第14話 着付け教室と和の花②

「おはよう、織本さん」

「あ……岡田さん。おはよう」

「なんでちょっとびっくりしてるの?」


 翌日の大学講義、いつものように窓際の席の隅に一人で座っていたら、昨日着付け教室で偶然出会った岡田に声をかけられた。当たり前だが、本日岡田は着物を着ていない。この時期にぴったりの爽やかな色合いのミントグリーンのワイドパンツに同色のリボンベルトを腰に巻き、上には白い五部袖シャツを合わせて着ていて、長い黒髪は胸元までストンと下ろしたストレートヘア、化粧も嫌味にならないナチュラルながらも、雑誌で読んだことのある流行を抑えている。

 岡田はごく自然に織本の隣の席に座ると、そのまま教科書やらノートやらを取り出し始めた。岡田は背筋がピンと伸びていて、座っているだけなのに様になる。すみれはいつもうつむきがちで猫背なので、触発されてちょっと姿勢を正してみた。


「この教授の講義、眠くなるからいつも講義前に眠気覚ましにミント味のタブレット噛んでるんだ。織本さんもいる?」

「ありがとう」


 岡田が鞄から取り出したタブレットを二、三粒、すみれの掌に出してくれた。口にするとスーッとした味わいが広がり、目が覚める。


「織本さんはあの辺りに住んでるの? 一人暮らし?」

「うん。アパートに」

「いいなぁ。私、一人暮らし憧れなんだよね。どう、自由?」

「自由だけど、たまにさみしくなる。手作りのご飯とか食べたいなって思う」

「じゃあ今度、うちに夕飯食べにおいでよ。お母さんもてなすの好きだし、お父さんは創作和食の料理人だからプロだよ。あ、でも、プロが作る味だと手作りの味とはまた違うからダメかな」


 岡田はそう言い、真剣に悩み出す。


「志穂、おはよう」

「おはよう、チハル」


 話していたら岡田と仲の良いクラスメイトがやって来たので、すみれは視線をノートに戻した。これで岡田との会話もおしまいで、彼女は友達と話すだろう。

 しかし予想に反して、岡田はすみれの腕を指でちょんちょんとつついてきた。


「チハル、織本さんうちの近所の花屋でバイトしてるんだよ」

「そうなの? 織本さんって花が好きなの?」

「好きでも嫌いでもなかったけど、最近好きになって来たっていうか……」

 そう返事をすると、チハルと岡田が呼んだクラスメイトは目をキラキラさせた。

「私の名前にも花の名前が入ってるんだよ。千の桜で、チハルって読むの。織本さんの名前は?」

「すみれ」

「花の名前だぁ、一緒だね! すみれって呼んでいい?」


 すみれは気恥ずかしさと嬉しさが混ざった感情で、それでも全然悪い気はしなくて、内心弾むような思いでコクリと首を縦に振った。


「じゃあ私も、志穂って呼んで」


 岡田が割って入って来て、そう言う。その後も続々とクラスメイトたちが集まってきて、すみれは全員に自己紹介をした。

 一時間半の講義を受けた後、志穂がノートをしまいながら言う。


「すみれも一緒に学食行かない?」

「いいの?」

「クラスメイトだし、いいに決まってるじゃん」


 ぞろぞろと七人の集団が講堂を出て食堂に向かった。

 すみれの通う大学には学食が二つある。すみれの入学前にできたという新しめの学食と、ずっと前からある古びた学食。すみれはどちらも使うが、どちらかといえば古びた方によく行く。なぜならば新しい方は人気があっていつも混んでいるし、クラスメイトに遭遇する確率が高いからだ。やはり一人で昼食を取っているところを見られるのはなんとなく恥ずかしかった。

 初めてクラスメイトと一緒に食べた学生限定二百六十円のカレーは、値段の割にボリュームがある。楕円形の型にぎゅうぎゅうに詰め込まれて盛り付けられた白米とカレー、それにチキンカツまでついてくる。なぜか味噌汁も。

 学食のカレーはいつもと同じ味のはずなのに、いつもよりも数倍美味しく感じる。

 カレーを美味しく噛み締めながら、ふとすみれは疑問に思っていたことを志穂に尋ねる。


「塩崎店長のこと、知ってる?」

「塩崎店長?」

「うん。志穂のお母さんは着付け教室やっていて、商店街で塩崎生花店とも付き合い長いんでしょ? 塩崎店長って、どんな人なんだろうと思って」


 志穂はチキンカツをサクサクと食べてから答える。


「そうだねぇ、私はあんまり話したことないけど、お母さんが竜胆さんのお母さんと仲が良くてよく話していたかな」

「店長は、志穂の大学とか学科とかも知ってたのかな」

「知ってるかもね。確か竜胆さんは一人暮らししていたけど、店を継ぐ時に戻って来て今はまた一緒に住んでるはずだし」

「そっか……。お花の配達っていつもやってること?」

「ううん、いつもは私かお母さんが取りに行ってる」


 ならやはり、すみれを岡田着付け教室に配達に行かせたのは偶然ではなく塩崎が仕組んだことだったのでは。「知ってるわけないだろ」と塩崎はにべもなく言っていたが、本当はどうだかわからない。

 むすっとした表情の下で色々考え、実は友達がいないすみれを気遣ってくれていたのだとしたら……。


「……塩崎店長って、いい人、だよね」


 にへっと笑うすみれに、できたばかりの友人たちは「なになに、好きな人?」と興味津々で聞いてきたのだった。

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