第27話 TS転生おじさん、ときめく。

「お帰りなさい」


「おう」


「何かあったんですか?」


「いや、何も」


「さすがに嘘でしょう」


「何もなかった」


 横殴りの、土砂降りの雷雨に見舞われた土曜の夜。親方はずぶ濡れになって帰ってきた。風邪引きますよ、とすぐに玄関先でスーツを脱いでもらい、風呂場に直行させる。その間に夕飯をテーブルに並べていく。


 いつもは夕食の時間になると、テーブルの下でご飯を催促してくるディアン爺も、今夜は空気を読んだのか隣の部屋に行ってしまった。程なくして、トランクスとタンクトップ姿の親方が頭と髭をバスタオルで拭きながら出てくる。


「酒をくれ」


「はい」


 あきらかに何かあった様子の親方が、お酒を飲み始めた。空きっ腹にアルコールは毒だからと、私は刻みしょうがたっぷりの肉団子鍋をお椀によそった。かつら剥きにした大根やニンジンがトロトロになるまで煮込まれたリボン鍋だ。


 あの店で皆と別れ、帰宅してから、私は料理をしていた。料理をしながら考え事を。親方が何時頃に帰ってくるのかは分からなかったが、いつ帰ってきてもいいように、お鍋を火にかけながら待っていた。


「うめえ」


「それはよかった」


 私たちは黙々と夕飯を食べた。親方はいつもよりハイペースでお酒を飲みながら、徐々に赤くなっていく顔でチラチラと私の方に視線を寄越してくる。だが、目が合いそうになるとすぐに逸らした。とても分かりやすい。


 それにしても。見れば見るほどお爺さんだ。ドワーフの男性は立派なお髭のせいで、20代、30代でもお爺さんのような外見をしているのだが、親方は50代後半であるという。


 ドワーフの寿命が人間のそれとどれぐらい違うのかは訊いたことがないので分からないが、少なくともエルフほど長寿というわけではないだろう。であれば、親方もいつかは私より先に亡くなるわけだ。歳の差とはそういうものだ。


「私の方は」


「うん?」


「私の方は、何かありましたよ」


「そうか」


「はい。マンダリンお嬢様の婚約者、フォルテ王子とお会いしました」


 ガタっと親方が体と椅子を震わせる。だが、すぐに何事もなかったように、コップを握り締めて残りのお酒を飲み干した。


「何もされなかったか?」


「もちろん。楽しく談笑させて頂きました」


「そうか。まあ、お前さんも、儂みてえなジジイの相手をしてるよりかは、同い年の若いのとつるんでる方が楽しいだろうから、いいんじゃねえか?」


「そうでもありませんけどね」


 お酒の瓶に手を伸ばす親方。赤紫色の液体をガラスのコップに注ぎ、口を付ける。


「私は親方と一緒にご飯を食べている方が、落ち着きます。若い子供たちと出かけるのももちろん楽しいのですが、どうにも気疲れしてしまって」


「おいおい、ジジイじゃねえんだから」


 本当は。本当は私もジジイなんですよ、とは言えなかった。前世の記憶があります。体は13歳の少女ですが、心は50間近のおじさんなんです、なんて、言えるわけがないし、信じてもらえるとも思わない。


 それに。今の私の性自認は、少女のそれに近付きつつある。成熟しきった中年男性の自我に強く影響されていたはずの心が、この世界に生まれ、この世界を生きる、13歳の少女メヌエットの、瑞々しい心と溶け合いつつあった。


「親方」


「なんだ」


「好きです」


「ブッ!」


 ゲホゲホ! と咳き込む親方の背中を、私はさする。


「あー、儂もお前さんのことが好きだぞ」


「はい。私も親方のことが好きです」


「やめろ。ジジイの純情をからかうな」


「やめませんし、そんな悪質なからかいはしません」


「やめろ!」


「やめません」


 親方は立ち上がると、真っ赤な顔で自分の部屋に逃げた。今にも泣き出しそうな顔だった。私はテーブルの上を片付けることも後回しにして、親方の部屋に入る。彼はベッドの中で、頭から布団をかぶって隠れていた。


 『不用心だから』と私の部屋のドアにはわざわざ鍵を取り付けてくれたのに、自分の部屋のドアには取り付けないだなんて。親方らしい。


「来るな」


「何故ですか?」


「来ないでくれ、頼む!」


「理由は?」


「言えるかよ!」


「では、諦めてください」


 私は布団を引っぺがそうとしたが、親方の強い力で抵抗されてしまい、できなかった。さすがはドワーフの職人の腕力だ。


「一生そうしているつもりですか?」


「うるせえ」


「親方は私のこと、嫌いですか?」


「嫌いなわけねえだろうが! だから困ってんだよ!」


「では、何が問題なのです」


「問題だらけだろうが! お前さんは13で、儂は60近いジジイだぞ!?」


「それが何か?」


「何か、って! それ、本気で言ってんのか?」


「この国の法律では認められています」


 実際、これまでに親方に持ちかけられた縁談は、全て10代前半の少女がお相手だった。日本の江戸時代でもそうだったように、この国では13歳から16歳の間に嫁いでいくことは、貴族でも平民でも珍しくないという。


「ごめんなさい。あなたが好きです。ご迷惑なら、ハッキリと断ってください。お前とは付き合えないって」


 不思議とスッキリした気持ちだった。ずっと悩んで迷っていたけれど、私は遂に、告白したのだ。後は振られたとしても、それで踏ん切りがつく。


「……分かった。ああ分かったよ! 儂も男だ! おなごにそこまで言わしといて、まだ腹を括れねえってんじゃ男が廃る!」


 親方はがばっと跳ね起きて、ベッドの上に胡坐をかいた。両手を膝について、前のめりになりながら真っ赤な顔で私を見上げる。


「儂は楽器作るしか能のないジジイだぞ! 毛深いし、オヤジクセエし、おまけにそのうちお前さんの方がデカくなるだろうチビのドワーフだ!」


「はい」


「それでも、いいんだな!」


「はい」


 私は屈んで、ベッドの上で胡坐をかくイカルガ親方に口付けをした。最初は硬直して面食らっていた彼だったが、すぐにおっかなびっくり私の頬を、その武骨な手で挟む。そのまましばらく、私たちはキスをしていた。頭で考えていたより抵抗はなかった。

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