第22話 君枝の店2

 香奈子さんの少しましだと云うのは中学生頃までの菜摘未が対象だ。これは小谷もそうだ。彼も高校時代に十和瀬と知り合うと同時にまだ小学生だった菜摘未にも会っている。だから菜摘未は自宅では小谷と、君枝の店では香奈子と会っていた。此の時には菜摘未も此の二人が懇意になるとは思ってもみなかっただろう。まして二人を兄が引き合わすなんて、金輪際有り得ないと想っていただけに、口には出さないが気分を害しているだろう。どうしてそう謂う事をするんだと十和瀬に問い詰めたがお前と妹の為にやった。むろんお前にとっては嫌なはずはないだろう、と居直られると当たっているだけに何も言えない。反論しても勿体ぶるな菜摘未のようにもっと素直に生きろと云うだろう。ここまで気を回せる奴が、どうして希実世さんには後手ばかりで、揚げ句には俺に援助を求めるのか。その十和瀬がやっとやって来た。

 カウンター席でおしぼりで手を拭きながら、盛んに希実世に遅れた詫びを何度も繰り返している。どうも小谷には滑稽に映る。

 十和瀬が来ると、君枝と香奈子がスーと入れ替わった。これはいつものことだった。君枝さんは鴈治郎さんと千夏さん以外は、十和瀬家の人達とは表面上は愛想良く振る舞っている。それでも何処かぎこちなく距離を取っている。最も千夏さんは夜は家事に追われて殆ど此の店には顔を見せない。一度鴈治郎さんと来たそうだが、千夏さんはかなりの酒豪だそうだ。

「酒の仕込み具合で遅れたのだからそんなにペコペコすることはないやろう」

 小谷に云われなくとも気付いているが、スッカリ習慣付いてしまったらしい。希実世もそれに付いては何も言わない処を見ると、暗黙の了解でもないが何処となく歯痒い。

「どう順調に熟成されているの」

「大西さんに言わすと今年も良い出来栄えで楽しみなそうだ」

「それは良かったわね」

「新酒はいつ出来るんだ」と二人の話に小谷が割り込んだ。

「年が明けてからだ。まあ、これからが正念場だ」

 誰にでも十和瀬が醸造しているような錯覚を抱かせる。全くもって人騒がせな奴だ。

「菜摘未ちゃんはどうしてるの」

「ああ彼奴あいつか別に部屋にずっと居ると想ってたら事務所で千夏と喋っている処に出くわして行き先を訊かれた」

 此処だと知ると、兄貴一人であの店に行くから不思議がると、お前と待ち合わせだと言えば笑って見送られた。

「誘えばよかったのにさっきまで話題にしていのに」

 と香奈子さんが十和瀬に酒を出しながら、つれない人ねと愛想笑いを浮かべている。

彼奴あいつはおやじと俺とは一緒に呑むわけないわな」

「アラ、どうして仲は悪くないんでしょう」と希実世が聞いた。

「悪くはないが良くもないなァ。まだ兄貴の功治の方が歳が離れていて却って酒の話し相手にはいいが兄貴は酒屋の息子の割に下戸だからなァ」

「そうなの? 奥さんはお酒好きなのによくそれで一緒に成ったものね」

 と希実世は不思議そうだが、その辺があの夫婦の良いとこらしい。お互いに飲んべえなら二人とも酔い潰れて処置なしだそうだ

「成るほどそれで釣り合いが取れてるのか」

 と小谷と希実世は揃って納得する。そこへ君枝さんも今年の新酒の出来具合を十和瀬に訊いて来た。そこで小谷は今の夫との関係もそれに置き替えれば少しは分かると希実世の耳元で囁いた。彼女は君枝と話す夫を見て頷きながら聞いてくれた。そう言われてみればそうね、と希実世は聞き終わると納得したようだ。

 土曜日でまだ電車は在るが近くの駅は、普通電車しか停まらず、かなりの客が帰り店は空いて来た。十和瀬夫婦も帰ってしまった。お陰でカウンター席には、小谷と香奈子が隣りどおしに座った。君枝はカウンターの向こう端で、まだ独り呑んでいる常連客と煙草を吹かしながら喋っていた。

「こう寒いとこの前話していたおでんなんて置きたいわねぇ」

「でもお母さんが面倒くさいんでしょう」

「あたしが何とかするから用意できないかしら」

「それじゃ表も引き戸にして暖簾を下げて赤提灯をぶら下げないと格好が付かないでしょう」

「表の店のスタンド看板を見てドアを押せばおでんなんて面白くないかしら」

 香奈子のこの発想に君枝さんが何処まで付いて行けるか。これには小谷も無理だろうと助言した。客足が途絶えると居残った常連客と、お互いに愚痴を言い合う母を見ると此の話はいつも流れてしまう。

「観光客と常連客でお客さんの棲み分けが出来ているからお母さんは今の喫茶アンドスナックのままで良いみたい」

 それより今日気になったのは希実世さんの菜摘未ちゃんの話だそうだ。

「あたしにもそうだけれどあの子最近は仏頂面して来るのよね」

 小谷は店には昼間はほぼ毎日挨拶がてらに顔を出しているが、夜は週に二回、たまに三回の時があるぐらいだ。菜摘未が呑みに来るのは週一回来るか来ないかだ。それも表のドア越しに父が居ないのを確かめて、顔を会わさないようにしている。

「それじゃあ会長が遅く来ればどうするんだろう」

「それは絶対に無いわよ。だって二人を均等に愛してるから夕方喫茶からスナックに代わる頃に来て八時には帰るんですもの」

「菜摘未が来るとすれば八時過ぎか」

「菜摘未ちゃんはちゃんと働いてるの?」

「一応は十和瀬酒造の社員何だけれど昼間立ち寄っても余り見かけないんだ千夏さんの話だと以前は居たけれど俺が担当に代わってから昼間になると席を外しているみたい」

 香奈子も小谷との成り行きを知っているだけに気にしているようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る