◆ 4日目

1.荒らされた温室

『投票の結果、蟋蟀さんが強制停止となりました』

 端末のメッセージを目にしながら、ぼくは昨日の事を思い出していた。こうなる事は分かっていた。分かっていながら、止められなかった。ぼくは意固地になっていたかもしれない。蛍の言う通り、他の姉妹たちが誰に投票するのかを、もっと想像して入れるべきだったのだろう。終わってしまった事は仕方がない。今日出来る事は、今日起こるだろうこれからの事に対して覚悟を決めることだった。

 と、その時、ドアベルが鳴った。応対してみると、そこには七星がいた。赤いベレー帽を手で押さえながら、彼女はぼくを見上げてくる。

「おはようございます、空蝉さん。今日もお変わりがないようで何よりです」

「おはよう、七星。君も無事なようで何よりだよ」

 ぼくの言葉に七星は満面の笑みを浮かべると、軽くお辞儀をしてからそのまま蛍の部屋へと向かった。うんと背伸びをして、ドアベルを鳴らす。程なくして蛍が出てくる。その横顔を見て、彼女が今日も無事であることを安堵しながら、ぼくはその奥の瑠璃星の様子を見守っていた。

 金蚊、日暮と声をかけていった彼女は、そのままこちらに向かって歩いてきた。七星が蛍の隣室の秋茜の部屋を訪問する間に、瑠璃星は蛍の部屋の向かい側に位置する花虻の部屋のドアベルを鳴らした。一回鳴らした時、ちょうど視界の端で秋茜が部屋から出て来て、七星の相手をするのが見えた。金蚊、日暮は無事。あとは花虻だけ。この時点でもう、ぼくには彼女の身に起きたことが分かってしまった。瑠璃星も恐らくそんな予感はしていただろう。だが、二回、三回と鳴らしてから、彼女は中へと声をかけた。

「花虻君。いるかい。もしいたら──」

 と、その扉に手をかけた時、彼女を中へと誘うように扉は開かれた。瑠璃星は、すぐには入らなかった。静かな室内をしばらく見つめてから、彼女はぽつりと呟いた。

「……入らせてもらうよ」

 室内へと消えていく瑠璃星の背中を見つめていると、秋茜がぼくに近づいてきた。

「空蝉、あなたは憶えているのよね?」

 落ち着いた声色のその問いに、ぼくは黙って頷いた。そんなぼくに、秋茜はさらに問いかけてきた。

「じゃあ、教えて。誰を疑っているの?」

 心底気になっているかのようなその眼差しに、ぼくは口籠ってしまった。まさか、君だなんて本人相手に言えるわけもない。だが、七星や金蚊、日暮といった他の姉妹たちの視線もぼくへ向いている事に気づき、一気に居たたまれなくなった。

「それは……その……」

 言いづらいながらも答えようとしたその時、瑠璃星が廊下へと戻ってきた。

「何処にもいない」

 彼女がそう言うと、七星がすぐに近づいていった。瑠璃星をじっと見上げ、視線で何かを伝える。そんな彼女に対し、瑠璃星もまた無言で頷くと、再び顔を上げてぼく達に向かって訊ねてきた。

「僕は七星君と共に探してくる。君たちはどうする?」

「皆で見た方がいいんじゃない?」

 真っ先に答えたのは日暮だった。頬に手を当てながら、いつもと同じ何処か気怠そうな表情で彼女は瑠璃星に言った。

「誰かが説明するよりも、自分の目で見た方がいい。そうでしょう」

「確かにそうだが」

 と、瑠璃星は言った。

「強制はできない。見たくない場合もあるだろうからね。だから、来たい人はこのままついて来てほしい。花虻が昨日いた場所として真っ先に思い当たる場所は一つだ。まずはそこへ行くつもりだから」

 恐らく温室の事だろう。そこで前回、花虻は壊されていた。全く同じ状況ではなかった。あの時は蜜蜂がまだ強制停止になっていなくて、壊された花虻の傍で震えていた。あの時と似て非なる光景が確認できるだけだろう。とはいえ、昨日の稲子の時のように全く見なくていいものか。悩んでいると、蛍がそっと話しかけてきた。

「どうする?」

 気づけば、秋茜も、金蚊も、そして日暮も、瑠璃星たちと一緒に向かおうとしていた。その背中を見て、ぼくは慌てて蛍に言った。

「ぼく達も行こう」

 共に慌てて追いかけて、ぼく達は温室へと直行した。

 紋白蝶、蜉蝣、稲子。第三シリーズの姉妹たち全てが破壊されてしまった後、犠牲になったのは花虻だった。あの時と同じ流れだ。蟋蟀が選ばれ、他の姉妹たちの無事が確認できた時点で、この度の犠牲者が誰なのかなんて分かっていたこと。それでも、変わり果てた花虻の姿を、彼女の愛した小さな世界の中で見つけてしまうことは、覚悟していた以上にショックが大きかった。

 それだけじゃない。今回の惨状は、花虻自身の酷い有様だけではなかった。彼女が日々愛情を込めて育てていただろう植物たちが無残に荒らされていたのだ。鉢は倒れ、草花は散らされ、あちこちに花弁や葉っぱ、そして土が散乱している。

「なんて酷い……」

 日暮が声を漏らす。他の姉妹たちも顔を歪めていた。そんな中、瑠璃星は冷静に温室へと踏み込むと、しゃがんで花虻の様子を確認した。

「花虻君の体の下。床が汚れていないようだ。土も草花も彼女の体の上にだけ被っている」

 静かに状況を整理する彼女に、とことこと近づいていった七星が問いかける。

「つまり、どういう事ですか?」

 その問いに瑠璃星が答えようとしたその時、チャイムは鳴り響いた。

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