◇ 6日目

1.他の姉妹とは違う

 翌朝、ぼくはチャイムと共に目を覚ました。しばらく呆然として、ふと我に返って端末に触れる。そこに表示されていたメッセージをぼんやりと確認した。

『投票の結果、揚羽さんが強制停止となりました』

 予想していた事ではあった。その内容を何度も読んで頭に入れながら、ぼくはゆっくりと、今日の犠牲がぼくではなかった事を実感した。

 このまま、誰も犠牲になっていなければ、試験は終わるわけだ。揚羽が犯人だと決めつけたいわけではないけれど、どうか終わってほしいと心から願ってしまう。

 と、その時、ドアベルが鳴った。七星が来たと一瞬だけ思ってしまい、そうじゃないと思いなおした。

 七星はいないのだった。扉を開けるとそこには瑠璃星がいた。応対するなり、ぼくは緊張感を覚えた。その目の動きに、動揺が窺えたのだ。いつも冷静な彼女が、声を震わせながら、ぼくに告げた。

「どうか落ち着いて、僕の示す場所を見て欲しい」

 そう言われ、ぼくは彼女の指差す方向へと視線を向けた。そして、そのまま固まってしまった。

 場所は、中庭だ。ぼくたちの過ごす個室の廊下から、まっすぐ向かった先。ガラス張りの向こうに記憶の樹が生えているその光景は、だいぶ見慣れたものだった。

 その一方で、いまだに拭えない恐ろしい記憶がある。それは、紋白蝶が壊された日の記憶。あの木の根元で横たわり、酷く破壊されていた彼女の姿が今でも焼き付いて離れなかった。それと同じ場所に、誰かが倒れている。

「あ……ああ……」

 ぼくはその光景を見つめたまま、放心してしまった。

 目を覚ました日の夜、あの場所でぼくは蛍と会話をした。そして昨日もまた、ぼくはあの場所で蛍と会話をした。その時の空気、その時の感触を思い出すと、心の中で鳥肌が立つような気になった。

「……蛍」

 立っていられなくなったぼくに、哀れむような眼差しを向けた後、瑠璃星は静かに秋茜の部屋へと向かった。

 すぐに出てきた秋茜が、ぼくの背後からやってきた。そして立ち尽くしたまま、彼女は中庭を凝視していた。

「揚羽は犯人じゃなかった」

 その呟きに、ぼくは何も考えられなくなってしまった。

 瑠璃星か、秋茜か。考えようにも考えられない。ただただ今は、中庭の光景に心を抉られてしまって、考えをまとめる事が難しい。

 それでも、ちゃんと見ないと。

 震えながらどうにか顔を上げ、ぼくは蛍の姿を再び瞳に映した。蛍は、記憶の樹に寄り掛かる形で座らされていた。俯いたその顔、瞼は開けたまま。顔だけ見れば、じっとしているだけのようにも見えてしまう。

 けれど、そうではない。蛍は壊されている。首から下の様子を見れば、嫌でも分かってしまう。引き裂かれた黒い衣服に捲れた肌。その中から臓器のような内臓物が飛び出している。物言わぬ姿となった彼女。その光景を見ているうちに、ぼくの脳裏にはどこかで目にしたらしき光景がちらちらと蘇った。

「蛍……蛍……」

 いつだったか、ぼくは同じような光景を目にした。そして、同じように嘆いた。その時の苦しい感情が蘇って、濁流のように押し寄せてくる。ざわざわとした感情と混乱の中で、頭の中に一つの言葉が浮かび上がった。ぼくは蛍をうしなったのだ。

 ──どうして。

 その事を言葉で理解した瞬間、ぼくの心は感情の荒波に飲まれてしまった。

 悲しい。苦しい。どうして蛍が。辛い気持ちに揺さぶられ、思考することが難しかった。何故、ぼくはこんなに動揺しているのだろう。何故、ぼくは胸を抉られたような気持ちになっているのだろう。他の姉妹の時とは明らかに違う。では、どうして違うのか。

 その答えは恐らく、ぼくの中にある。いまだに満足に思い出せない生前の時の記憶。昨日、蛍が少しだけ語ってくれたその内容にあるはずだった。でも、今はもう、確かめられない。せっかく思い出せそうだったのに。

「蛍……どうして……」

 嘆くぼくの目から涙は零れない。泣くことは出来ないのだ。ぼくは、第三シリーズではないから。ただ目を開いたまま、嘆くことしか許されない。

「誰が……こんな事を……」

 そこへ、チャイムは鳴ったのだった。

『姉妹のうちの一人である蛍が、昨夜のうちに何者かに破壊されました。遺された姉妹たちは速やかに会議室へと移動してください』

 いつものアナウンスが聞こえてくる。けれど、ぼくは起き上がれなかった。瑠璃星が静かに近づいて来る。ぼくの前にしゃがみ、様子を窺ってくる。

「立てるかい、空蝉君」

 手を差し伸べてくるその仕草こそ穏やかだ。だが、眼差し、そして口調には何処か冷めたものも感じた。ぼく達の横で秋茜が腕を組んでいる。見下ろしてくる彼女の表情もまた、寄り添うという言葉が似合わぬものだった。

「立てなければ引きずっていくしかないわね。これから、最後の話し合いをしなくてはいけないのだから」

「最後の話し合いって」

 ぼくの言葉に、瑠璃星は溜息を吐いた。

「分かっているね。この中の誰かがやったんだ。その誰かに投票しなくてはいけない。いいかい、空蝉君。僕はあらゆる可能性を視野に入れている。君が犯人でなければ、その反応も当然だろうし同情もする。しかし、だからと言って、君が演技をしていないという可能性を無視するわけじゃない」

「……演技?」

 淡々と繰り返すぼくに対し、秋茜がやや苛立った様子で口を挟んできた。

「ここまで続いてしまったからには、情だけで判断することは出来ないって事。アタシも同じよ。仕切り屋の瑠璃星も、記憶喪失のあなたも、同じくらい怪しく見えてならない。だからこそ、会議の時間は貴重なの。お願いだから立って。話し合いに参加して」

 その叱咤に引っ張られ、ぼくはどうにか立ち上がった。そして、ふらつく足で、会議室へと向かったのだった。

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