『斜視』でまあまあいろいろあった件
矢武三
前編
斜視持ちです。
両の瞳が真っすぐ向いてないことですね。
自分の場合、主に左目が外側へ向きます。
小学校一年の時に、先生からみんなの前で「ロンパリ」なんてあだ名をつけられました。右目がロンドン、左がパリを向いてるっていう意味です。一種の差別用語ですから、今なら即懲戒ものでしょうね。
一、二年生の間、クラスメートからずっとそのあだ名で呼ばれていましたが……三年生でクラス替えしたころには言われなくなりました。8歳ぐらいなら、表立って相手のイビツさを囃し立てないことを覚えるのかもしれません。
それからしばらく……中学二年の壮絶な虐めに遭うまでは、目のことを指摘されて傷つくこともなく。
抱え込んだものが解消されるわけなどなく、ビクビクしながらも、まま平和に暮らしていました。
高校生になって、眼鏡をかけ始めました。
左目だけで見ると、どうにも遠くがくすんで見える。眼科に行って調べてもらった結果、視力低下でした。
右視力1.2に対し、左はなんと0.1という極端なまでの落ち込み。要は斜視のせいで、長い間左目がほとんど使われずに来た結果だったのです。
そこでやっとわかったのが……なぜ、キャッチボールで相手の投げるボールが取れないのかについて。
ずっと運動音痴だと思っていたのですがそうではなく、遠近感がつかめないせいだったのです。人間って両目で距離を測るんですよね。
それがわかってからというもの。
毎日鏡とにらめっこして、一生懸命斜視を直す(治すではなく)努力をはじめました。医者どころか、誰から聞いたわけでもありません。ただの自己流にて、意識で眼筋をコントロールしようというのを思い付きまして。
がんばった動機は不純です。
キャッチボールが出来るようになりたいからではありません。
当時、電車で男子校に通ってまして。その沿線───周りは女子高ばっかりだったんです。つまり、そういうお年頃だったということですね。
……で、トレーニング。これが思いのほか功を成しまして。
写真を撮ったときなどでよくわかるんです。自分の左目が明後日を向いていない。何でもやってみるもんだなあと、自分の努力を誉めたたえました。しかし彼女ができることはなく。代わりにホモの痴漢に遭ったりしてました。
一気に跳んで、社会人。
特段、斜視を指摘されることも無く普通に過ごしておりましたところ。付き合っていた彼女が……ずっと胸の内にあったんでしょうね。ある日おずおずと斜視のことを訊いてきました。
この目のおかげでいろいろ遭ったことを話すと、泣いてくれました。
「しんどかったね。辛かったね」
自分も泣きました。
そんな風に同調してくれる人がこの世に居たなんて。親父にも言われこと無いのに。
でもその認識は、長く続きませんでした。
つづく
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