第2話 あたしと鮎川さやかの関係は

 佐藤さんと呼ばれて、千紗は一瞬、それが誰を指しているのかわからなかった。千紗の両親は、この夏休みに正式に離婚をした。だから夏休みを境に、千紗の苗字は、『権藤』から母の姓である『佐藤』に変わったのだけれど、そのことに、いつまでたっても慣れない千紗なのだ。

 ああそうか、佐藤さんってあたしの事だったと思いながら振り返ると、鮎川さやかが立っていた。思わず、みぞおち辺りに力が入る。どういう訳か、千紗は、さやかと向かい合うと、体に力が入ってしまうのだ。


「もしかして、席替えのこと?」

 さやかが、こくんと頷いてみせた。そのしぐさの、なんと可憐なことか。どうやったら、こうも自然に、女の子らしい仕草ができるのだろう。これが少しでも作り物めいたわざとらしさがあれば、千紗としても納得できるのだけど。

 しかしながら、そこには、不自然らしいところがまったくなかった。女の子らしい動きが、完全に身についているのだ。あたしと同じ年数しか生きていないのに、どうしてこうも違うのだろう。そんな事を考えながら、千紗は、改めて目の前のクラスメートを見つめる。


 鮎川さやか。あの菊池のアホと一緒に家に帰った女。黒目勝ちの大きな瞳。肩の辺りでぷつんと切られた黒髪。華奢な手足。まるで、小鹿のように軽やかに歩き、ついでにスポーツ万能とくる。ほんの二週間前に行われた体育祭で、目玉の男女混合リレーに出場した時は、観衆の注目をさらってしまった。普段とは違う真剣な眼差しで、黒髪を風になびかせながら、跳ぶようにトラックを駆け抜ける姿は確かに凛々しく、千紗でさえ一瞬見とれてしまったくらいだ。まぁそれも、惚れ惚れと彼女を見つめる、菊池の横顔を見るまでのことだったが。


 しかしながら、千紗がさやかに屈託を感じるのは、どうもそれだけではないような気がする。こういう言い方をすると身も蓋もないが、運動音痴でどすどす女の千紗より、運動が出来て可愛い女の子など、これまでだってたくさんいたのだから。

 これまでの千紗は、そういう女の子を前にして少し凹んだ後、ま、カテゴリーが違うからな、と、わりあいあっさり気持ちを切りかえることができたのだ。


 孔雀に、渡り鳥と同じことをしろと言われたって無理だしさ。そして、自分をダチョウとか鶏なんぞではなく、孔雀に例えるところが、あたしの第二の利点であるところの、楽観的なところよね、と千紗は思うのだ。必要以上に、物事を暗く考えるのは大嫌いなのだ。本当は、図々しいだけなのかもしれないが。


ところがどうしたものか、さやかに関しては、これまでの方法で、うまく流すことが出来ないのだ。どうしても何か引っかかる。その何かがうまく説明できない。できないから、自分の嫌悪感がどこか不当に思われて、千紗は最近、自分が窮屈でならない。


千紗は、腹の中ですでに燻ぶり始めている、理不尽な苛立ちを何とか押し殺して、さやかと向かい合った。

「やっぱりどうしても嫌?」

さやかは、困惑したように、

「嫌っていうか・・・困る」

と、うつむき加減でつぶやいた。

「そうか・・・。困ったな・・・・」


 何も困ることなんか、ないのかもしれなかった。席替えは、あくまで公平を期して、くじ引きで行われた。その結果、いろいろ不都合があった場合、別途相談に乗るという、いかにも千紗らしいアバウトな方法で、執り行われた。そしてこれは、その別途相談に乗るべき案件だ。誰かとペアリングして、さっさと席を替わって貰えば良いのだ。


 ここで話を少し戻すが、何で千紗が席替えの責任なんか負っているのかというと、半年ごとに交代する学級委員の後期の選挙で、見事、当選してしまったからなのだ。別に立候補したわけではないが、選ばれてみれば気分はなかなかよく、帰り道、奈緒に、

「やっぱりなんて言うか、親が離婚したりすると、人格に深みが増すっていうか、重厚な雰囲気が漂うんだろうねぇ」

なんて、上機嫌で言ったものだが、実際は、席替えとか、その苦情受付とか、雑用ばっかり増えて、ひょっとして、あたしは面倒なことを押し付けられたんかい、と、思わなくもなかった。


 と、ここまでは、あくまで表向きの千紗の気持ちだ。本当は、もう一つ、千紗には別の思いがあった。後期学級委員の千紗の相棒は、なんと、あの菊池なのだ。千紗にしたら、学級委員に選ばれたことより、菊池と学級委員をやることの方が、ずっと大きな出来事だった。

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