第17話 十和瀬の憂い

 十和瀬の仕事を引き受けてから休日に近況報告に呼び出された。十和瀬の酒造会社は表の店はあけているが、奥の工場は酒の仕込み中以外は日曜が休みだ。表の店は無休でパートのおばさんが休む時は、大抵は千夏さんが店番をしている。

 十和瀬とは高校以来だが彼奴あいつの家には余り行ったことがない。当然父親の鴈治郎は昼間はいつも家に居ない。学生の小谷が偶に見かけても、鴈治郎は仕事か恋に追われて憶えていない。十和瀬が仕事を代わるときに、後釜に小谷の名前を報せただけで、此の前の君枝の店で初めて鴈治郎は小谷に会った。

 待ち合わせ場所の四条河原町で会うなり十和瀬から「おやじに会ったんだなあ」と挨拶代わりに言われた。

「俺に言わすとおやじは学生の頃に家に来たお前を全く見向きもしなかったのはそれだけお袋と君枝にうつつを抜かしていたんだとしか思えんなあ」

 二人は四条大橋の近くの喫茶店に入って十和瀬は熱い珈琲を飲みながら言った。

「十和瀬、お父さんはうつつを抜かすなんてそんなもんじゃないぞきっと平等に愛していたんだ」

 聞いた十和瀬は驚いている。十和瀬は君枝の店には余り寄り付かない。結婚してからは希実世と殆ど一緒に店に顔を出しているのは、おやじの付けで希実世も金の掛からない気晴らしで行く。だが菜摘未は香奈子とたわいもないお喋りが目的でやって来る。鴈治郎は此の前のように、より君枝の小粋こいきな姿を酒の肴に呑みに来る。長男の功治と千夏は殆ど来たことが無い。功治は呑まないが社交的な千夏は、行きたくても行けないのが現状だ。鴈治郎の妻は店の前さえ通りたくなくて、わざわざ店を金輪際避け通していた。これが十和瀬家と君枝の店が関わっている状態だ。

「平等に二人の女を愛せるわけないだろう」

 この言葉で十和瀬は希実世一人に手こずっているのが判り、それから察すると案外に愛の本質を見誤っている。第一に高校時代から浮いた話は聞かない。そんな男でも交際が続いているのは、とにかく虐められそうになると、彼奴あいつは必ず小谷を庇ってくれた。礼を言うとお前に落ち度がないからだ。それだけなのが不思議だった。このように彼奴あいつと一緒に居る理由はその理由以上の親近感に包まれていれば、他に理由がなくても此の二人の付き合いは十数年も続いた。

「愛し方が違っていても受け止める相手が幸せだと感じればそれで平等の愛になるだろう」

 十和瀬は暫く黙って窓から見える鴨川に眼をやりながら珈琲を飲むと黙って頷いた。母親と君枝とは性格が全く違うのに、全く同じ愛を注いでいれば、それは愛でなく愛を真似たものだ。感動が違う者に同じ贈り物をしても意味が無い。

「そうだなあお前のお母さんは千夏さんから聞いた話では煙草も吸わないし酒も余り呑めんそうだなあそれに引き替え君枝さんの粋な呑みっぷりで店が忙しくなるとくわえ煙草で小皿を洗っていたなあ、あの人のああ言う姿が鴈治郎さんは気に入ってちびりちびりと酒を呑みながらカウンター越しに見ていたあれが奥さんなら顔をひそめてそっぽを向くだろう」

「お前がそんな処を見てもしゃないやろう肝心の香奈子はどうしたんや」

「そこやけど何でわざわざ普段着ない着物であの日は店を手伝ってたんや」

「嗚呼その話しか、帰ってからおやじが菜摘未に話すとさっそく香奈子に電話で聞いていた」

 ウッ、と小谷は身を乗り出して何て言ったか催促してきた。それを見て十和瀬はにんまりして、焦るとな言いたげにまた珈琲を一口飲んだ。

「お前が来ると予感して着たそうだあの日何か言ったんか」

「いいや特に何も言ってない」

「嘘吐けッ、それで香奈子が舞うはずがない」

 まあどっちにせよおやじに認められれば仕事が楽になる。なんせ酒造組合では顔が利くそうだ。あとをまかした友人が順調に引き継いでいれば、もっと悦んでもらえそうなのに相変わらず沈み込んでいる。話していても小谷の顔より、鴨川の土手でパンの切れ端を投げるおばさんに、ユリカモメが乱舞する姿を眺める時間の方が多かった。

「またあのおばさんは今年もパンくずをやっている」

 十和瀬の話だと、川向こうのパン屋さんに来ているパートのおばさんで、サンドイッチの切れ端を分けてもらっているそうだ。

「もういい歳だろう」

 と川向こうでパンくずを投げている女を顎で示した。

「お袋よりもとうぐらい上だろうか孫の顔を見るのが楽しみな歳だろう、俺のお袋はけしてあの婆さんのようには成れないだろう」

 あのおやじがそうさせている。あのあばずれ女にうつつを抜かすなんて、とお袋はいつも俺の顔を見るとぼやいていた。何で俺ばかり当たるのか、と想えば兄貴も菜摘未も言えば反感を持たれる。口答えのしない俺は、お袋にとっては、鬱憤うっぷんの捌け口になっていた。話を最後まで聞くとお袋がいつの間にか、希実世さんに見事に入れ替わっていた。

「心配するな子供が出来ればお前なんかに構ってられないぞ」

「そうかなあ今度は子育てに行き詰まった鬱憤を俺に向けられそうだ」

 これがあの高校時代は、悪ガキ相手に一歩も引かずに、立ち回った十和瀬とも思えない。此の前も『利き酒』に来た観光客のクレームを、ひと言で引っ込めさせた男が、希実世さんには此のざまか。

「俺は希実世さんとはお前の披露宴で会ったぐらいでよく知らない。だから一度新しいマンションに招待してじっくり希実世さんと話してみるか」

 十和瀬の顔が豆電球のようにともった。どうやら今日はそれで誘ったようだ。えらい遠回しな奴だ。


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