第4話 決して正義感からではなく・・・

 さて、さやかから頼まれて数日たったが、いまだに千紗は、誰にもさやかの席と替わってくれるように、働きかけをしていなかった。建前としては、学園祭前で雑用が多く、頼まれていたことを、後回しせざるを得なかったから。でも本当は、さやかの希望を右から左に流していたのだった。

(ま、いっか)

約束を思い出すたびに、ちょっと良心が痛んだけれど、さやかもあれっきり何も言ってこなかったし、結局、黒板が読めないってことはないだろうし。もし何かあったら、それは席替えの数を増やすことでごまかそう。


 そんな適当なことを考えていたある朝、ふと教室を見渡して驚いた。なんと、さやかが座るべき席に、大野由香里が座っているではないか。

「ねぇ、大野ちゃん、どうしてあんたが、ここに座ってるの?」

千紗の質問に、由香里は憮然として答えた。

「さあね、鮎川さんが替われって言うからさ」

「鮎川さんが、大野ちゃんに? またどうして」

「知~らない。誰かさんの隣に座りたかったんじゃないの」

「誰かさんの隣って?」

 千紗が、由香里が顎で示す方を見てみると、そこには、由香里から奪い取った座席にちゃっかり収まって、無邪気にはしゃぐ、さやかの姿があった。隣は・・・、菊池だった。


 その瞬間、千紗の頭にかぁっと血が上った。大野由香里には、友達がいない。根は悪い人ではない(と思う)が、協調性に欠けるというか、唯我独尊というか、いつもふてくされたようにしゃべり、人を寄せ付けまいとするところがあった。さらに彼女も、竹下のようにあまり風呂に入っていないようだった。中学生にとって、不潔であるということは致命的な個性だ。ゆえに、竹下も由香里も、クラスの中でなんとなく蔑まれていた。つまり大野由香里は、友達がいないだけではなくて、弱い存在だった。


 千紗は、頭に血が上ったまま、大股でさやかの席に歩み寄った。そして、彼女の机に両手をつくと、ろくに考える間もなく大声を出した。

「鮎川さん、これどういうこと?」

千紗としては、精一杯感情を抑えてしゃべったつもりだったけれど、後から聞いたところによると、この時、目から火花が散ったそうである。

「え、これって」

はしゃいで笑っていたさやかの顔が、凍りついた。あたりがしんと静まり返る。そんな中で、千紗だけが赤く燃えた鉄みたいに怒っていた。


「一方的に席を替わったでしょ。大野さんに自分の席を押し付けて」

「そんなことないよ。私、ちゃんと大野さんに、もしよかったら替わってくれないって、頼んだもの」

「とても断れないような状況で、でしょ」

「違う、そうじゃない。大野さん、目が悪いからもっと前の席に移りたいって、言ってたんだもの。だから私、前から2番目の席だったし、ちょうどいいから替わりましょうって、それで替わったのよ」


 そこまで話を聞いて、千紗は急にハッとなった。しまった。双方の意見を聞いてから行動するという、基本中の基本を自分はすっ飛ばしている。

 一瞬にして、みぞおちが石のように固くなり、背中に冷たい鳥肌がたった。

「な~んだ、そうだったの。やだ、あたしったら、一人で熱くなっちゃってさ」

とか、おどけて言って、ついでに自分の額の一つでもピシャッと叩き、そのまま回れ右をして自分の席に戻りたくなった。が、これだけ大声を出しておいて、そんな軽いのりで逃げるなんて、出来るわけがない。


「じゃあ、二人でちゃんと話し合ったってこと?」

急に言葉のトーンを変えるわけにもいかず、千紗は、無理やり重々しい声を出した。全身からふき出る冷汗が止まらない。

「もちろん、そうよ。無理強いなんか、私、してないわ」

「そ…、そういうことなら、まあ、いいんだけど」

 頑張って張り続けた虚勢も、ここまでだった。千紗は、一刻も早くこの場を逃げ出したくて、もう我慢ができなかった。

「わ、わかった。なんか、あたし、勘違いをしてたみたいだね。急に大声出しちゃったりして、ごめんね」

 やっとそれだけいうと、走って逃げたい気持ちをぐっとおさえ、自分の席に向かってゆっくり歩き出した。ところが、ほんの二、三歩進んだところで、すすり泣く声が聞こえてきたのだ。


 まさかそんな。千紗は、このまま振り返らずに、地の果てまでも走って逃げたい衝動に駆られた。実際、あと少しでやりそうになった。しかし、今ここから逃げ出したところで、どこに行けばいいというのだ。あたしが隠れられる場所なんて、どこにもないのに。

 そう、この問題から逃げられる場所なんて、どこにもない、ないんだぞ。自分に必死にそう言い聞かせて、千紗は、恐る恐る後ろを振り返った。そこには、仲良しに肩を抱かれながら、両手で顔を覆って泣いている、さやかの姿があった。


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