドキドキで、緊張しているはずなのに……どうして、こうもすらすら喋れるのだろうか。

 それはきっと、猫の話題だから……緊張よりも、猫好きの同志と話す時間の楽しさが、上回っているからだ。


 自分がいつ猫好きになったのか、奏は覚えていない。覚えていないくらい、小さなころだ。

 気づいたら、もう好きだったのだ。


「まさか、こんな雨の中はぐれた猫と会うとは思ってなかったけど」


「私も驚きました。天気予報では晴れだったので、安心して散歩できると思っていたのですが」


「なのに、傘は持ってたんだ?」


「折り畳み傘は、常備していますよ。なにがあるかわかりませんからね。

 そういう立宮くんは、傘がないから雨宿りしていたと」


「あははは」


 あんな晴れの日にも、傘を準備しているとは。用意周到なことだ。

 そこが、奏と星音との違いなのだろう。もし奏も傘を持っていれば、こうしてベンチで雨が止むまで待つ必要もなかった。


 でも……


「でも……そのおかげで、シロを見つけることができたんですよね」


 星音は、シロを地面に下ろして……立ち上がる。

 見れば、シロの毛並みから水滴や汚れなどは取れていた。体を震わせた程度では、取れなかったから。


 そう、今のはシロのための時間だ。

 決して、自分と話したかったとかではない……と、奏は自分を戒める。


「……」


 今更だが、奏は星音の私服を目に収めた。普段制服しか見ない奏にとってクラスメイトの、それも猫屋敷 星音の私服は貴重だ。

 彼女は白いワンピースに身を包んでいる。たったそれだけで、こんなにも美しく見えるのは、やはり素材がいいからだろう。

 とはいえ、多少なり汚れていたシロを抱っこしていたせいで、服は汚れてしまっている。


 星音は、奏へと振り返る。


「改めて、ありがとうございます立宮くん」


「いや……俺がいなくても、この子はここで猫屋敷さんを待っていたかもしれないし」


「シロは元気ですから、一つの場所にはあまり留まりませんし……逆に、猫に不慣れな人が相手なら、驚いて雨の中でもどこかに逃げていたかもしれません。

 猫好きの、奏くんだから、シロも安心してここにいたんですよ」


「……そうかな」


 そのように、手放しでほめられると、さすがに照れてしまう。

 これまで、教室内でせいぜいが一言二言交わす程度だった相手。彼女と、まさかこんなにも話をする日が来るとは。


「では、私はそろそろこれで。立宮くんも、また雨が降りださないうちに帰った方がいいですよ」


「お、おう。そうだな」


「では、また明日学校で」


 最後に、奏の気遣いまでしてくれた星音は……微笑み手を振って、この場を去っていく。

 その際、シロが奏に向かって「にゃん!」と鳴いた。お礼を言ったのだろうか。


 なんだかおかしくなり、去っていく彼女の背中を見送りながら、奏は笑った。


「……帰るか」


 星音の言った通りだ。また雨が降り出してしまわないうちに、帰ろう。

 こんなにも晴れてはいるが、そう思っていた先ほど降り始められたのだ。同じ轍は踏まない。


 奏も、立ち上がる。そして、一歩踏み出そうとして……


「……ん?」


 ベンチの上……先ほど星音が座っていた位置に、ハンカチが残されていることに、気づいた。



 ――――――



(あのあと、猫屋敷さんを追いかけたけど見失ったんだよな。ハンカチ置いてくわけにもいかないし、結局持って帰って……)


 星音の忘れ物のハンカチ……それを持って帰り、洗濯して、今は鞄の中にある。

 同じクラスなのが幸いした……忘れていても、それを返すことができる。


 問題は、どうやってハンカチを返すかだ。普通に、クラスメイトとしてハンカチを返せばいい……のだが。

 これまで、星音どころか他のクラスメイトにすら、自分からあまり話しかけてこなかった奏。彼にとって……人前で、あの猫屋敷 星音に話しかけるというのは難易度が、高い。


(どうすっか……)


「おーい、奏どうした?」


「! な、なんでもない」


 不意に固まってしまった奏を、新太は怪しむ。

 だが、すぐに笑みを浮かべた。


「ったくよ、いくら昨夜見た猫動画が面白かったからって、ぼーっとしすぎだろ」


「あははは」


 勝手に勘違いしてくれて、奏はほっとする。

 まさか、昨日猫屋敷さんに会って猫談議で盛り上がり忘れたハンカチをどう返そうか悩んでたんだよね……と言っても、信じてはもらえないだろう。


 新田に絡まれ、じゃれついていたそのときだ。

 教室の扉がガラッと開き、入って来た人物を見つめ……クラス中が、彼女に注目していた。


「お、猫屋敷さんじゃん。相変わらずクールな美人って感じだなー」


 教室に入ってくる……たったそれだけのことで、星音は注目の的だ。

 凛とした表情……だが無表情なわけではなく、挨拶をされれば微笑み挨拶を返す。


 男子は、自分が言われたわけでもないのに、その仕草だけできゅんとするものだ。

 星音は、いつものように自分の席へと、歩き……


「……ん?」


 気のせいだろうか。星音の歩くルートが、いつもと違う。

 まあ人間だしそういうこともあるよな……と、奏が考えていた時。目の前に、立つ影があった。


 それが誰のものか……確認するまでもない。

 そして、彼女は表情を和らげ、口を開いた。


「立宮くん、おはようございます」

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