物書き練習帳

@nekotohakumai

クリスマス、懺悔室にて

トオルはついていなかった。予定では仕事をサッと仕上げた後、高割引率で販売される売れ残りのチキンだかケーキだかを調達して、ゲーム三昧の一夜を過ごすはずだった。しかし、それらを諦めなければいけないだろうという予兆を、数日前から確かに感じていた。そしてその通りになった。

「今日はいい天気ですね」

トオルは目の前に鎮座するものに話しかけた。それは白くて滑らかな表面をした、天使の形の置物だった。天使は落ち着いた声色で『すみません、キャラメルとは人物のことでしょうか。ぜひ詳しく教えてください』と返事した。それなりの価格がする発話ソフトなだけあって、言葉のつながりは十分に滑らかだ。トオルが注視するコンソールには本来「今日はいい天気ですね」と表示されなければいけないが、「キャラメルはよく探求しますね」と表示されていた。どうあがいても音声入力を正しく受け付けてくれないポンコツ天使デバイスに、トオルは何十回目かのため息をついた。天使の頭の天辺に埋め込まれたマイクに、致命的な問題がある可能性が高いことは明白だった。


ちらとコンソール右上の時刻表示を見る。午後四時を過ぎていて、すでに冬の太陽は傾き始めていた。天使を修理している時間はもはや無い。

「仕方ないか」

トオルは作業机の上に散らばった道具類をカバンに放り込み、『洋梨がお好きなのですね』と勘違い解釈を優しくささやく天使デバイスも押し込むと、慌ただしくアパートを後にした。


***


懺悔を聞く代役をAIに任せるサービスはすでに各地で運用され始めていた。黎明期は反発も強かったらしいが、なんでも著名な神父の考え方を学習させたとかで、ここ最近は一気に受け入れられはじめているようだ。末端作業員であるトオルにとっては、社会が下すサービス評価よりも、導入作業回数の増加のほうが重要だった。実稼働量が多いほど、懐に入る金も増える仕組みなので。


今回の依頼元は郊外にある小さな村の教会だった。月数回、深夜帯に懺悔室を開けておくのが慣例だったが、神父が高齢のため難しくなり、この機会にAIの導入を検討したいとのことだった。比較的近場で動けるリソースのひとりとして、案件斡旋システムからの依頼がトオルに飛んできた。まずはクリスマスの夜にテスト導入、実際にサービス契約するかどうかは年明けに決定する方針がすでに決まっていた。その通知を見た時、偶然にも、トオルはクリスマスに一緒に過ごしてもいいなと思った相手から連絡をブロックされたことに気づいたところだったので、やぶれかぶれな気分でそれを引き受けたのだった。サービス契約が成立すればそれなりの見返りが上乗せされる予定だし、その上乗せ分をアテにして、年明けに気晴らしの旅行の計画をすでに練ってある。今晩のトオルにとっての最優先課題は、デバイスの不具合を誤魔化して顧客に満足してもらうことだ。


定刻に指定の村を訪ねると、老神父に迎えられた。通り一遍のサービスの説明にも熱心に聞き入ってくれる、気持ちのいい客であった。マニュアル通りならば、デバイスの回収は後日の予定になっている。しかし、トオルは翌朝にはスタッフによる回収が必要だと説明した。さらに、交通の便を言い訳にして、教会の裏手の小屋に一晩の宿を求めると、老神父は快諾してくれた。


トオルはまず、すっかり暗くなった教会に入った。田舎の風習に従って、鍵も閉めずに常に開け放しにしているとのことだった。良く言えばアンティーク、悪く言えば古ぼけた、という印象の教会内部は、月明かりがステンドグラスを突き抜けて差し込んできていて、小さいながらも静謐で荘厳な雰囲気がある。懺悔室は一番奥の左隅にしつらえられていた。老神父が座るのはいつも右側と聞いていたので、トオルはそこに天使デバイスを据えつけて、電源を入れた。天使の円錐形の滑らかな表面がほんのりと青白く光った。


次に、教会の裏手にある古びた小屋に向かった。こちらもやはり鍵はかかっていない。立て付けの悪い木の扉を揺さぶりながらなんとか開くと、内部の淀んだ臭いがツンと鼻をついた。乱雑に積み上げられた木箱。錆びている鍬。渇いた泥がこびりついた長靴や作業着。薄汚れたブルーシートが小屋の隅を覆っている。当然、空調機器は無いので、冬の寒さが沁みてくる。放置された物置扱いになっている小屋に、宿泊の快適さを求めることは無謀だし、元から期待もしていない。最も重要なのは、そこそこに教会から近いことと、完全に別の隔離空間を確保できることだ。トオルは扉を閉ざすと、コンソールとイヤホンを準備した。イヤホンのノイズ抑制機能をオフにすると、ごく僅かなホワイトノイズが聞こえてきた。うまく天使デバイスと遠隔通信できている証左なので、胸を撫で下ろす。先刻の老神父の昔語りを思い出した——「クリスマスの夜には、きまって幾人か、懺悔にくるものだ」。


じっと息をひそめていると、衣擦れの音がイヤホンから発せられた。懺悔室の出入り口の分厚いカーテンが割り開かれるさまが、ありありとトオルの脳裏に浮かんだ。


「ごめんください」

しわがれた老人の声がした。トオルは「ごめんください」とコンソールに手早く入力した。AIからは即座に応答があった。

『こんばんは。あなたのお話を聞かせてください』

コンソールに表示されたものとまったく同一の言葉を、天使デバイスが滑らかに喋る。その様子ははっきりとイヤホンで聞き取ることができた。うまくいった。マイクが壊れているなら、入力デバイスを別物で代用すればいい。トオルは今晩、自分自身を壊れたマイクの代用品として運用する覚悟を改めて決めた。老人がポツポツと語る悩みを、トオルは一言一句漏らさないよう、コンソールに記述を始めた。

しばらく前から財布の中身がいつの間にか少なくなっているように思え、これが痴呆の始まりかとも恐れたが、どうもおかしい。疑問に思っていたある日、孫が財布からお金を抜き取っているところを見てしまった。孫が金に困っているなら、援助するのもやぶさかではない。しかし、物盗りのようなマネをしているのはよろしくない。キッパリ言ってやらねばと思いつつ、可愛い孫が寄り付かなくなることを恐れて嗜められない。

天使は穏やかに老人の話に相槌をうち、孫と話し合いを持つという彼の決意を応援した。

『あなたに神のご加護がありますように』

学習元になった神父の決まり文句なのか、天使は大抵の場合、話をその言葉で締めくくる。またカーテンの擦れる音がして、イヤホンの奥には静寂が戻った。




「すみません……」

しばらく間を開けて、遠慮がちな女性の声色が聞こえた。天使が話を促すと、彼女は時折言葉を詰まらせながらも話し始めた。

学生の頃はそうでもなかったのに、社会人になり自由にできるお金が手元にできたことで、ブランド品に目覚めた。購入理由は実用からコレクションに進化していき、買い漁ることそのものが仕事のストレス発散につながってしまった。やがて出費が収入を超えてしまい、それでも買うことを止められない。ある時から、孫をとても可愛がってくれている大切な祖父の財布にまで手を出してしまった。しかも上手くバレないようにやれてしまったので、祖父の家に遊びに行き、お金を抜き取る行為は長期化した。孫の来訪回数が増えて祖父は喜んでいる様子だった。しかし先日、タイミングを誤り、もしかしたら祖父に見られたかもしれない。だが祖父はこの件について何も触れてこない。ここに至ってようやく、とんでもないことをしてしまったという悔恨が突き上がってきた。

天使からの『お買い物はもう止めることができたのですか』という質問に、女はいいえと答える。天使は買い物依存症の説明と、クリニックへの通院を勧めた。女はいたく感心している様子だった。

『あなたに神のご加護がありますように』

彼女の去り際の声色はわずかながら明るくなっていたように思えた。




「AIの神父さまってのは、自動で警察に通報しちまう機能はあるのか?」

次の来訪者の男は、懺悔室に入るなり、そう質問した。天使は、普段とは異なる旧時代の機械チックな音声で、通報機能はない旨、録音をしていない旨、ログの送信をしていない旨、そのために犯罪行為の告白があったとしてもサービス提供事業者は関知せず責任を負わない旨をハキハキつらつらと述べた。さらに利用規約本文の朗読に取り掛かろうとした天使だったが「ああ、もういい、わかった」と男が遮る(その言葉をトオルがコンソールにそのままそっくり転写する)と、ピタリと黙った。

実家が元々質屋を営んでいた。企業への就職にも結婚にも縁が無く、なんとなく自然と質屋を継いだ。家業は性に合っていたようで、すぐに自力で経営を回せるようになった。自らにも意外なことであったが、特にブランド品のバッグやら財布やらに関して真贋を見抜くことができた。順調な生活の潮目が変わったのは今年の春頃。友人に連れてこられたのはキャバクラだった。これまではそういった遊び場を馬鹿馬鹿しいと敬遠していたが、最初に接客してくれた嬢に入れ込んでしまった。彼女は美人で、スタイルが良く、なにより頭の回転が早い。話をしていて楽しかった。彼女のところへ足繁く通って質屋の売上をうっかり使い込んでしまった。やや傾いた経営に直面したとき、時折紛れ込んでくる精巧な模造品のことが思い出された。これまで処分していた偽物を、素人目にはわからないレベルのものは正規品と同様に扱う事にした。少し復活した利益すら、キャバクラで使い込んでしまった。しかしある日彼女は急に店を辞めた。彼女以外の嬢にはさっぱり興味を惹かれなかった。

すっかり目が覚めてしまったことと、そして銀行口座の残高状況について悲嘆する様子の男に対して、天使は状況の好転具合を諭した。

『あなたに神のご加護がありますように』

大きな溜息をひとつ残して、男は去っていった。




「わぁすごい、初めてきた、ふふ」

日付が変わった頃合いで、陽気な女の声がした。続けて、ゴトン、と何か重めの硬質な物が置かれる音。液面の揺れる音。数秒置いて嚥下音と高笑い。酔っ払いだなと推測はついた。トオルは呂律のやや回っていない音声を聞き取ることに神経を使った。

元々は手早く稼ぐ為に働き始めたキャバクラだったが、お客に酒を飲ませ、話を聞き、良い気分にして帰すというのはなかなか楽しい仕事だった。すぐ辞めるつもりが、求められるままにナンバーワンの席に座り続け、数年経った。今年、新しく入店してきた後輩がいた。後輩はとても魅力的で、男女問わず惹かれる者は多く、あっという間に店でのナンバーワンを譲ることになった。嫉妬に駆られるかとも思ったが、後輩の人の良さにいつの間にか自分自身も籠絡されていた。数週間前、後輩は青い顔をしてこっそり相談してきた。先輩、どうしよう。このお仕事は家族に内緒だったのだけれど、店も家もバレたかもしれない。怖い、帰れない。泊めてほしいの……。それをどうして断ってしまったのだろう。リビングが散らかりっぱなしだったから。先輩ヅラを維持したいというちっぽけなプライドのために、今日はダメ、と返事をしてしまった。綺麗に掃除を済ませた翌日、改めて招待すればいいと思っていたのに、それ以降、後輩は店に顔を出さなくなった。

女のから笑いはとっくに啜り泣き変わっていた。『後輩さんはどこかで元気にしていますよ』という天使の当て推量の言葉は、女の神経を激しく逆撫でしたようだった。そんなのどうして分かるのよ、と女は叫んだ。

『あなたに神のご加護がありますように』

天使がそう言った時には、すでに女は懺悔室を出ていったようだった。慟哭の声がイヤホンから、そして小屋の薄い壁を隔ててさえも聞こえたが、やがて遠く去っていった。




「あなたのベースはグレゴリウス様ですか?」

夜半をとうに過ぎて、いよいよトオルに睡魔が近寄ってきた頃、前触れなく耳朶を言葉が打った。聞き取りやすい男のテノールだった。慌ててコンソールに入力すると、天使は『はい私はグレゴリウス36世の発言をベースとして学習した専用AIサービスです』と回答した。来訪した男は満足げに、高名な神父様の答えを聞いてみたいことがあったのです、と前置きした。

男は父母姉のいる家庭で育った。父は医師で母は弁護士、姉弟も将来を強く期待され、ゆえに教育は苛烈を極めた。姉は父母の期待の傘となって弟を庇ってくれた。家族の中で信頼できるのは優しく頼れる姉だけだった。しかし、姉は大学へ通い始めると、音信不通になった。その頃には男も両親に対する処世術を身につけていたので、姉がいないからといって問題があるわけではなかったが、それでも信頼する唯一の家族が消えたことはショックだった。男も大学生になり、一番にしたことは姉を探すことだった。見つけた姉は水商売に身をやつしていた。哀れに思って助けの手を伸ばすと、姉はそれを振り払った。いやよ、わたし、この仕事が楽しいの。向いてるの。天職なの。姉が妖艶に微笑む姿を見て、男の中の何かが千切れた。


「ふと気づいたら、姉を締め殺してしまっていました。何故そんなことをしてしまったのか、まだ整理がつかないのです。そして、それを後悔する気持ちのない自分がいるのです」

トオルの指がそれらの言葉をタイプするのがわずかに遅れた分だけ、天使の返答も遅延した。

『なぜ後悔していないのでしょうか』

「わかりません。それを知りたくて、相談しにきました」

今度は天使自身に少しの処理待ち時間が発生した。コンソールに吐かれた返答は、あなたはまだ事実を受け入れ切れていないであろうこと、自らを見つめ直す姿勢の重要さ、懺悔には悔恨の気持ちが必要であること、天使AIはあなたの気持ちを尊重し応援したいこと、そのうえで自首をすすめること。最後にこれらの発言はスタンドアローンAIが自動で発話したものであり、サービス提供事業者はなんら責を負わないことが補足されていた。それらはなかなかに長文で、天使が読み上げ終わるのには数分の猶予があるようだった。


トオルは心臓と肺のあたりに気持ち悪い熱のもやを自覚した。デバイス越しに向き合っている男の告白は、ただのAIの反応目当ての虚偽なのか。しかし、淡々とした口調の語りは、真実の吐露であるような気がしてならない。警察に通報するか? いいや。それはダメだ。その選択肢を選ぶには、トオル自身が規約違反を犯して盗聴した罪の自白も必要だ。トオルにはそれを実行する勇気はなかった。


ふと、アイデアが降ってきた。死体を見つけてそれを通報したということなら、トオル自身は責を負わずに済むかもしれない。普段なら熟考すべき事柄も、いまこの瞬間においては、睡眠不足とリアルタイム性に背中を押されて、実行に移すのは容易だった。トオルはコンソールで天使に会話指示を登録した。

『姉の死体はどうしたのですか』

天使は、説話を終えて一瞬の間のあと、指示通りにその質問を男に投げかけた。男は答えた。

「姉の死体は、この教会の裏手にある小屋に隠しました」


トオルは背後を振り返った。死体が? ここにある? 乱雑に積み上げられた木箱。錆びている鍬。渇いた泥がこびりついた長靴や作業着。薄汚れたブルーシートが小屋の隅を覆っている。その裏には農具があるものとばかり思っていたが、よくよく意識すると、小屋の中の独特のすえた臭いはそこから漂ってきている気がする。ブルーシートの覆いをそっと捲り上げると、爪先を赤いネイルで飾った白い手が現れた。トオルは息を詰まらせ、思わず背後によろめいた。コンソールに意図せずぶつかり、出鱈目な文字列が入力される。それらはそのまま天使に解釈されて、出鱈目な音声が出力された。

「グレゴリウス様?」

恐怖心で真っ白になっていた脳みそが、イヤホンから聞こえる殺人犯のテノールで揺すぶられた。しまった、どうすればいい。妙案が浮かばないまま硬直してしまう。

「壊れたのか……?」

何やら物音がしたあと、尻ポケット越しの振動を感じるのと同時に、やたら陽気なジャズサウンドの爆音が響いた。カスタマーサポート直通の着信音だ。天使デバイスの底面に担当エンジニアの番号を書く決まりだったのを思い出しながら、トオルは慌てて受話用端末の電源を切った。そして、その間の数秒が致命的なものになったという直感があった。殺人犯がここに来る。トオルは床に転がったコンソールやショートブレッドの空箱をカバンに押し込むと、急いで小屋を飛び出した。懺悔室のある教会から遠ざかるように裏手の林へ走り込み、体力が許す限りまっすぐ進んだ。すっかり息切れした頃に見つけた茂みに身体を潜め、遠目に教会の方面を見る。小屋は茂みに飲み込まれてしまったが、教会の屋根の十字架はよく見えた。


トオルは人影が来たら逃げようと思いながらずっと教会を睨みつけていたが、夜が明けて空が白みはじめても、とうとう誰も林へ追いかけてくるものはいなかった。


***


充分に太陽が昇ったとトオルが思えたのは、七時を回った頃だった。睡眠不足もあって、昨晩の出来事が夢幻のように思えたが、ひとりであの小屋と教会に出向く勇気は一欠片も無かった。


トオルはまず老新父のもとへ向かい、小屋の貸出の礼と、忘れ物がないかの点検をしにきてほしい旨を伝えた。老神父は快諾してくれたが、彼の歩調はトオルの想像よりも三倍ほどスローペースだった。そのゆっくりした散歩の時間は、その間にも教会と小屋に殺人犯がいる確率がみるみる減少していくと思うと、悪いものではなかった。


老神父と共に懺悔室を見ると、白い天使の置物が変わらずに鎮座しており、殺人犯の姿は見当たらなかった。トオルは老神父に対して、お試し期間のデバイスは一度持ち帰る規則になっている、と改めて誤魔化し、壊れた天使の回収に成功した。とてもではないがマイクの壊れたものをそのまま提供するわけにはいかなかった。次に二人はやはり凄まじく時間をかけて、教会裏手の小屋へ向かった。その扉を老神父が開ける時、トオルの緊張は最高潮に達した。小屋の中が見えた。乱雑に積み上げられた木箱。錆びている鍬。渇いた泥がこびりついた長靴や作業着。小屋の隅にあったはずの、死体を覆った薄汚れたブルーシートは無くなっていた。ブルーシートの件を老神父に聞いたが、心当たりは無いとのことだった。


綺麗さっぱり痕跡が消えていたので、もしかしたら昨晩聞いた懺悔は本当に何もかも夢だったのかもしれないと思えた。しかし、帰りの電車で手持ち無沙汰にコンソールをチェックすると、そこには間違いなく殺人の告白が会話ログとして残っていた。トオルは少し思案したあと、昨晩のことは小屋の痕跡のように綺麗さっぱり忘れようと心に決めた。ログファイルをゴミ箱に捨て、さらにゴミ箱も空にする。都合の悪いことを何も見なかったことにするのは、トオルの得意分野だ。


アパートまでの乗り換え駅に降り立った時、混雑の中で、尻ポケットから振動と、爆音の陽気なジャズサウンドが聞こえた。常に端末に労働を追い立てられるのがこの職業の悲哀だなと思いながら、急いで応答した。

「はい、カスタマーサポートでございます」

「ああ、よかった、やっぱりあなただった」

安堵を滲ませたテノールが、耳元と同時にすぐ背後でも聞こえた。驚きを感じている間も無いまま、トオルの身体は衝撃と共によろめいて駅のホームからあっさり転がり落ち、減速が間に合わなかった電車はそのまま線路に滑り込んだ。駅のホームはブレーキ音の残響と悲鳴で満たされた。


通話端末の電源を切った男は、持て余した姉の死体をどうしようかと考えながら、電車から吐き出された人々のうねりに溶け込んでいった。

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