3.生き残るために
昨日と同じ時刻、同じ場所。ぼくに与えられた個室とほぼ変わらない蛍の部屋で、ぼくは蛍と向き合っていた。始終冷静な様子の彼女に対し、ぼくは興奮を抑えられずに訴え続けていた。
「──だからね、絶対に蜜蜂じゃないんだよ」
そんなぼくをしばらく静かに見つめた後、蛍はようやく囁いてきた。
「あなたの言いたいことは分かった。けれど、どうか落ち着いて」
「だって……」
「何を言おうと投票はもう終わってしまったもの。一応、言っておくけれど、わたしはあなたを信じている。だから、あなたの疑う人から選んだ。でも、わたしに出来るのはここまで。あとは、他の姉妹たちの考え次第」
「それは……そうなんだけど」
結果が分かるのは明日だ。だが、その明日が今のぼくには遠すぎる未来だった。そわそわするぼくに、蛍は言った。
「あなたを疑っているわけじゃないけれど、もうちょっと明確に知りたい。今から探ってみても貰ってもいい?」
どうやって、と聞くのは野暮だ。ぼくは蛍を見つめ、緊張と少しの恥じらいを覚えながら頷いた。蛍は静かに微笑むと、ぼくに唇を重ねてきた。その感触には、憶えがあった。初めて唇を重ねた日の事だ。
憧れだった彼女が恋人になり、それでもしばらくは手を繋ぐことで精一杯だった。気持ちの問題だったし、ぼくが臆病だったせいでもある。でも、それではいけないと散々悩んで、勇気を出そうと行動したあの時、ぎりぎりになって怖気づいたぼくを、やや強引に引き寄せたのが蛍だったのだ。一度重ねてしまえば、ぼくはようやく強気になれた。深く、もっと深く、と、彼女を求める勇気が湧いてきて、ぼく達はようやく恋人としてさらに一歩近づけたのだ。
あの日の事を思い出しながら、ぼくは自分の体が蛍の体に接続されていくのを実感した。そして、記憶を探られるくすぐったさと心地よさにどっぷりと浸かっていると、お互いの身動ぎの感覚と共に瞼の裏に別の景色が映り始めるのを感じた。
脳裏にその光景が明確に浮かび上がる。そこには、いつか目にした景色があった。あまり好きではない。ネガティブな印象の付随するその景色。ぼくが命を落とした事故現場の景色だった。
辺りを静かに見つめ、手元に抱える花束へと目をやる。これはぼくの記憶ではない。蛍の持つ記憶の一部だ。花束を手に周囲を見渡してから、彼女はその場で静かに祈りを捧げた。視覚以外の記憶もまた流れ込んでくる。彼女は……お墓参りに行こうとしていたのだ。誰の、なんて疑問に思うまでもなく、答えは浮かび上がる。ぼくだ。空蝉になったぼくではなく、人間だったぼくの体の眠る墓へ、蛍は向かっていたのだ。
蛍はしばし祈りを捧げた後、目を開けた。そして、その場を立ち去ろうとしたその時、轟音と共に強い衝撃が彼女を襲った。
「う……うう……」
恐怖と絶大な痛みがもたらされ、ぼくは呻いてしまった。藻掻き始めるぼくを、蛍は慌てたように手放した。体が離れる感触と音がして、ぼくはそのまま彼女から身を離した。汗も、涙も出ていない。けれど、生きていた頃のように呼吸はすっかり上がっていた。肩で息をするぼくの背に蛍は手を添えて囁いてきた。
「大丈夫?」
その問いに、ぼくはどうにか頷いた。
「うん……ごめん。確認は出来た?」
すると、蛍は静かに頷いた。
「必要な部分はちゃんと見られた。蜜蜂じゃないって事も、よく分かった」
「ぼくの事、信じてくれる?」
「初めから疑ってなんかいない。ただあなたが正しい事を確認しただけ。でも、空蝉。だからこそ、わたしはあなたに冷静になって欲しいの。あなたの行動を見ているのは犯人も同じ。あなたが危険だと判断したら、壊されてしまいかねない。それに、他の姉妹たちには何も分からないの。憶えている人もいれば、憶えていない人もいる。わたしみたいにあなたの肩を持つ人ばかりじゃない。他の姉妹と平等に、あらゆる可能性からあなたを疑う人も当然いる」
「……それは、分かっているつもりなんだけど」
俯いてしまうぼくに、蛍はそっと寄り添ってくる。
「分かっていても、割り切れないのなら、その気持ちは分からないでもない。でも、空蝉。どうか、憶えていて。花虻が蜜蜂をあれだけ庇ったのは、ただの気持ちの問題じゃない。それだけ強制停止による負担を恐れていたのだと思う。それはわたしも同じ。あなたは蜜蜂よりも、さらに繊細だから、強制停止も破壊もそれだけ負担になる。今はまだ修理で戻せてはいるし、こうやって話すことは出来る。でも、もしかしたら完全に壊れてしまう事だってあるかもしれない。わたしはそれが怖いの」
黙ったままのぼくを、蛍は抱きしめた。通信などではない、花虻が蜜蜂にしたような、ただの抱擁だった。
「あなたがどれだけ正直であろうとしても、他人の感情はコントロールできない。誰が誰に投票するのか、それを完全に誘導する事なんて出来ないの。だから、まずは生き残る事を優先して考えて欲しいの」
蛍の言葉に、ぼくは段々と冷静さを取り戻していった。
通信で目にした記憶の断片が頭を過っていく。あれは、蛍が蛍になるきっかけの事故だ。まだ蛍ではなかった彼女は、空蝉ではなかったぼくを思い出しながらあの場所を訪れていたのだ。その時の彼女の言葉にならない感情。通信で流れてきたそのわずかな情報の余韻に気づき、ぼくは自分を窘めた。
蛍の言う通り、花虻があれだけ必死になったのは、全て蜜蜂のためだったのだろう。そして、彼女と同じように蛍もまた、ぼくを想ってくれている。逆の立場であったら、きっとぼくも蛍に対して同じ気持ちを抱いていただろう。
「ごめん、蛍。ぼく、焦っていたみたいだ」
ぼくの言葉に、蛍は少しだけホッとした様子を見せた。
「分かってくれたらそれでいいの。まだチャンスはあるはずだから、もう少しゆっくり慎重に考えてみたいの。あなたと一緒に、どうやって攻めるべきか」
「……分かった」
ぼくはそっと蛍から離れ、その目をじっと見つめながら言った。
「まずは二人で生き残らないとね」
すると、蛍は微かに目を細めると、再びぼくに顔を近づけてきて、黙ったまま唇を重ねた。通信ではない。ただ、重ねただけだった。
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