第12話 祖父と孫と祝いのグロリオサ②



「これがグロリオサですか」

「そう。面白い花だろ」

「はい、初めて見ました」


 あの後、安村が「土曜日に花を持っていくことになった」とニコニコしながら伝えに来たので、金曜日に塩崎が市場で花を仕入れて来た。花市場は月、水、金に開催されるらしく、土曜に必要な花は金曜日に買い付けに行くことになる。

 実物のグロリオサは、スマホの画面で見るよりももっと躍動感に満ち溢れた力強い花だった。入荷したての花は特に瑞々しい。美しい赤色の花びらは堂々と天に向かって反り返り、緑の葉は先端が蔓のようになっている。


「グロリオサは茎が柔らかいから蔓を伸ばして巻きつくことでバランスを取る」

「きゅうりみたいですね」

「そう」


 開店前、水揚げ作業をしながら塩崎はすみれにそう教えた。グロリオサの水揚げは水切りだ。バケツの水に茎を浸して先端を斜めにカットしていく。入荷量が多くないので塩崎が自ら行っていた。その間すみれは、床の掃き掃除をしたり気温差で曇ってしまったフラワーキーパーを拭いて中が見えやすくしたりした。


「織本さん、店頭に並べるアレンジメント用のフィルムとリボン切っといてもらえる。リボンの色はピンクと水色と黄色」

「はい、わかりました」


 塩崎はその日に入荷したばかりの花も既成のアレンジメントにする。


「私、お店に並んでいるアレンジメントは古いお花を使っているんだと思いました」

「そうする店もあるだろうな。売り切りたいならそれが一番手っ取り早いから。でもそれだと、買った途端にしおれちまうだろ。せっかく買ってもらうならなるべく長く花を楽しんでもらいたいし、質の悪い花を売っていたらすぐに噂になって来客が減る。できれば仕入れ日前日には、特に切花に関しては全部売り切りたい。まあ、難しいんだけどな」


 確かにそれが理想なのだろう。働き始めて気がついたが、花はナマモノだ。ずっと同じ美しさで咲いているわけではないし、いくら気をつけていても萎れて枯れてしまう。

 花を長く楽しんでほしいから、新鮮なその日のうちに売り切ってしまいたい。塩崎からはそんな気持ちが伝わってくる。

 グロリオサは明日、安村に渡す予定なので今日一日はフラワーキーパーの中に入れておくことになる。すみれは今日は開店準備だけしたら、大学に行くので店を抜ける。今日は二、三、四限だ。四時過ぎに四限が終わるので、五時には店に戻ってくることができる。

 アレンジメント用の包装材を切り終えたすみれは、エプロンを外して鞄を持った。


「じゃあ私、大学行って来ます。お先に失礼します」

「ああ、お疲れ様」


 店を後にしたすみれは、商店街を横切って駅へと行き、電車に乗って大学に行く。

 流れる景色を眺めながら、緑が濃くなっていることに気がついた。

 最近、季節の移り変わりを花で感じるようになった。

 たとえばこうして大学に向かうだけでも、道端に咲いていたタンポポや棚からこぼれ落ちるように咲くフジがなりをひそめ、代わりにアジサイがにょきにょきと葉を生やしているのを見かける。

 特別な場所ではない。駅のロータリー、銀行やパン屋の植え込み、住宅の前、等間隔に植えられた街路樹。そんな身近な場所にも花はあふれていた。

 花で四季を感じるなど、今までは桜くらいなものだったが、興味が湧くと自然に視界に入ってくる。

 街中も意外に緑に溢れているということに気がつくと、なんだか心が安らいだ。東京の二十三区では故郷のように山は見えないけれども、小さな自然は存在しているのだ。

 それに気がつくようになったのは、塩崎生花店でアルバイトをはじめてからだった。これまでは大学生活に馴染めないことに思い悩み、うつむき地面ばかり見ていても植物なんか目にも止まらなかったのに、不思議なものだ。

 塩崎生花店という居場所を見つけ、商店街の人と喋るうちに心に余裕ができたのかな、とも思った。

 そんなことを考えながら本日も講堂の隅で講義を受ける。相変わらずクラスメイトは楽しそうにしていて、羨ましいと思いながらも話しかける勇気が出ず、講義が終わればそそくさと食堂に移動して食堂の隅で昼食を終え、三限が始まるまでの時間をぼうっと過ごす。大学にいるよりむしろアルバイトしている時間の方が楽しい。塩崎は今、どんなお客を相手にして何をしているのか。どんな花が入荷しているのか。グロリオサを使ってどんな花束を作るのか、気になって仕方がない。次のアルバイトでは休憩中に何を食べようかなと考え始めたところでチャイムがなり、教授が講義室に来たのでやっと思考を現実へと戻した。



 土曜日、塩崎は見事な花束を作り上げていた。両手で抱える大きさの豪華な花束を取りに来た安村へと手渡す。


「グロリオサと赤いダリアで作りました」

「すごい華やかだね。なかなか見かけないタイプの花束だ。花言葉の意味を添えて、渡してくるとしよう」


 安村は手に四角いケーキの箱を提げている。自信作のティラミスだろう、とすみれは思った。すみれの視線に気がついた安村は、眉尻をちょっと下げた。


「気に入ってもらえるといいんだが……」

「きっと大丈夫ですよ。ティラミス、すっごく美味しかったので」

「若い子にそう言ってもらえると自信がつくよ。そういえば、フレムちゃんのぬいぐるみキーホルダーも買ったんだ」


 手のひらサイズのフレムちゃんのぬいぐるみにボールチェーンがついている。凛々しい顔つきのフレムちゃんは、右拳を天に突き上げるポーズを取っていた。


「勇ましくて可愛いですね」

「孫に会うだけなのに、ドキドキしている。血圧が上がりそうだ」


 安村はフゥフゥと息を吐き出し、胸を押さえて気持ちを落ち着けようとしている。緊張がすみれにまで伝わってきた。


「大丈夫です、こんなに心のこもった贈り物をされて、嬉しくない人なんていません」

「そうかなぁ」

「はい、絶対大丈夫です。私だったら、とても嬉しいです」

「織本さんはいい子だね。……よし、じゃあ、行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃい」

「ありがとうございます、またお越しくださいませ」


 塩崎は特に安村に励ましの言葉も激励も送らず、淡々と他の人に送るのと変わらない見送りの常套文句を口にした。実に塩崎らしい。


「安村さん、お孫さんと上手く話せるといいですね」

「ああ。まあ、問題ないだろ。安村さん優しいしいい人だから」

「そうですよね」


 後日やって来た安村は、仏もかくやというほどのニコニコ顔だった。


「久々に息子家族とゆっくり食事ができてね。孫娘も喜んでくれたよ。花はリビングに飾ってくれたし、ティラミスも美味しそうに食べてくれた。キーホルダーも、学生鞄につけてくれるって」

「よかったですね」

「今度野球の試合の応援に行くことにしたんだ。最近は外でずっと立っていることなんてないから、久々に気合い入れんとな」

「暑さが増して来たので、熱中症に気をつけてくださいね」

「ああ。織本さんには色々と世話になったから、また今度お礼の品を持ってくるよ。竜胆くんも、またよろしく」


 竜胆は店の奥でむっつりと頭を下げて会釈をした。

 そのさらに数日後、すみれは大学の五限終わりに帰宅途中、自宅の最寄駅で安村日南を見かけた。部活帰りなのだろう、先日見かけた友達と三人で横並びになって歩く日南のリュックには、野球ボールのキーホルダー、元からついていたセリフ付きフレムちゃんのアクリルキーホルダーに加え、もう一つ新たなキーホルダーがついていた。

 手のひらサイズのぬいぐるみフレムちゃんのキーホルダーだ。

 三つのキーホルダーが彼女の動きに合わせてリュックの上で跳ねている。

 後ろからそれを見たすみれは、思わず口角をあげた。


 ーー今年は祖父母に会いに行こう。それに、敬老の日には花を贈ろう。バイト代を貯めて、塩崎生花店から贈ろう。ぶっきらぼうな店長は、心を込めて花を束ねて綺麗にラッピングしてくれるから。きっと受け取った人にも、その気持ちは伝わるだろうから。

 そう、心に誓ったすみれだった。

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