第30話 推し活とわたし

 最近、「わたしたち」というものにとても関心があります。「わたしたち」と「わたしたち以外」を隔てるものにも興味があります。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ攻撃がはじまった数年前から、ずっと考えているといってもいいかもしれません。なぜなら、「わたしたち」の中では許される小さな行き違いが「わたしたち以外」との間では許されない罪となり、争いの種となってしまうからです。争いが、わたし(わたしたち)とそれ以外の間で起こるものであるなら、「わたしたち」をどんどん拡張していけば、世の中から争いはなくなっていくのではないか――とSFめいたことを考えては、小説のネタにならないかとこの考えをもて遊んでいるのです。ほとんど結果に結びつきませんが……。


「推し活」という言葉があります。もともとは大人数のアイドルグループの中から、特定のアイドルを選んで応援することを指して使う言葉でしたが、もっと広く自分のお気に入りの人や物を応援する活動に使われる言葉になってきました。単にファンであるといのと違うのは、ファンであるというより推し活をしているという方が、対象を応援する→対象ががんばる→対象ががんばってるのを見て自分も活力を得る→さらに対象を応援する、「支える=支えられる」というサイクルがあるところです。


「推し」と「わたし」の関係は、「わたしたち」なんだろうな、いい関係だな、うらやましいなと思ってましたが、最近、藤光にも「推し」と呼んでいい対象が現れました。競馬の武豊騎手です。


 おいおい、いまさら武豊かよとか、武豊ってなに、名前なの? 苗字なの? とか、さまざまあると思うので説明すると――。


 武豊たけゆたかさんは、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手(ジョッキー、馬乗り)です。1987年にデビューして以来、勝ち星は4000勝を超え、数多くの史上最年少記録を作り、これからも史上最年長記録を作り続けていくであろうレジェンド生きた伝説・ジョッキーです。いやいや、褒めすぎじゃないです、彼は野球界で言えば王・長嶋と同格。特別な騎手ですからね。


 とはいうものの、野球ファンに巨人嫌いが多いように、大レースを勝ちまくっていた武豊さんにもアンチは多く、わたしも若い頃は嫌いでした。彼が手綱を取っていたスペシャルウィークも、アドマイヤベガも、エアシャカールも、一度も応援したことはありません。ディープインパクトに至っては、当時、競馬から離れていて、よく知らないんですよね。


 アンチ武豊だった藤光が、逆に武豊推しとなった理由は、少しさびしい話ですが、武豊さんが歳をとって昔のように勝てなくなったからです(といっても、並の騎手以上に勝ちますが)。かつて一流のジョッキーだった人が、体力の衰えと共に並の騎手になってしまうって、とても辛いことだと思うんです。むかしは軽く乗りこなせていた馬に、いまは手こずってしまう。相手にしなかったレベルの騎手に、いまは自分がなっている――。


「もうダメなんじゃないか」


 体力や判断力は衰えていく一方なので、騎手としての上がり目は少なく、落ち目となる部分は数えきれないくらい思い当たるわけで、毎日不安と戦っているはずなんですよ。それでも、その不安をはねのけて騎乗を続ける姿が素晴らしいです。そして前人未到の結果を出し続ける。同世代として応援せざるを得ません。


「負け犬」とまで卑下するつもりはありませんが、順風満帆というよりは不遇だった藤光のこれまでの人生と、武豊さんのいまの生き方が重なるように思えた。「わたし以外」だった武豊さんが、「わたしたち」になった瞬間、わたしは断然、武豊推しになったのです。


 わたしにとって「わたしたち」が拡張されていく感覚は、とても心地よいです。頑なだった心が開放されてゆく快感があります。具体的にはなにもしてませんし、変わったことはないのですが、少し良い人間になれたように感じます。これからも少しずつでいいので、わたしの推しを増やしていけたらいいなと思っています。

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