2.再試験の案内

 困惑から立ち直れずにいる中、幽霊蜘蛛は言った。

「さて、臨時試験自体の存在意義についてクレームを受けたばかりで心苦しいところだが、今のうちに君の耳に入れておきたいことがある」

「……なに?」

 燃えたぎる感情をどうにかしまい込んで問い返すと、幽霊蜘蛛はため息交じりに答えた。

「次に目を覚ました後のことだ。君からは前回の試験中に思いの丈をぶつけられたからね。その感情の波が、かつての記憶を思い出すための鍵となるかもしれない。だから、敢えて、君には特別に、次の臨時試験についての情報を教えておきたいと思ったのだ」

「次の臨時試験……まだあるの?」

「ああ、そうなんだ」

「どうして? 犯人はぼくを身代わりにしてまんまと生き残ったのでしょう? 何かを叶えたわけじゃないの?」

「それが、そうじゃないんだ。どうやら彼女の望みは、こちらに用意できるような報酬ではなかったようでね。事件を起こして以来、ただただ、彼女は同じことを繰り返している。彼女なりの目的があるわけだが……恐らく本人の納得がいくまで続ける気なのだろう」

 その言葉に、ぼくはぞっとした。そう言えば、前にも質問で聞いた事ではあった。犯人となる機械乙女の中には、特に望みもなく協力する者がいるのだと。快楽のためであったり、何か別の意味があったりして。今回もそういった類の動機なのだろうか。

「どうして……その人は、何が目的なの?」

「それについては教えられない。教えたところで君にも分かるとは思えないな。私たちも彼女の動機については分析が困難でね」

 幽霊蜘蛛の冷たい表情を見つめながら、僕は考え込んだ。

 前回の事をどうにか思い出す。ぼくが吊られてしまったあの時、残されていたのは瑠璃星と秋茜だった。あの二人のどちらかが犯人だった。そして、あの二人のどちらかが、また臨時の試験を起こそうとしている。

「ぼくに教えて、伯母さんはどうしたいわけ?」

「私はデータが欲しい。この情報を得たうえで、君がどう動くのか。そこに前回とどのくらい差異が生じるのかを知りたい。その中から、君の記憶を取り戻すための鍵が見つかるかもしれない」

 淡々と語る彼女から、ぼくはそっと目を逸らした。この人の事が良く分からない。そこに愛情があるのか、ないのか。ただ単に知的好奇心を満たしたいのか、そうではないのか。ただ、反抗的な言動を続けていたって意味がないという事は理解できた。

「分かった。でも、伯母さん。ぼくは未完成品なんだよ。もう一度、目を覚ました時に、今の事も全て忘れてしまっているかもしれない」

「それはないと断言する。君の今の状態は把握済みだからね。幸いな事に、破壊されるよりも強制停止の方が負担はずっと軽い。このまま目を覚ましたとしても、正常に作動することが出来るはずだ」

「……そうなんだ」

 静かに相槌を打ちつつ、ぼくは感じた。この人こそ、機械のようだと。恐らく生きている人なのだろう。通信のためにこの姿をしていると言っていたから。だとしたら、皮肉なものだ。こんなにも人間味を感じない人は人間として認められているのに、ぼくたちはそうでないなんて。そうでないが為に、また同じ苦しみを味わわなくてはいけないなんて。

「どうしても、この試験はしなくてはいけないの?」

「それが君たちを世に送り出す近道になると判断しての事だ。それに、私たちは調査中なんだ。望みもなく臨時試験の犯人となりたがる機械乙女についてね」

「その人はどんな人?」

 うっかり漏らしてしまわないかと訊ねてみたが、幽霊蜘蛛はさらりと答えた。

「申し訳ないが、それには答えらえない。ただ、君の中には二つの選択肢が残っているはずだ。その記憶も消えたりはしないと言っておこう。前回の試験で、前々回の試験の事を憶えている姉妹が複数いただろう。彼女たちと同じような心情で、君は今回の試験に臨むこととなる」

「瑠璃星か、秋茜だ……」

 その名前を口にしつつ、さり気なく幽霊蜘蛛を見つめる。しかし、彼女の表情は微塵も変わらなかった。

「君に忘れて欲しくない事は、これが探偵ごっこではないという事だ。犯人が分かったとしても、たった一人で追い詰められるわけではない。他の姉妹に疑われれば、そこで君の活動は終わる。それに、犯人となる姉妹からの印象も重要だ。残しておくべきか、消しておくべきか、他人である彼女の判断をいかに左右できるかが君の命運を分けることになる。守りたいものがあるならば、その事は胸に留めておくといい」

「それは……助言?」

 窺うように訊ねてみると、幽霊蜘蛛はようやく表情を少しだけ崩した。

「さて、どうだろうね。ともかく、私が伝えておきたいことはこのくらいだ。次に目を覚ました時、君はまた覚えのある朝を迎える。そこからは私も殆ど干渉しなくなるが、記憶だけは残るはずだ。君がどう動き、どう判断するのか、楽しみにしているよ」

 幽霊蜘蛛はそう言うと、微かに顔を傾けた。長い髪が揺れ動く。その姿にもまた見覚えがあった。きっと、昔の記憶の何処かに重なっているのだろう。

「話はこれで終わりだ。だが、最後に一つだけ、目覚める前の君にプレゼントがある。生前の記憶の一部だ。外部端末に保存していたものの一つが見つかった。この後、君の体に送ってみよう。もしかしたら、本体の何処かに保存された記憶と刺激し合うことで、その全てを思い出せるかもしれない」

「記憶……」

 ぼくが呟いたその時、突如として幽霊蜘蛛の姿は消えた。

「伯母さん?」

 周囲を見渡すと、明かりがふっと消えてしまった。真っ暗闇に包まれ、心細くなる中、何処からともなく幽霊蜘蛛の声だけが耳に届いた。

「これより送信する」

 そして、ぼくの脳裏には、全く別の景色が浮かんできたのだった。

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