第6話「聖女、ナンシー」

 ぼろぼろになった僕はジェナに担がれ、パーティーハウスに戻っていた。ソファーでぐでっとしている僕に、ナンシーがすっと近寄ってくる。


「あらあら、アランちゃんぼろぼろねー」


 なにか声を発しようにも声が掠れ、ろくに言葉にならない。その上あちこちの骨が折れているらしく身体中が痛むし、耳も片方聞こえなくなっている。かろうじて目だけが無事だった。目をやられるのが一番きつい。今日はまだマシな方だった。


 僕を怪我させた当の本人は近くのソファーでナンシーが僕を治すのを待っている。治させたあと、僕に朝食を作らせるつもりなんだろう。


 部屋にアーサーが入って来た。彼は僕を一瞥するなり、眉を顰める。お前もことあるごとに殴っているだろうが。僕は他人事のような彼に苛立ちが募った。アーサーは部屋の中にあるテーブルに座り、ジェナを睨み付ける。


「……ジェナ、今日もか。一応忠告したはずだが?」


「うるせーよ。ある程度の体裁は保ってんだからいいだろ。それに、帰る時は気を付けている」


「下手な悪評が付くと面倒なんだよ。勇者教会からも忠告されてる。腹が立つじじいどもだが、あいつらの補助なしじゃこの家だって買えねえんだぞ」


「ああ? 知るか、んなもん」


「ジェナ、俺を怒らせたいのか?」


「……やるのか? いいぞ、アタシは。いつまでもてめーに負けてると思うなよ?」


 僕に見せた獰猛な笑み。この二人が喧嘩し始めると、どうせ後始末を僕がしなければなくなる。おまけに、ジェナが負けた場合、鬱憤がまた僕にくる。


「はあ……。もう黙って従え。竜人の分際で生意気なんだよ」


「ああ゛?」


 ろくに戦闘経験を積んでいない僕でも分かる。散々にジェナにいぶられたせいか、殺気のようなものには鋭くなった。死なないために。


 ビリビリと肌が痛くなりそうなほどの殺気が部屋の中を充満する――


「二人ともやめなさい。ジェナちゃんもアランちゃんとの『お遊び』はほどほどにしなさい。バレたら面倒なことになるのは分かってるでしょ? アーサーも『竜人』としてジェナちゃんを差別するのは、私も怒るわよ?」


 ナンシーのひどく底冷えするかのような声。決して大きくないのに、耳にいやというほど入ってくる。三者三様、一つの部屋の中で渦巻く殺気に、僕は吐き気を催した。水音を立て、床にどろどろの体液を零す。全身が余計に痛み、それに呻く。


 それを契機に、ジェナの声がした。


「ちっ、わーったよ。ほどほどにすりゃいいんだろ。ほどほどに」


「……ああ、それでいい」


 アーサーの声は不服そうだった。ああ、また明日もジェナに殴られることが決定してしまった。


「んふっ、仲良くねー、ジェナちゃん、アーサー君」


 ナンシーの声はいたく上機嫌に聞こえた。でも、どこか怖く感じるのはさっきまで部屋に充満していた殺気のせいだろうか。吐き気は収まったものの、息が苦しく、気持ち悪い。僕が呻いているとナンシーに顔を上げさせられる。


「もおー、アランちゃん、こんなにゲーゲー吐いちゃって悪い子」


 彼女はソファーに僕を仰向けにさせると、僕の両手を握った。不自然なほど冷たく感じる手。王国では「聖母」だの「聖女」だの言われているみたいだが、僕に取ってみれば「悪魔」にしか感じない。まだ、なにもされていないというのに、全身を寒気が襲ってくる。歯がカチカチと鳴りそうだった。


「アランちゃん、いつになったら私を怖がらないでいてくれるようになるのかしら?」


 声は出せない。彼女の優し気を装っているとしか思えない青い目が恐ろしい。彼女の目を見ていると、吸い込まれ絡め取られていく気がする。何も答えられない僕を見て一つ、ふふ、と微笑むとナンシーは目を閉じた。僕はどこかほっとする。僕にとって彼女の眼は恐怖で満ちている。


「今、治してあげるわ」


 彼女の手から緑色の光の帯が溢れ出す。光の帯は僕の全身を包んで、僕の身体が、かっかと熱くなり、痛みが消えていく。耳が正常に聞こえ、あちこちに活力が漲ってくる。王国内の誰にもできない芸当。僕の身体は半壊の状態から完全に回復した。


 ナンシーの手が離れる。


「アランちゃん、治った?」


「はい、ありがとうございます」


 僕は身体を起こし、彼女に向き合う。


「アランちゃん」


「はい」


 僕はびくっと肩を震わせてしまったのを後悔しながら、真正面からナンシーを見る。


「今の代金は高くつくわよ。分かってるわよね?」


「は、はい」


 ナンシーの手が伸びる。僕の頬にぴとっと彼女の冷たい手が触れる。


「大丈夫。首が折れても、すぐに治してあげるから、ね」


 彼女は自身の頬に手を当て、うっとりとしていた。僕は耐えるしかなかった。身体を治される度に頬をぶたれる。それに抗えない僕が必死に耐える様子を楽しんでいる。


 ナンシーの小さい笑い声が聞こえた――気付いた時には床に寝ていた。頬がいつもよりもビリビリとして痛い。痛い、痛い、痛い。なんで僕はこんなことになっているんだ。耐えなきゃ。なんのために? 自分のためだ。僕には居場所がない。ここしかない。それに僕は彼らに救われた。魔王軍には彼らしか対抗できない。


「うふふ~、痛かったー?」


 僕が起き上がろうとすると、ナンシーに顔を上げさせられる。青い瞳。底知れない深い青。溺れそうになる。とっくにジェナに痛めつけられた傷は治り、苦しくないはずなのに。声が出ない。


「アランちゃん、可愛いね~」


 ナンシーの手が再び僕の頬に触れる。すり、と今しがた熱を持った頬を撫で、満足そうに微笑んだ。一瞬緑色の光が見え、痛みが引いていく。


「――おい、『儀式』が終わったんなら、アランに朝食作らせろ」


「アタシも腹減った。ナンシー、もういいだろ」


 二人の言葉に僕だけしか見えていない彼女の顔が、一瞬無表情になる。なにもかも感情が無くなったような深い闇だけの顔。しかし、それもすぐにいつもの眠たげに微笑んでいる彼女の顔に戻った。


「もおー、二人ともせっかちなんだからー」


 間延びしたような声を出しながら、いつも通りにナンシーは微笑む。


「アランちゃん、朝食、お願いね?」


「はい……」


 僕は何も見ていなかったように素直に返事した。

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