霧の幻影:Side 布施田仁良 2

 「待って布施田君」


 おれが音のなった校舎内へと入ろうとするのを、八坂さんが止めた。免田さんが例の小袋と水鉄砲をおれに投げ渡して説明する。


 「水鉄砲は兄貴が使ってたやつ。随分と値が張ったみたいでボヤいてたから……効果はあると思う――ほんとは兄貴を連れてきたかったんだけど、見つからなくて……」


 「対抗手段があるんだ、おれ達でここはどうにかしよう」


 「その通り、だからお前だけで行くな、布施田」


 良治がおれの肩を叩く。おれはまた危うく突撃しすぎるところだった。さっきのバスの件だって、ただちょっと運が良かっただけだ。


 「ああ、皆で行こう。……ところで、加藤さんは来ていないようだけど」


 「お前が知らないのなら、連絡がつかないからわからないな……家の近い俺も、何も知らされていない。来る前に稲穂の家に寄ってみたが既に誰もいなかった。……ここに来るまでに……?」


 「……とにかく音の方へ行こう。一匹でも多くここの怪異を祓って……できれば街の方にも行きたい」


 それがどれだけの意味を持つのか、おれにはわからない。もしも怪異が無尽蔵に湧くものだとしたら? 

 ――そもそも、おれ達の今まで見てきた怪異は、自然現象のようなものだったのだろうか?

 人為的なもの?

 どうやってあんなものを創り出せる?

 そんな人間がいるのならもう……。

 では自然だというのか?

 こんな、おれたちの街だけがピンポイントで?

 分からない。

 もしかすると世界中のあらゆる場所でこんな状態になっているのかもしれない。

 分からない。

 おれ達は精々この北海道内でも半径数十キロ程度の範囲ぐらいしか大して知らない。東京や大阪なんてのは修学旅行で見に行く程度、海外旅行なんて早々行くことはないし、風土を知るなんて機会もない。

 ましてや他の土地や国の都市伝説や怪異なんて、知る由もない。

 この状況が狂っているのか、そうでないのかなんて、おれたちには判断する材料さえも持ち得ていない。

 片田舎の……外を知らない、餓鬼なんかには。


 『バタバタ……バタバタバタ……』


 おれ達は静寂に包まれている筈の学校である筈のない足音のする方へと向かった。10……いや20人近い人間の足音。普段の壁のブロックガラスに覆われた光あふれる階段と対照的に、夜の密やかな影にに包まれた階段を上る。足音によって普段の学校生活を幻視してしまいそうになるが、この夜の情景はそれを留めてくれる。

 二階、三階……四階。足音はおそらくここ……生物室か。

 良治が笑って密かに言う。


 「人体模型とかかもな」

 

 「定番だな」


 『ガラガラガラ……』


 おれ達は生物室の扉を開く。

 そこには長い手足を揺らすように、ぎこちなく動かす二十人近い、長身の、同じ顔の男たちが立っていた。それらは全員が蒼白した顔、どこを見ているのかわからない目、痩せこけた頬、漆黒で起伏のない上下の服と、それぞれが全く同じ姿をしていた。彼らはこちらを見向きもせず正面……黒板の方を向いている。その奥には……。


 「加藤さん?」


 一瞬、加藤さんの姿が見えたが、直ぐにその姿は大きな実験用のテーブルの下へ隠れた。

 それと同時に部屋の男たちが一様にぐるっと、僕たちの方を向いた。


 『出ていけ』


 全員が一様に叫ぶ。その声に感情はない。

 そのまま彼らは壁を作るように並び、こちらへ手を伸ばして迫って来た。

 百舌鳥坂がグイっとおれの背を引っ張る。


 「逃げるぞ、布施田」

 

 「ま、まて加藤さんが……」


 八坂さんもおれを掴み引っ張る、おれはそのまま教室外に引っ張り出される。

 だが、先に出ていた免田さんと先生の様子がおかしい。


 「先生? どうしたんですか?」


 「あ、あれは……」


 「……!」


 その視線の先、四階廊下の反対側、社会系の授業用の教室がある廊下……その端の窓が開いている。

 その窓から続々と、筋張った、羽の生えた、甲虫……? のような……はさみや甲殻やカビのようなものの集合体が、この校舎の廊下へと入り込んでいる。


 「あれは……なんだ……?」


 それらは頭部と思しき器官についた無数の触角のようなものを動かし、こちらへとはさみのようなものを鳴らしながら近づいてきた。


 『ガラララ……』


 おれ達の出てきた戸と奥の戸が開き、生物室から先ほど見たあの男たちがぞろぞろと現れ、おれたちを見向きもせずに、後者に侵入した謎の生物へ突進していった。

 

 『キシャァアアアアッ!』


 『バキィッ! ドカッ!』


 男たちは拳を振るい、その生物の甲羅を殴りつけ割ってゆく。それは繭のような素材で、千切るのは容易らしい。男たちははさみによって身体を切り刻まれながらも無感情に攻撃を続けている。彼らは血も流さず、痛みも感じていないようだ。

 その戦いはできの悪い人形の乱闘のように、酷く現実感の薄いものだった。


 『タッタッタッタ……』

 

 おれの背後で駆ける音がした。振り向くと再び一瞬、加藤さんの姿が見え、階段の方へと走ってゆくのが見えた。

 

 「加藤さん!?」


 おれはとにかくそれを追って階段へと駆けた。

 

 「布施田! どこへ……」


 足音は上、五階? いや、屋上だ。

 階段を駆け上る、屋上への階段、塞ぐような机をひっくり返して、おれは屋上へ行く。

 扉の鍵はかかっていない。

 一体なぜ加藤さんが、あそこに……逃げるような素振りさえ見せるのは……どうしてだ? 

 とにかく屋上で話せば何かわかる。

 本当に?

 ――おれは、彼女を追い詰めてやしないか?

 加藤さんは少し、他の人に怯えがちだ、こうしておれが追うのも怖がらせすぎてしまったのかもしれない……いや、しかしこの緊急時、屋上とて何があるかわからない。合流した方が良い。

 そう思おう。

 ……おれは何か見落としたような不穏な気持ちと共に屋上の扉を開く。


 太陽光パネルが幾つか設置されている屋上。柵の近くに加藤さんがしゃがむ背中があった。

 

 「加藤さん、集合場所にいなかったから、心配したんだ。こんな状況だ、皆と居た方が良い、行こう……」


 「ごめんなさい」


 震える声で彼女はそう言った。こちらを振り向くことなく。


 「……どうして、加藤さんが謝るんだ?」


 「わ、私のせい、でもある……から」


 「……なにがだい?」


 「こ、幸田君が亡くなったのも、こ、この街が今、こうなっているのも」


 「……? それは……どういう……」


 「文学館で本を読むのが好きだったの。が、学校にはないオカルトの本がたくさんあって、それを一人で読むのが……も、勿論、初めは真面目に信じてたわけじゃないよ。大それた儀式や、都市伝説は今の現実がどうしようもないのとお、同じくらい荒唐無稽だから……安心できた、でも」


 加藤さんの震えが大きくなる。


 「も、もしも、布施田君が……今までずっと、自分を虐めてきた人がふっとある日いなくなって、誰もそれを覚えていなかったら……そして、そんな出来事を自在に操る人が現れたら、魔法を信じる?」


 「……どういう、ことだい……そのたとえは」


 「布施田君たちは忘れてしまったかもしれないけれど、私と同じクラスには三人、女子がいた。ちょうど他のクラスより三人、私のクラスの人は少ないでしょ?」


 言われれば、そうだ、御代出先生が担任のクラスは、不自然に人が少ない。ちょうど三人。……だが、誰も、そしておれも、そのことに違和感を覚えた者はいない。これも怪異の仕業か?


 「わ、私は、名前は忘れてしまったけれど、居た事は覚えている。私をクラスで孤立させていた人たちの中に居た、三人。ある日急に消えて、無くなった」


 「……」


 「い、いなくなっちゃえばいいのにって、一瞬でも思ったことのある私は、凄く、怖かった。私以外の誰も、お、覚えていないから、それに私も、名前も顔も、ぼんやりとしていて、思い出せないから……その時期に、文学館に、もう一人、通っている人が、居たの」


 「もう一人……?」


 「三人がい無くなった後に、文学館に、私が行くと、あ、あの人が急に、声をかけて、怖かったから返事をしないようにしたんだけど、その人が、言ったの」


 『三人を消したのは僕だ、ここにある『魔法』でね』


 「わ、私は、その人の話を、聞いてしまった。試してしまった。そして……呼び寄せすぎてしまったの」


 「呼び寄せすぎた……? あの黒い男たちのこと?」


 「そ、それもある、けれど、それだけじゃない。あの人は半年前からゆっくりとこの街に『魔法』を増やして、それに引きつけられる怪異を増やしていく……そして私たちがそれを、潰してゆく……そうすると……」


 「喋り過ぎだぜ」


 そう叫び、玄関で見た青白い光が空から屋上に飛び込んできた。


 「おっと、妙なモンを持ち出しているが、動かせはしないよ?」


 「うぐっ……」


 おれは金縛りにあったかのように、いや、何か見えない大きなものに掴まれたかのようにぴったりと動けなくなった。


 「ああ、ダメ! 殺さないで!」


 「散々人に夜鬼をけしかけて置いてそれはないだろ? 目の前でミイラにして、僕の養分にしてやるよ! ハハハハハハ!」


 「!? ッ……吸い取られる?」


 力が入らない。何かに力が吸い取られる? 意識が……薄らいで、眠気が……してくる。

 奴の、高笑いが、耳の中から遠くへと……遠ざかってゆく。……俺は……。


 『ドガッ』


 「くらえ、幽霊!」


 『ブシュウウウウウッ!』


 良治が屋上の扉を蹴破って、奴に水鉄砲をくらわす。溶ける様なシューシューとした音と煙が立ち上り、おれは地面に倒れる。拘束が解かれた?

 奴は喜んだように叫ぶ。


 「ははは! 他にもガキがいたか! いいね、いいね、良い感じだね! 逃げさせてもらうよ!」


 その青白く半透明な人間は加藤さんを掴み、空へと浮遊する。


 「あ、あああ!」


 「待てっ……! クソッ……」


 立ち上がることすらできない。おれは、ただその光景を見るしかできない。

 加藤さんとその幽霊は深夜の暗闇の中、山の方へと飛び去って行った。

 おれは、無力だ。



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