第2話 【事前準備】仮想配信者計画_02

 今からさかのぼること……ほんの十時間ほど前。

 明け方から続く豪雨の雨音と、遠く雷鳴の轟く中。


 ここ数週間の集大成とも言える、渾身の3Dアバターが……消えた。





「……は? ……え、…………は? …………はぁぁあ!??」




 落雷によるものと思われる停電から復旧し、嫌な予感を押し殺しながらパソコンを立ち上げ、血眼でモデルエディタを開き……ここ数週間絶えず顔を突き合わせていたモデルデータが奇麗さっぱり消え失せているのを認識し、素っ頓狂な声が上がった。


 今日の夜九時からの配信に向け、最終確認とばかりに細部の造り込みを進めていた3Dアバターモデル……チャンネル開設のかなめとも言えるそのキャラクターが、跡形もなく消えていたのだ。




「嘘、だろ……? え……ど……どう、すん……だよ…………どうすんだよぉ!!?」




 動画配信者として一通りのことはこなせるが、しかしぶっちゃけ大した実績も残せていなかった俺は……心機一転、昨今の仮想配信者ブームに乗っかろうと画策した。

 幸か不幸か時間だけは山ほどあった。これまで何かにつけて連敗続きの人生だったが、これを切っ掛けに盛り返し、輝かしい成果を残せるに違いない。……根拠は無かったが、何故かそんな気がしていた。


 主役となる看板娘の設定を練りに練ってラフを書き上げ、数少ない得意分野であったモデリング技術を用いて3Dアバターを造り始め、『神』と謳われるイラストレーター氏になけなしの貯金を叩いて立ち絵やキャラクター設定画を発注し。

 ネット上で出資者を募ったり無人融資契約機に頼ったり、個人の手の届く範囲を東奔西走して少なくない資金を集め、高精度ハイエンドな変声ソフトを調達して完璧に調律を済ませ、超一級品とまではいかずとも不自由することは無いであろう配信器材を揃え……



 とうとう配信当日を迎え、要であるアバターもつい先程やっと完成したかと思ったら……そのが消えていたのだ。




 既に告知イラストは、輝かしい『お披露目』の情報は、全世界へと拡散してしまっている。

 やはり『神』の影響力は凄まじく、決して少なくない注目と関心を集めてしまっている。

 大恩ある出資者の皆様方にも、今晩が第一回の配信だと伝えてしまっている。

 今更配信予定を変更することなど……出来ない訳ではないだろうが、肝心の初動でつまずいたとなれば、その後の伸びは怪しいだろう。



 いやむしろ、各方面にを作りまくっている自分の場合……その遅れはだ。


 今晩の配信予定を変更することは、実質不可能。しかしながらアバターが存在しなければ、おっさんが顔出し配信したところで意味も無い。

 愛らしい美少女目当てに配信を見に行ってみれば演者は御歳三十余りのおっさん(現在無職)だった……なんてことにでもなれば、もはや詐欺である。どう考えても炎上は免れられず、仮想配信者計画は一瞬で消し飛ぶだろう。



 ここへ至るまでに費やした努力が水泡に帰し、おまけに各方面から受けた恩と抱え込んだ借金も返せず……日に日に膨れていく利子に脅え、緩やかに滅ぶのを待つしか無い。



 ……救いは、無い。






(………………)



 窓の外は相変わらずの雷雨だったが……その音さえろくに耳に届かない。

 薄暗い窓の外、窓ガラスに映る自分の顔。表情が抜け落ちたその顔は、まるで死人のように虚ろだった。




 死人。既に死んだヒト。……ははっ。




(…………そうだな、死ぬか)



 ふと、唐突にそう思った。


 幸いなことに(?)このマンションはそれなりの高層建築物なのだ。窓を開け、柵を乗り越え、淀んだ空に身を投げれば……それは文字通り空を飛ぶような爽快感だろう。もう絶望とはおさらばだ。

 各方面から搔き集めた恩も、町金融から搔き集めた金も、返す心配なんてしなくて済むのだ。


 ゆっくりと掃き出し窓を開け、裸足のままベランダへ出る。

 全身に滲み出ていた冷や汗に強風と横殴りの雨が加わり、一瞬で体温が下がる。

 ベランダの柵に両手を掛け、遠慮無く吹き付ける豪雨を意に介さず……ぼんやりと遥か下を眺める。





(…………ちくしょう)




 今更死ぬこと自体は怖くない。自殺を試みたことだって何度かある。

 実際に身を投げたことも……ある。


 だが…………




(……ちくしょう)




 自分でも間違い無く会心の出来だった。

 誰からも愛されると思える程に可愛らしい子だった。

 もし実在するのであれば……それこそ目に入れても痛くない程に、愛おしい存在だった。


 そんな可愛い我が子が、日の目を見ることなく闇に葬られる。

 そのことだけが、ただただ悔しかった。




(畜生……!!)




 本気で打ち込んだ創作物さえ、満足に作り上げることが出来なかった。


 ほんのデータに過ぎない我が子に、命を吹き込むことが出来なかった。


 声を、動きを、表情を、歴史を与えてやることが出来なかった。


 皆に愛されるキャラクターとして、生を与えてやることが出来なかった。




 『



 そのことだけが……ただひたすらに悔しかった。






 何度目かも解らぬ轟音……腹の底に響くような雷鳴が、脳を揺さぶる。

 ぼんやりと霞む視界に雷光が幾度となく飛び込んでくるが……微塵も恐怖は浮かばない。

 どうせもうすぐ消える命だ。今更怖いものなんてあるものか。

 そうとも、何一つとして眩い成果を生み出せなかった俺なんか……生きていたって仕方が無いじゃないか。


 只一つ心残りなことは……『あの子』が生まれることさえ出来ずに消えていくこと。それだけだ。

 ああ、全く。なんで俺はこんなにも無駄に生きているのだろう。




……



 何一つとして違和感を感じることも無く……自然とそう思えた。





 強まっていく雨と風、この世の終わりのように荒ぶる雷。

 そこかしこに立て続けに雷が落ち、轟音に頭を揺さぶられる中。





 ――――空が、割れた気がした。




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